あとがきに代えて 『私』
この世界には様々な想いや感情がある。
愛情や友情、嫉妬、怠惰、色欲、暴食、傲慢、強欲、憤怒。挙げればきりがないくらい、沢山の感情を私たち人間は持っている。
それは、全て私たちの内面で起こる事象なのだ。
例えば、何か厭なことが起こったとする。厭だ、という感情が引き起こされるのは、ひどく正常な心の働きだ。
でも、一度考えてみて欲しい。
私が「厭だ」と感じなければ目の前の厭なことは、厭なことではなくなるのではなかろうか。そもそも、私が「厭だ」と思うことで、目の前の事象を厭だと感じてしまうのならば、私が「厭だ」と思うのは完全に我が儘で身勝手な行為なのではなかろうか。何故って、私が「厭だ」と感じなければ、そもそも何も“厭”という状態ではないのだから。私が“厭”の原因なのだ。そう思ってしまう私自身が。
ならば、そう思わなければ良い。
だから私は、何も思わないことにした。何も感じないことにした。そう決めた。
悪いのは全て私。「厭だ」「恐い」「痛い」と感じてしまう私の感情など存在しなければ、何も厭ではないし、恐くもないし、まして痛くもないのだ。本気でそう思った。溢れ出ようとする感情をひたすらに、がむしゃらに押し殺す日々が続いた。
そして、気がつくと私は、何も感じない人間になっていた。どんなことにも心が動かない。
喜びも、悲しみも、怒りも、全て解らなくなった。如何いう時に笑って、如何いう時に泣けば良いのか、全然解らなくなった。全て何処かに飛んでいってしまった。いや、飛んでいったのではない。殺したのだ。他でもない私が。
それが人間として良いことなのか、私にはもう本当に解らない。心にぽっかりと穴が開いていて、感情を溜めることができない。だから何も感じない。
一番困ったのは、周りの友達との会話だ。誰かが冗談を言うと、それにつられてみんなして一斉に笑い出す。げらげらと口を大きく開けて、笑うのだ。
私も置いていかれまい、と必死になって笑ってみる。笑顔を顔に貼り付けるだけだ。簡単だ。作り笑いくらい、容易だ。少し頬が痛むけれど。
ただ、みんなの笑いの理由が解らないのだった。
如何して?
如何してみんなは笑えるの?
私は無感情。
心が冷え切って、錆びついて、色褪せて、何も感じない。
生きているのが辛い、という感情すら消えていた。
死にたい、とも思えない。何も感じないのだから。
まるで生と死の間をゆらゆら揺れる海月みたいだ。
別にどちら側に転んだとしても、私は潔くその状況を受け入れるだろう。何故かは聞く意味すらない。生も死も、私にはなんら意味が感じられないから。死にたいとは思わないけれど、生きたいとも思わない。そんな気分だから。
長い息を吐くと共に、書き終えた原稿に目を通す。ついつい昔のことを思い出してしまった。 私が無感情になったきっかけ。心を殺そう、と思った頃の記憶。
それはきっと、今書き上げた物語の所為だと思う。たった仕上がった作品群には、沢山の『私』が描かれている。性別は全て女だけれど、性格がばらばらの『私』たち。
感情のなくした私が唯一、安心できる場所。それが小説だった。
言葉と記号に支配された世界。
誰も邪魔なんかできない、私だけの世界。
私がキーボードを叩いて物語を紡ぐ時、私はその世界の神になる。全てが思いのまま。感情というものを表現できるのは、物語の中だけだった。
絶対に普段の生活では言えないような、考えもしないようなことも、文字にならすらすらと表せた。
だから私はまだ生きている。物語を書く為に。別に誰かに見せる訳でもないのに。私は文字を書くことに没頭していた。そんな時だけ、無気力で無感情な自分から少しだけ解き放たれる、そんな思いもした。
完成した話をざっと読み返してみる。
全部で九篇。
登場する『私』たちには並行世界を生きて貰った。それはもしかしたら、この現実世界の何処かに、彼女たちの存在する世界があるかも、などという私の馬鹿げた妄想からかも知れないのだけれど。
作品の中の少女たちは私とは決定的に違う。私は『私』にはなれない。解っている。
彼女たちはきちんと笑って、きちんと泣ける。そんな当たり前のこともできなくなった自分とは、大違いなのだ。
作品の中の『私』は、この私から生まれた存在。
沢山の『私』を書いたけれど、きっとその中で何処か私と重なる部分がある。
作中の『私』は、私を分解して一個一個のパーツに分けて、その中の一掴みを合わせたようなものだから。
だから、共感できる部分も出てくる。どきっとさせられる箇所が見つかる。
それは私に限らず、周りの友達や、何処か遠いまだ逢ったことのないような誰かも同じこと。
きっと誰もが、『私』の一部なのだ。物語は、だから面白い。
世の中には、それこそ数えきれないくらいの物語がある。その物語の中に出てくる『私』には、もしかすると自分なのでは、とさえ思ってしまうような人物もいるのかも知れない。
では、この私という存在は何なのだろうか? ふとそんなことを考える。
無感情で、物語の中の世界にしか熱中できない、この私は。
私と『私』の関係図。
私は様々な『私』の集合であり、様々な『私』の一要素が私。
物語を読んだ人たち全てに存在する『私』と、今物事を必死に考えているこの私。それらは完全に一致はしないけれど、何処かで重なる部分が絶対にある。
何処の誰かも解らない人の『私』と、この私が何処かで少しでも良いから重なっている、という考えはなんだかとても素敵だと思う。
何も感じない筈の心が、微かに揺れた気がした。
なんだか気分が良い。如何してだろうか。
もう何も感じないと思っていたのに。私の世界はこの狭い部屋の中で完結してしまうものだと思っていたのに。
でき上がった作品の最後を読んでみると、何かが足りない気がした。もどかしい感じ。
何だろう。
考えてみると、答えはすぐに見つかった。
物語内の彼女たちのことを、救いたい。そう思った。
でもそれはきっと無理だから。私はこの物語の世界の神のくせに、何もできない。現実世界の神様と一緒だ。どうせ何もできない。
だから私は、最後に二文だけ付け加えることにした。
カタカタとキーを叩いて、文字が紡がれる。私の気持ちの具現化。
これでこの話はおしまい。
でも、私のこの下らない物語はまだまだ続く。
唐突に死が訪れるまで、私は生きていくしかないのだ。
辛い運命に立ち向かう彼女たちの為に付けた、最後の一節。
何処かで重なっていても、『私』と私とが違うのならば、せめてこれからも楽しく過ごしてくれるように。私は願いを込めて、筆を置く。
彼女たちに
祝福あれ。
彼女たちに 〈了〉




