甦る
鉢合わせた花咲さんと病院近くのドーナツ屋にいる。俺の偏見だが、ドーナツ屋で提供されるコーヒーのマグカップって太いよな。普通のカップよりも太くて、かといってカップが熱くないわけじゃない。むしろ口をつけた時の熱さは普通のより熱い。そもそもコーヒーを頼む人が希少だ。ドーナツなんて、ついでにコーヒーを飲むんじゃなくて、コーヒーのついでにドーナツを食うもんだろ。
「カナタ君。ずっとカップを睨んでどうしたの?」
「心の中で文句言ってる」
「何に?」
「何かに」
「ふーん。というか、あれだね。普通のドーナツにブラックコーヒーって、何の面白みの無いチョイスだね」
「花咲さんこそ。何、その変な色のドーナツと飲み物は……」
「期間限定らしいよ?」
「味は?」
「おぉ……って感じ」
「期間限定品なんてそんなもんだよ」
それにしても本当にそれは食べる物なのか? 飲める物なのか? ドーナツはまぁ分かる。ケミカル色のチョコなのだから、きっとケミカルな味なのだろう。しかし横の飲み物の方は色は変だし、なんか浮かんでるし。下水道の一番汚い場所からインスピレーションを得たのだろうか。
「……これから、どうするんだ? アオの両親はともかく、花咲さんの両親はもう二度と出れないんだろ?」
「確定したわけじゃないけどね。でも、もう二度と会えないと思う。悲しくもないし、むしろホッとしてる。問題は、これから先の事。家には当分帰れないし、私を引き取ってくれる人もいない。祖父母も今回の件で完全に愛想が尽きちゃったみたいで、私も見捨てられちゃった」
「信じられないな。家族の縁がそんな簡単に切れるとは思えない」
「それはカナタ君の家族が良い人だからだよ。悪い人だと、家族にだって見放される。親が親なら、子も子だと思われる」
「……アオの言った通りだな。親の束縛から解かれ、自由になれたかと思った。でも、これが本当の自由かは分からない。むしろ前より不自由な気がしてならない」
「アオなら大丈夫でしょ。色んな女の人と仲が良いんですもの。お金も両親から送られてくるだろうし」
「花咲さんは?」
「私は無関係。いくら仲が良かったって、それは過去の話。現に、アオの両親は私の両親に全ての罪を押し付けたそうじゃない。脅されて仕方なくやってたって。人と人の関係なんて、簡単に切り離せるのよ」
花咲さんは苦い顔を浮かべた。それはアオの両親に対してか、あるいは一口飲んだ飲み物の所為か。
他のテーブルにいる客を眺めた。家族で仲良くしてるテーブルがあれば、恋人といるテーブルも、一人でいるテーブルもある。こうして見る分には見たままだが、その内情は謎だ。一人でいる人は今日たまたま一人なのかもしれない。恋人や家族でいる人は、明日には一人になってるかもしれない。
人の関係というものは、五感では把握出来ず、推理では察せられないものだ。
「そういえば、カナタ君。カナタ君って、私の裸を見たよね?」
「え? 急に何の話?」
「ほら。助けに来てくれた時、私もアオも脱がされちゃってたじゃない」
「ああ。それで、それがどうしたの?」
「責任、取って」
「何の責任?」
「女の子の裸を見たのよ? 責任を取るのが常識でしょ」
「詐欺的だね。で、俺はどんな責任の取られ方をされるの?」
「しばらく家に置いてもらうとか?」
「それくらいなら別に良いけど」
「良いんだ。じゃあ別のにしようかな?」
「リンと別れる以外なら、大体の責任の取られ方を受け入れるよ」
「……じゃあ、居候でいいや」
大本命を外されて機嫌が悪くなったのか、花咲さんは腕を組んでそっぽ向いた。相変わらず略奪を狙っているようだが、諦めが良くなったのは褒めるべき……だろうか。
ドーナツ屋から出ると、花咲さんが腕を組んできた。
「家までこうして行こうよ」
「リンを見かけたら、すぐに離れてくれよ」
俺が承諾すると、花咲さんは俺の肩に頭を寄せてきた。腕を組むぐらいならばと思ったが、よくよく考えれば俺と花咲さんの関係で腕を組むのは過剰な気がする。手を繋ぐのだって、本来はありえないのに。
人通りが全く無い道まで来ても、花咲さんは俺から離れようとしない。
ふと、思った。花咲さんは俺の腕にしっかりと抱き着いている。俺の腕は今、恋人以上でなければ触れられない部分にも触れている。なのに、俺は驚くほどに何も覚えない。花咲さんが俺の腕に抱き着いているとしか。
俺にはリンという恋人がいて、浮気をするつもりは無い。だが、異性の体に触れて無反応とはならない。男というのはそういうものだ。
じゃあ、どうして俺は花咲さんに何の下心も覚えないのだろうか。
「……花咲さん」
「ん?」
「変な質問するんだけどさ。今、俺の腕は花咲さんの色んな部位に触れてるわけじゃん」
「……ドキドキ、してるの?」
「それが全く」
「酷い」
「……変なんだ。リンや、タケシやアオには明確な感情っていうか、どういう関係かは言葉に出来る。でも、花咲さんの場合……よく分からないんだ。あの時とは違って、ハッキリと出来ない」
「あの時?」
「うん。俺さ、花咲さんの事が好きだったんだ」
「……え?」
「多分、今も好きだったんだと思う」
「え……え!? ちょ、ちょちょっと! 一旦ストップ! ちょっとだけ考えさせて!」
花咲さんは組んでいた腕を解き、顎に手を当てて考え込んだ。
「…………え、私の事が好きだったの?」
「うん」
「うん、って……え~」
体から全ての力が無くなったかのように、その場にしゃがみこんだ。しばらく眺めていると、急に俺のスネをグーで叩いてきた。
「好きだったって……過去形じゃん……」
「うん。だって今はリンが恋人だし」
「両親が憎い……」
「それはそうだね」
「……でも、そっか。私の事、好きだったんだ! フフ!」
花咲さんは笑い声を漏らすと、急に立ち上がった。数秒俺と目を合わせると、急に抱き着いてきた。
「どうしたの?」
「フフーン! 私にも勝ち目があるんだなって!」
「無いと思うけど……」
「あるの! 好きって気持ちは、一度覚えたら簡単には切り離せないものなんだから! だから、カナタ君がまた私の事を好きになってくれる可能性があるの!」
無理がある考えだが、そういうものなんだろうか。
いや、そういうものなんだろう。失恋しても、リンと恋人になっても、俺は花咲さんを忘れられずにいたのだから。
「先輩方。何やってるんですか?」
その声に、俺も花咲さんも戦慄した。
声がした方へ顔を向けると、そこには呆れた表情を浮かべつつ、拳を固く握りしめたリンが立っていた。
「先輩。ご説明を」
「えっと……」
「リ、リンちゃん? ど、どっちに言ってるのかな?」
「どっちもに決まってるでしょ!!!」
秋の夕暮れ。寂しげな夕焼け空の下、騒がしい断末魔が響き渡った。




