海面
「すみませんでしたね、貧乳で」
「え?」
久しぶりに食べる肉屋のコロッケを堪能していると、突然リンが自傷した。
おおかた、リアナ先輩の胸が衝撃的過ぎて、自分の胸と比べて自信を失っているのだろう。男が背の高さにコンプレックスがあるように、女性も身体的なコンプレックスがある。
「リン。お前は確かに貧乳の類だけど、器の大きさは世界一だぞ」
「え、馬鹿にしてます?」
「え、馬鹿にしてた?」
「……まぁ、先輩ですしね。胸の大小を気にしない事は分かってますよ」
「じゃあ、なんで聞いたのさ?」
「昨日まで花咲先輩ばかりに現を抜かしていた先輩への仕返しです! 僕の発言に下手な言葉で慰めてきたら攻めてやろうと思ってました! 実際は、ド下手くそな慰め言葉でしたけど……」
「別に胸が大きいからって、リンみたいに器がデカいわけじゃないしな」
「そうですよ! 普通の人じゃ先輩に愛せません! 僕のように良いも悪いも全て愛してあげる女性でなければ!」
「それはそう。こんな俺を見捨てずに付き合い続けてくれてありがとう、リン」
「エヘヘ! 褒めてもイチャイチャしか出来ませんからね!」
リンは俺の腕に抱き着くと、満面の笑みで頬擦りしてきた。こんな愛らしい彼女を第二に考えて花咲さんを第一に考えていた過去の自分を殴りたい。いや、殴るだけじゃ足りない。生まれてきた事を後悔する程に拷問する。一分毎に一本のカミソリで体に傷をつけ、一時間後に使ったカミソリの刃六十本を食べさせてやる。身体的な痛みだけじゃなく、精神的にも―――
「先輩。怖い顔してますよ?」
「―――え?」
「まったく……花咲先輩と深く関わるようになってから、悪い意味で馬鹿になってますよ?」
「馬鹿に良いも悪いもあるのか?」
「良い馬鹿は他人の言動を深く捉えずに明るい事。悪い馬鹿は今の先輩のように、何でもかんでも重く捉え、深く考え、結局答えが出せないままズルズル引きずる事です」
「そうか……そうだな。俺は悪い馬鹿だったよ」
「フフ! カナタ先輩も花咲先輩も、タケシ先輩みたいになればいいのに。あの人はうるさくて気持ち悪い人ですが、根の明るさはピカイチです!」
「じゃあ、俺も花咲さんも今度からリンにダル絡みするからな」
「悪い所を真似しないでください!」
他人に対して重く捉えず、深く考えず、明るい馬鹿。それはきっと、なろうと思ってなれるものではないと思うよ。
リンのマンションに着いた。入り口前で別れ、自分の家路につこうとすると、リンに引き留められた。
「先輩。うちで晩ご飯食べていきませんか? 今から作るので、少し時間は掛かりますけど」
「……いや、遠慮しておくよ」
「花咲先輩が、家で待ってるから?」
「不安か?」
「そうですね。不安です」
「だよな。安心してくれと言葉で言った所で、信じ切れるものじゃない事は分かってる。でも、俺はリンを選ぶよ。これからも」
「……先輩。僕が不安なのは、先輩が道を見失う事です。二つに分かれた道のどちらにも進めず、暗い穴の底へ身を投げる。先輩がそうなってしまうくらいなら、僕は―――」
「リン。俺は今まで、自分なりに上手くやってきたつもりだ。お前が言う暗い穴の底へ何度も身投げしようとも思ったさ。だが、今も俺は道の途中だ。今までの苦難を考えれば、花咲さん一人どうって事ないさ」
「……分かりました。それじゃあ、また明日。先輩」
リンは俺の目の前まで歩み寄ると、俺の胸におでこを当てた。
その瞬間、俺の心は澄み渡った青空のように汚れなく、深い海の底へ沈んだかのような息苦しさに襲われた。
俺は絶対に、リンを裏切ってはいけない。
この息苦しさを覚えて、俺は生きていかなければいけない。
この心に、花咲さんを立ち寄らせてはいけないんだ。




