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第三章 それぞれの思惑 その2

 メイベル・リンクの警護としてついてきた二人の騎士は、ベリュン侯爵夫人の寝所がある寝殿最上階の階段前で、壁のように並び待機している。アティアナからこの階に踏み入れることを禁じられ、ここで待つよう命じられたのだ。

 先輩騎士たちの視線が、またしてもウォルに突き刺さる。しかしアティアナや猊下のいる手前、そういう限定された組織内の些細な悩みは無視することにした。

 ゼリセイアに仕える二人の侍女は、突然のメイベルの来訪に驚きながらも、夫人の寝室へ案内する。ウォルは、アティアナが率先して猊下の案内を買ってでるかと思っていたが、さすがにここは我を抑えているようだった。

 迎え入れられた部屋の入り口で、応対は侍女たちから母リューサリィに引き継がれる。

 体に悪い夜風を遮るため、窓は閉じていた。照明も抑えられており、薄暗い。夫人が休むベットはベールで囲い込まれ、そちらへ行くほど暗くなっていた。

 リューサリィは相手が猊下であっても、まず仕えてる夫人のことを優先させる。

「申し訳ありませんが、こちらで少々お待ちいただけないでしょうか。ゼリセイア様のご様子を見て参ります」

 メイベルもそれが当然と、頷いた。アティアナも素直に従っている。

 リューサリィはベールをくぐり、中に入っていった。それから少し経って薄らと柔らかな照明が中に灯る。

 それを待っているとき、メイベルが不意にウォルへ尋ねた。

「あの方がお母様ですか?」

 またしても彼女の不意打ちに、彼は面食らう。

「えっ?何故それを」

「私には人の心を読む力がありますから」

 と、いたずらそうに微笑んだ。

 ウォルがどのような表情をすればよいかわからずにいると、アティアナが助け舟をだす。

「先ほど馬車の中で私が教えましたの」

 確かに港からエスル城までのパレードは、長い道のりだ。さぞかし女性ばかりで話も弾んだことだろう。

「アティアナさんは幸せですね。家族揃って支えてくれる方々がおられるのですから」

「はい。特に母が元気でいられるのは、リューサリィの献身のおかげです。感謝してもしきれません」

 メイベルが彼女に顔を寄せてきた。

「でも、リューサリィさんにはそのことを伝えていないのでしょう。それができるようになれれば、あなたも立派な淑女になれますよ」

 アティアナは恥ずかしそうに頷く。メイベルは非常に優しい顔をしていた。

 ウォルはつくづく、リンク猊下の見せる千差万別の表情に感心する。父はこの相手を煙にまく態度を警戒していたが、悪意があるように思えなかった。猊下には神々の代理人として望んでいることと禁じられていることがあり、その狭間で何かを我々に伝えようとしているのではないか。港から馬車で出発する際に声をかけてもらったあのときや、晩餐会でのソウブロアとの意味ありげな対話を併せると、そう感じる。しかしそうだとして、それに答える力量が自分にあるのかと、またしても堂々巡りの考えが渦巻いていた。

 その時、ベッドを囲むベールの開く音がする。

 リューサリィがこちらへ戻ってきた。

「お待たせを致しました。準備が整いました。どうぞ、こちらへ」

 奥には、ベッドから起き上がり立とうとしているゼリセイアが見えた。

 メイベルはアティアナに促す。

「お母様に無理をさせる必要はありません。横になられているよう言ってきてください」

「はい」

 アティアナが駆け足で、母の元に向かった。

 続いてメイベルらがリューサリィに足元を照らされながら、寝所へ進んでいく。

 猊下へ不遜のないよう振舞おうとベッドから這いでる夫人だったが、娘の手に寄りかかりようやく腰を上げられる程度の体力だった。

 無理をなさらずに、とメイベルが声をかける。

 ゼリセイアが苦しくないように自ら手を差し延べて、彼女をベッドに深く座らせた。

 そこにリューサリィがタイミングよく、夫人の肩にガウンをかける。

 メイベルとリューサリィはお互い目くばせをした。

「申し訳ありません。このようなお見苦しい姿を晒してしまい、お恥ずかしい限りです」

「こちらこそお休みのところを訪問してしまい、ご迷惑をかけました。アティアナさんから、お母様のお話を伺い、ぜひお会いしたいと思っておりました」

「もったいないお言葉です。改めまして、ゼリセイア・ベリュンにございます。猊下にこのようなところまで御足労いただき、感謝の言葉もございません」

「メイベル・リンクです。そう畏まらず、楽にしてください」

 ウォルが可笑しかったのは、夫人の隣で自慢げな顔をしているアティアナの様子である。この子供ぽっい無邪気さと、時折りみせる淑女としての素振りの落差が愛らしかった。

 メイベルはリューサリィが持ってきた椅子に腰かけ、夫人と向かい合って話す。

「私も少々、医師の真似事をします。よろしければ、お身体を拝見せてもらえますか」

「そのような、もったいないお言葉。お気持ちだけで充分にございます」

 ゼリセイアは半ば自らの身に諦めを感じているように言った。

 夫トスカラルは、もちろんこれまで長い間、多くの高名な医師や法師などに妻の診療を託してきた。その甲斐あってこれまで命を永らえてきたとも言えるが、完治には至っていない。夫人自身、診療という行為に疲れを感じていた。

「母様、このような機会は二度とありませんわ。ぜひお願い致しましょうよ」

 アティアナは希望の光を見出したかのように強く主張する。

 リューサリィも夫人に促した。

「私もアティアナ様と同じにございます。諦めてはなりません。リンク猊下に診ていただけるなど、望んで叶うものではございません」

 夫人はアティアナとリューサリィを交互に見る。そして少し考え、メイベルのご厚意をお受けすることにした。

「ウォル」

 そんな中、突然母に呼ばれ、ウォルはハッとして気付く。

 この場にいる女性六人の目がこちらを向いている。気まずい雰囲気が流れた。

 ウォルは一旦ドアのほうを振り向いたが、あちらには二人の騎士が警備しているのを思いだし、屋上庭園につながるテラス窓を見る。

「では私は、温室のほうの見回りに行きます。何かありましたら、お呼びください」

「お気づかい感謝します。衣の上からでも診ることはできるのですが、殿方は席を外されたほうがよろしいでしょう」

 ウォルはメイベルに深く頭を下げた。それから踵を返し、早歩きでテラス窓へ向かう。

 かかった鍵を外して扉を開けると、涼しい風が頬に当たった。その風は体中に染み渡り、身を引き締める。知らないうちに、体が火照っていたのだろう。

 屋上庭園は今までの照らされた世界とは違い、遥かに暗く静かな空間だった。

 低木と花壇で構成された庭園の奥には温室が建っている。そこには庭師や使用人たちの利用する通路があった。そこ以外は夫人の室内からしか、ここへは入れないようになっている。まさに妻のためにトスカラルが用意した専用の庭なのだ。

 城内で幼いころを過ごしたウォルにとり、ここも遊び場の一つとなっていた。アティアナと連れだって、色々な遊びをしたものである。当時は全力で駆け回れるほどの広さを感じていたが、久しぶりに眺めてみると、こじんまりして見えた。

 あれから歳月が流れてたことを、改めて感じる。


 メイベルは治療を行う前に、夫人の今までの症状や経過を聞き、丁寧に診断も行った。医術にも長けているのがわかる。

「大丈夫ですよ」

 ゼリセイアにメイベルは声をかけた。

「病を回復させることは可能です」

 一番反応を示したアティアナが身を乗りだす。

「本当ですか!」

「ええ。しかしすぐにという訳にはいきません」

「そんな……何が駄目なのでしょうか」

「それほど落ち込むことではありませんよ」

 メイベルはアティアナとゼリセイアが理解するように説明した。

「これから使う術というのは、患者の体力を消耗するのです。言い換えれば、患者の持つ生命力を最大限利用して、その力を全て治癒に充てるのです。ですから病が重ければ重いほど、負担は非常にかかります。元々体力の弱っているお母様ですから、一度に全快まで持っていくことは叶いません。段階を踏んで少しづつ回復させ、体力を取り戻しながら、治療を続けていくことが肝心なのです」

「それはどのくらいなのでしょうか。メイベル様がいらっしゃる間に可能なのですか」

 アティアナは畳みかけるように聞く。

 落ち着きなさい、とゼリセイアは娘を諭した。 

「猊下に診ていただけるだけでも幸運です。これ以上の高望みはいけませんよ」

「でも……」

 メイベルはアティアナに優しく答える。

「まずは今から治療を試させていただきます。それで明日にまた診察をさせていただいて、それから今後の方針を決めることに致しましょう。何でしたら、大陸の方々でも治療が可能になるまでは滞在を延ばしても構いません」

「勿体ないお言葉。そこまで御足労していただかなくとも……」

「ぜひ、お願い致します!」

 メイベルの言葉に、母娘同時に答えた。

「お母様、ご遠慮なさらずに。私もこの娘たちも、ノクトネイラに帰る日が延長されて喜んでおりますわ。ねぇ」

 それまで黙って付従っていたネルセダとエルラッカムにメイベルは話を振る。

 口を開いたのはエルラッカムだった。

「我々は従うのみです。メイベル様の望むようにしていただくことが、我々にとっても最良のことなのです」

 ネルセダを牽制して先に述べたようである。感情に任せて病人の前で相応しくない言動をして、メイベルの好意に泥を塗る真似は避けたかった。

「もちろんメイベル様が望むのでしたら、どこへでもお供致します」

 同僚に軽く見られて、それはど無粋ではないとばかりに、ネルセダも言う。

「そういうことですから、お気使い無用です。さぁ、始めましょうか」

 メイベルは、ゼリセイアを横にならせた。

「今更で申し訳ないのですが、非常に辛い治療になるかもしれません。元々少ない体力を法術によって搾り取ります。今まで訪れた法師がどのように語っていたかわかりませんが、この術はあなたの力をどのように扱うかが鍵となるのです」

「苦しいのには慣れております。猊下にこの身をお預け致します」

 夫人は目をつむる。

「ではお母様、体を楽にしてください」

 左手を夫人の胸元にかざし、全体をさするような仕草をした。差し掛けられた手は、仄かに光を放っている。今までの法師が行ってきた法術とは違って見えた。

 ゆっくりとやさしくさする感じで、法術の力を照射している。

「ご自身の生命力を信じてください」

 ゼリセイアは黙って頷いた。

 しかし治療を始めてしばらく経つと、猊下に身を委ねている夫人が、眉間にしわを寄せ苦悶の表情をし始める。呻くのを我慢しているようで、脂汗が全身から滴っていた。

 アティアナは不安そうにその様子を眺める。穏やかに治療を受けることができるのだと思っていたが、彼女の想像していたのとは違っていた。

 彼女は母がどのような状況なのかメイベルに問おうとしたが、リューサリィに静かに止められ、グッと押し止まる。

 眺めているアティアナとリューサリィにとり、その時間はひたすら長く感じられた。しかし当のゼリセイアが我慢している以上、見守るしかできないのである。

 この様子を一歩引いて見ていたネルセダとエルラッカムは互いに、どうしてここまでメイベルが大陸の人間らに肩入れするのが不思議でならなかった。二人とも生まれてよりノクトネイラをでたことはない。今回初めてエスルに降り立ち、少しではあるが様々な人間がこの世に存在することは理解した。しかし敬愛するメイベルの思い入れの強さにはいささか驚く。今まで見たことのない彼女の一面に触れ、戸惑いを感じていた。

 それからどのくらいの時間が流れたであろうか。

「終わりました」

 メイベルのその言葉が、それぞれの思いで見守っていた四人に届いた。

 ゼリセイアの表情は、憑き物が落ちたかのように和らいでいる。動悸は荒いが、意識はあるようだった。薄らと目を開ける。

「母様!」

 アティアナが枕元に寄った。夫人は口元だけ微かに微笑む。

「いかがですか」

 メイベルが問うた。

「身体が……熱っぽいです。怠くて体を……動かせません」

 夫人はか細い声で答える。

「当分はこのままの状態でしょう。でも病巣は大分小さくなっているはずです。栄養を良く取り、体力が増せば今までより身体は楽になるはずです」

「本当でしょうか。良くなりますか?」

 重ねてアティアナは尋ねた。

 それに噛みついたのは、ネルセダである。

「無論だろう。メイベル様に間違いはない。信用しないとはどういうことか!」

「いえ、そんなつもりは」

「およしなさい、ネル。大丈夫ですよ、アティアナさん。必ず良くなります」

 アティアナは安堵の表情を見せ、母とリューサリィを見た。

「ありがとうございます。このご恩をどうお返しすれば良いのか。私にできることであれば何でも致します」

「そんなできもせんことを言わぬほうが身のためだぞ」

 またしてもネルセダは上げ足を取る。

「そんなことはありません。お約束致します!」

 メイベルは困った表情で二人を見た。

「どちらもそう感情的にならずに。アティアナさんも、まだお母様の治療は終えた訳ではありませんよ。まずは回復を待ちましょう」

「……はい」

「ネルもです。やきもち焼きは、男の人に嫌われますよ」

 そう言われたネルセダは一瞬唖然とするが、すぐに否定に走る。

「何を仰っているのですか。私はやきもちを焼いてなどおりません!それに……何故ここで男がででくるのです?」

「例えば、の話です。私に対してもこんなに酷いのですから。好きな男性ができたら、もっと過激になりそうで心配になりますよ」

 エルラッカムもついには口をだした。

「やきもちを焼いているのを、気付かれてないとでも思っていたの?誰が見ても丸わかりよ。あなたは感情をだし過ぎる。悟られたくなければ、抑えることを覚えなさい」

「ウグ……」

 メイベルとエルラッカムに畳み掛けられ、ネルセダは真っ赤になって黙りこくった。

 皆に笑いが起こる。


 その頃、ウォルは手持ち無沙汰になりかけていた。

 良く考えれば、夫人への診療がどれほどかかるものなのか、知りようもない。

 屋上庭園は温室と合わせてもそれほど広いものではなかった。すぐに一通りの見回りを終えてしまう。後はいつ呼ばれるのかわからないまま、周囲をうろついていた。

 こんな様子を父に見られたら叱られるだろうなと思いつつ、ウォルは屋上から城郭内を見下ろした。左手に隣接するのはエスル城の主殿である政庁だ。居住棟であるこちらの建物とは違い、どの階層も明るい。ここからは見えない位置だが、歓迎晩餐会も政庁で開かれている。

 内郭の屋上回廊には衛兵の姿も多数見えた。彼らは騎士ではない一般の兵士だ。騎士の数倍の城塞守備兵がいるはずであるが、騎士のように正装をすることもなければ参列することもなく、このような裏方として守備に就いている。

 ウォルの任務地である国境のケブン砦にも、六〇〇名の一般兵が常駐していた。騎士が従騎士を含めても五〇名に満たないことを考えれば、軍の主力は彼らである。今回父ヴァスタロトは、領主トスカラルよりその兵士らを含め、相当数をエスルへ呼ぶように指示をされていた。

 しかし、隣国コルゴット王国に備えるため、父は騎士団のみで赴く決断を下している。本来一般兵の仕事であるラーガントの運搬さえ従騎士に任せる徹底ぶりだった。

 現在砦に残留するのは、指揮を執る騎士が数名と一般兵士のみである。しかし守備力に関しては、通常時に劣ることはないであろう。父はそう判断したのだ。

 ダレスとの付き合いから、彼らとの交流に抵抗のないウォルにも、それが理解できる。

 しかし仲間内には、彼らだけに守備を任せることへの不安視、あるいは身分の高い者だけがエスルへ随行できるという優越感に浸る者もいた。

 確かに一般兵の中には無教養の者や素行の悪い者も多いが、それは騎士の内にも充分過ぎるほど存在する。彼らを蔑視する理由にはならないはずだった。

 しかしこの隔たりは、父が軍司令官となってより幾度も解消を試みようとしたが、依然としてなくなりはしない。

 そして久しぶりに再会したアティアナにも、そんな特権的な配慮のなさが時折り見え、それに心が痛んだ。愛らしさ、美しさを備えている彼女でも、そういった意識を持っている。

 ウォルはハッとして、自らを叱責した。

 再会してまだ半日しか経っていない彼女に、勝手な評価を下している己こそ、偏見に満ちているのではないのか。

 ウォルは目を見開き、遠くを眺めた。思考を変えるには丁度良い。

 丘の上に建つエスル城からは、すそ野に広がる街並みの夜景が綺麗に見えた。その先には、闇と溶け合った黒い海が水平線の彼方まで覆っている。

 そういえば、港の様子はどうだろう。街と海の堺に視線を移した。

 総督のホグーラグ以下ラーグリス王国直属の将兵が、ノクトネイラの船より騎神兵を港に下ろす作業をしているはずである。ホグーラグへの心情はどうあれ、兵士たちが大変な仕事を任せられていることに同情した。

 明日には各国に受け渡すことになるが、それまでは夜通しの警備になるのだろう。

 今はどの程度、作業が進んでいるか気になり目を細めたが、さすがにその様子までは望めなかった。

 ただ港付近には、赤や黄の閃光が点滅しているのが見える。不思議な光景だった。

 眷属たちあるいは法師らが法術でも使用しているか、それともノクトネイラの船が出航の準備をしているのか。全く判断がつきかねた。

 ウォルは、その時折り大きく弾けるその光に、次第に只ならぬ雰囲気を感じ始める。

「まさか……」

 それでも思わずにはいられなかった。

「港が攻撃を受けているのではないのか」

 アティアナの父トスカラルが言うように、この時期を狙って戦を仕掛けるなど正気の沙汰ではない。しかしソウブロアの動向を見ると、攻撃の可能性も否定できなかった。

 他に気付いている者はいないのか。そう思い、外にでている衛兵たちの様子を探る。しかし警備という職務を遂行している兵士たちに、遠くの景色を眺めている者など一人もいなかった。

 ここは報告に行くべきだ。ウォルはそう決め、再び現場を確認しようと港を見やる。

 その時、強い閃光が目を一瞬眩ませた。

 一歩遅れて、耳を衝く爆音も轟く。

 港で爆発が起こったのだ。黒い煙に赤い炎が照り返している。

 これにはさすがに、ウォルも唖然とする他なかった。

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