狂人は胎児を夢見る
どれくらい走ってるのだろう。足の感覚はほとんど無い。肺が熱いのか、頭がフワフワしてるのか。ひとたび走る足を緩めれば、疲労からくる足の重さにしばらく動けないだろう。
だから走らなければ。這ってでも、花咲さんを―――
『もういいじゃないか。これ以上あの子を苦しめるな』
「―――ッ!?」
『捜して、見つけて、どうする? 抱きしめるのか? 俺が悪かったと謝罪するのか? なら昨日と今日のお前の行動は何だったんだ?』
「……」
『自分が寂しいからって、周りの人間で暖を取っていい訳じゃない』
「……そんなんじゃない」
『そうだな。お前は他人を不幸にさせる疫病神だものな。心に酷い傷を作り、それを利用して自分にとって都合の良い人形にしてるんだ』
「俺は―――」
『ワガママを素直に言えない。それなのにいつも気付いてほしそうにしている。言葉や態度で示さなければ分からないと知りながら、誰かに気付いてもらえる時を心の底から待ち望んでいる。俺にも教えてくれよ。お前が求めているのは子宮か?』
「知った口を!!」
振り返ったそこには誰もいない。
再び雨の音が耳に騒ぐ。いつの間にか立ち止まっていたようだ。
狂った話だ。自分が作り出した幻の自分に諭されるなんて。あれが俺の深層心理が作り出した幻というのなら、どうして俺が残ってしまうんだ。年々バージョンアップする機械のように、駄目な自分と入れ替わるべきなんだ。人格というものが存在するんだ。それくらい出来てくれ。
少し休んだおかげで歩けるようになり、とりあえず前に進んだ。あてもなく走っていた所為で、帰り道が分からず、携帯は充電が切れている。
傘をささないと。雨が降ったら傘をささないと濡れてしまう。風邪をひいてしまったら、薬を飲んで、寝て、薬を飲んでの繰り返し。誰もいない部屋で一人。壁に頭を打ち付ければ、頭痛は痛くなくなるだろうか? いや、頭が痛いというより、頭がカラになって、三角スポットの人間を愛でたくなるんだ。それは触れないが撫でれて、話せないが会話が出来て、不在だが存在している。傘はいらない。もう濡れてる。
どうして俺は生きてきたんだろう? 母親も父親も家にあまりいないし、たまに会えるのが余計に寂しくなる。二人は口では「愛してる」なんて言ってるが、一度だって俺の本心に気付いた事が無い。不自由ない暮らしを送らせれば満足すると思っているのだろうか?
愛してほしいなんて贅沢言わない。
嫌ってくれても構わない。
ただ同じ場所に居てほしい。
俺を子供にしてくれ。
愛して。
一緒に絵画の中に閉じ込められて。
「カナタ君」
花咲さんが居る。こんな大雨なのに、不思議とあまり濡れていない。
「駅の中にある購買で傘を買ってたら、カナタ君が傘もささずに外へ飛び出したからビックリしたよ。急いで追いかけたけど、ずっとずっと走ったままで。ようやく追いついた」
「……」
「どうして体育座りしてるのか分からないけど、早く家に帰ろう? 風邪ひいちゃう」
言われて気付いた。俺は知らぬ内に道の端っこで座り込んでいる。濡れた衣服の冷たさに今更になって肌寒くなってきた。
「……花咲さん」
「なに?」
「もう、死ぬなんて考えてない……?」
「私からすれば、今のカナタ君の方が死にたがってるように見えるよ」
「……ごめん」
「そっか、やっと理解した。心配して追いかけてくれたんだ。カナタ君には冗談は言わない方がいいね」
「……寒い」
凍える寒さに体を丸めた。ほんの少しでも温まるかと思ったが、凍えた体ではロクに暖を取れず、ますます寒くなる一方。
そう思っていると、急に温かくなってきた。雨が止んで陽が出たのかと思ったが、降る雨や傘に弾く雨の音は尚も聞こえる。
温かいだけじゃない。柔らかくて、良い匂いで、落ち着く。
「もう、寂しい思いはさせないよ」
その花咲さんの言葉をキッカケに、自分が今抱きしめられている事に気付いた。雨で濡れた俺を抱きしめている。自分も濡れる事を厭わずに。
離さないと。もしくは離れないと。
そう自分に訴えかけて動かした手は、花咲さんの背に回していた。
手の平から感じる花咲さんの感触。
香る花咲さんの匂い。
流れ込んでくる花咲さんの体温。
手放せなくなっている。これが花咲さんの策略だとしても、孤独を和らげるのなら構わない。
今日はもう疲れた。




