沈黙の反応
国防省中央指揮所の空気は、冷たいままさらに重くなった。
大型モニターに映る東シナ海の光点群は、依然として南西へ着実に進んでいる。四隻の原子力空母大和級を先頭とする連合艦隊は、もう瀬戸内海を完全に抜けていた。
大野田喜美総理は、視線を外務大臣へと移した。
彼女の声は静かだが、指揮所全体に響くほどはっきりしていた。
「外務大臣。中国側から、最後通牒に対する反応はまだありませんか?」
尋ねられた鈴本多香子外務大臣は、軽く息を吸ってから一歩前に出た。
13年前の2027年、彼女は中市早苗美内閣で民自党広報本部長を務めていた。当時、日本本土に戦後初の弾道ミサイルが着弾し、827名の死傷者が出た瞬間、SNS上で爆発的に広がる国民の怒りと悲しみを、彼女が正面から受け止めた。
「もう二度と、他国に命運を委ねない」という世論の叫びを、広報本部長として情報共有し続け、防衛費増額や憲法改正の機運を高める役割を果たした。
再軍備計画が本格化してからは、広報本部長としてその規模と意義を国民に丁寧に説明し続け、中市総理の内閣改造で初入閣を果たした。そして大野田総理が組閣する際、外務大臣に抜擢されたのが鈴本多香子だった。
外交の最前線で、再軍備後の日本が国際社会にどう位置づけられるかを、常に考え続けてきた人物である。
鈴本外務大臣は、卓上ディスプレイに映る中国側の状況を示しながら、落ち着いた声で答えた。
「総理。中国政府は、今日未明に発した我が国の最後通牒に対し、一切反応しておりません。
公式声明も、外交ルートを通じた回答も、一切ありません。
駐日中国大使館および各領事館も、通常業務を続けているだけで、特別な動きや人員の引き揚げ、緊急事態宣言などは確認されていません。
北京の外交部報道官に動きはみられましたが特に記者会見は開いておらず、また開く見込みもありません。」
指揮所内に、短い沈黙が落ちた。
モニターの光だけが、皆の顔を青白く照らしている。
大野田総理は軽く眉を寄せた。
予想はしていたが、完全な黙殺はやはり重い。
13年前の白紙講和の記憶が、脳裏をよぎる。
そこへ、大泉進太郎国防大臣が静かに口を挟んだ。
彼はすでに複数の偵察衛星と早期警戒機からのデータを確認済みだった。
「総理、外務大臣。
残念ながら、外交的な沈黙とは裏腹に、軍事的な動きは活発です。
偵察衛星の最新画像と、航空宇宙軍の早期警戒機のデータによりますと……
中国海軍の東部戦区所属艦隊が、舟山基地および青島基地から大規模に出撃準備を進めています。
空母2隻を含む主力水上戦闘群が、すでに港外に移動を開始。
また、陸軍の東部戦区および南部戦区でも、機械化部隊と揚陸部隊の移動が確認されています。
空軍も戦闘機・爆撃機の緊急展開が活発で、戦略ミサイル軍も一部の移動式発射装置に燃料注入の兆候が見られます。」
大泉大臣の声は淡々としていたが、その内容は重かった。
大野田総理は、ゆっくりと息を吐いた。
ため息に近い、しかし決意のこもった吐息だった。
「中国は……やる気満々ね」
彼女の言葉は、指揮所に静かに響いた。
モニターの光点が、連合艦隊の進行を示す青い軌跡を刻み続ける中、誰もが次の言葉を待っていた。
中央指揮所の時計は、午前6時38分を示していた。
最後通牒の発出から、まだ数時間しか経っていない。
しかし、すでに両国の運命は、静かに、しかし確実に動き始めていた。




