懐柔
ソファに座ってる時。家事をしている時。そういう立ち止まってる時に、花咲さんは抱き着いてくる。これで誘惑してくるのなら心置きなく引き剥がせるのに、無言でいる所為で抵抗するのが悪な気がしてしまう。
結局のところ、俺が何もしなければいいだけなのだ。花咲さんを幽霊だとでも思って、普通に生活していればいい。そうすれば、間違いなど起きないし、罪悪感を覚える事もない。
「……花咲さん。今日は家で何をやってたの?」
「ずっと待ってた。カナタ君の事」
「そっか……」
何もしていないのだから、話が膨らむはずもない。やはり俺が話題を出して、俺が話を膨らませないと。気まずさとは違う妙な焦燥感がそうさせる。
「……今日、学校でさ。ちょっとやり過ぎたんだ」
「どんな事?」
「タケシとリンが待ってる屋上に行こうとしたら、三年の男子に絡まれて。早く二人のもとへ行きたかったから、その……軽く小突いたつもりだったんだ。でも実際は、必要以上に暴力を加えてしまったみたいで……でも、俺はちょっと小突いたくらいだと思ってて……よく憶えてないんだ」
「つまり、無意識?」
「……ストレスなのかな?」
「いいんじゃないかな。怪我をした先輩方はカナタ君に悪意を持って絡んできたんでしょ? なら、言葉で切り抜けようがない。必要な行為をして、不必要な事を忘れた。お腹が空いて食べ物を食べるけど、食べた物をいつまでも憶えてないのと同じで」
「でも、暴力は食事と違う。暴力を加えられた人間の記憶に焼き付く。だから、暴力を加えた人間は憶えていないといけないんだ。そうじゃなきゃ、暴力は肯定されてしまう」
「それは理由が無い時だけ。理由のある暴力は肯定されるべきだよ」
皿洗いが終わり、水を止めた。タオルを二枚取り、俺の首に回している花咲さんの手に一枚握らせた。花咲さんは面倒臭げに小さくため息を吐くと、俺の隣に並んで食器を拭き始めた。
「もうすぐで十月が終わる。十一月―――いや、十二月にでも学校に来ない?」
「行ってどうするの。私を待ってる人なんて、あそこにいない」
「それでも将来の為に行くんだよ。花咲さんは十八を迎えた後どうするのさ」
「カナタ君のお嫁さんかな?」
「そりゃ高望みだ」
「ならペット」
「カルト映画みたいになりそうだから却下。花咲さんなら何にでもなれる可能性あるでしょ。大学に行ってもいいし、何かの職に就いてもいい。父さんと母さんに頼めば、学費も生活費も多少は援助してもらえるさ」
「そうは言っても、産まれた時からアオの妻になるよう言われてきたから、今更自分の進路を決められないよ。今の私には、人生のレール自体が無い状態なの。それでカナタ君の後ろに連結しようとしてる所なんだけど、中々上手くいかないものね」
「要するに寄生しようってわけね。俺に寄生しようとしたって、ロクな事にならないと思うけど」
食器を拭き終わり、拭き終わった食器を棚に戻した後、ソファに座ってテレビを点けた。当然のように花咲さんは俺の隣に座り、俺の太ももの上に頭を乗せた。花咲さんの後頭部が俺の股間に触れているというのに反応しない。やはり花咲さんではそういう気分にならないようだ。
特に会話も無くテレビを眺めていると、携帯にメッセージが届いた。見るとトウカさんからで、花咲さんが着信拒否をしているという文と、二十代前半の今風なイケメンの写真が添えられている。俺から例の件を花咲さんに伝えろという事だろう。
「……花咲さん」
「なに?」
「……いや、なんでもない」
そう言って、花咲さんの眉間を指で小突いた。花咲さんは少しムスッとした表情を浮かべた後、微笑んで俺の腹部に顔を埋めた。
そんな花咲さんを眺めながら、片手間にトウカさんからのメッセージを削除した。




