瓦解
今日は久しぶりにリンの家に来ている。家に来たのも、二人っきりなのも久しぶりだ。ここのところ、ずっと花咲さんもいたから。
「それでどうなんですか? 花咲先輩との二人っきりの同棲生活の調子は」
俺に寄りかかって湯に浸かるリンが訊ねてきた。言い方が少し不満気だな。
「どうだろうね。あと三点で退去ポイントが貯まるんだ」
「え? 二週間待たずにもうですか?」
「そうなんだよ。逆効果だったかな?」
「現実味が無いからじゃないですか? なんだかんだ言って、先輩が自分を家から追い出さないと確信してるんですよ。優しさに付け込まれてるんですよ」
「そうなのかな~?」
実際、ポイントが貯まってしまった場合、俺は本当に花咲さんを追い出せるのだろうか。こんな風に考える時点で、退去ポイントなんてハッタリだと認めてしまっているようなもの。つくづく甘いな。
「そういえば先輩。タケシ先輩と会いましたか?」
「タケシ? いや、最近は会ってないな。学校行ってないし」
「たまには会ってやってください。あの人、大分根に持ってますよ?」
「根に持つ? 何が?」
「何もするなと言った本人が、一人で花咲先輩の家に殴り込みに行っちゃったんですから」
「それは―――」
「分かってます。タケシ先輩に気を遣ったんですよね。サッカー部のエースに汚名をつけてはいけないと」
「アイツは俺と違って、良い人生を歩んでる。その邪魔になるような存在になりたくないんだ」
「……先に上がります。先輩はもう少し湯に浸かっていてください。飲み物を用意しておきますから」
俺の頬に軽くキスをして、リンは先に脱衣所へ出ていった。
一人取り残され、俺はあの日の事を思い出した。俺が花咲さんの父親に襲われ、頭に怪我を負ったのを見たタケシの表情。今まで見た事の無い表情だった。ただ怒ってるだけじゃなく、もっと複雑化された感情。
結果として、一人で動いたのは正解だった。あの場にタケシもいて、怪我なんか負ったら、俺は自分を許せなかっただろう。俺の為に何かしようとしてくれたのは嬉しかったが、それ以上に傷付くのが怖かった。
リンとタケシ。俺にとってかけがえのない友人。リンは恋人になったが、だからといってリンの方が大切になったわけじゃない。俺にとって二人は、自分の命よりも大切な存在。二人がいたから、俺は泣かなくなった。
今度、タケシに連絡を取ってみるか。それで予定が合えば、久しぶりに遊びに行こう。アイツに付き合って、スポーツで遊んでもいいな。
風呂から上がると、テーブルにはアイスコーヒーとクッキーが用意されていた。席についてストローでアイスコーヒーを一口飲んでから、クッキーを一つ口に放り込んだ。出来立てではないが、リンの手作りだ。甘いだけの市販品とは違って美味しい。
「先輩。学校にはいつ戻ってくるんですか?」
「う~ん……せっかくだし、もうちょっと休んでよっかな」
「出席扱いになるとは聞いてますが、あんまり休み過ぎると登校しづらくなりますよ?」
「雪が降る頃には行くさ」
「その頃になれば冬休みになってます。というか、いいんですか? 十一月には修学旅行があるんですよ? 色んな所で、二年の人達が修学旅行の話をしてるのをよく見てます」
「修学旅行か……行かない方がいいんじゃないかな? ほら、俺って色々悪目立ちするじゃん。事情を知らない人からすれば、同級生の家に押し入って、一家全員ボコボコにした危険人物だし」
「事情を説明すればいいだけじゃないですか」
「信じてくれるかな。信じたとして、やっぱり怖がられるよ。どんな事情があれ、暴力で解決した人間が近くにいるのはやっぱり怖いと思う」
クッキーを一つ食べ、アイスコーヒーを少し多めに飲んだ。やっぱりこのクッキー美味しいな。一旦食べるのを止めて、家に持って帰って花咲さんにも食べさせたい。それで対抗心を燃やすかもしれないけど。
「……先輩。戻ってきますよね?」
「戻るよ。流石にずっと休んでるわけにもいかないからね」
「……ちょっと、不安なんです。このままだと先輩が戻ってこない気がして」
「戻るって。そんな不安がる事でも―――」
「先輩」
リンは席を立つと、俺の背後に回って抱きしめてきた。
「先輩は……花咲先輩に肩入れし過ぎです……」
「……分かってるよ」
「先輩。僕はもう、一人で帰るのは飽きました……」
「……ごめん」
「―――は?」
酷く冷たいリンの声が、場の空気を凍らせた。
慌てて言い直そうと席を立ち、リンの方へ振り向いた。
リンは泣いていた。困ったように、泣いていた。
それからの事はあまり憶えていない。気付けば自分の家の前にいて、手にはリンのクッキーが入った袋がある。
「ごめんって……なんだよ、その言い方……」
俺は今になって、自分の発言がいかに愚かだったかを痛感した。




