喪失
後頭部が痛い。頭が朦朧としてる。鈍器で殴られたのか。
花咲さんを連れ去られてからどのくらい経っただろう。いや、連れ去られるなんて言い方は正しくないか。父親が娘を家に連れ戻したのが正しい。平気で他人を殴る人だったが、まさか鈍器でも殴ってくるなんて。
夕焼け空。気絶してから二時間くらいか。頭を殴られたのは災難だったが、意識を取り戻せたのは幸いと言えるだろう。ここは人通りが少ないし、誰にも発見されずに死んでもおかしくなかった。
「先輩?」
リンの声がした。見ると、リンが地面に座り込む俺に困惑していた。やがて俺が怪我をしている事に気付くと、リンは血相を変えて俺に近寄り、傷の具合を見た。
「結構酷い?」
「……誰にやられたんですか」
「……花咲さんの父親に」
「……許せません」
「生きてるだけ儲けもんだ。悪いんだけど、肩貸してくれない? 一人じゃ歩けそうにないよ」
俺が手を差し出すも、リンはそれどころではないようで、携帯で警察か救急車を呼ぼうとしていた。
「いいよ、大事にしなくて。もう済んだんだ」
「何も済んでなんかいません!! 何も!! 先輩襲われたんですよ!? もしかしたら死んでたかもしれないんですよ!? これは立派な犯罪です!!」
「まいったな。俺、警察も病院も苦手―――」
乾いた音が響いた。左頬がジンジンする。
「……あ」
リンの表情がどんどん曇っていく。見開いた目には涙が溜まり、開いた口からは不規則な息遣いが聞こえてくる。
「ご、ごめ、ごめん、さ、ご、さい、ごご、さ……!」
リンは上手く言葉を喋れずにいた。俺の頬を叩いたのは無意識な行為で、間を空けて自分が叩いた事を理解してしまい、罪悪感に襲われてるのだろう。
俺はリンの手を掴んで引き寄せ、出来る限り力強く抱きしめた。
「気にしなくていいよ。心配させてごめん。とりあえず、家に帰ろう。な?」
リンは俺の胸に顔を埋めたまま泣いた。泣き叫ぶリンの声が胸に響く。突き刺すような胸の痛みに、俺まで涙を流してしまった。
リンの肩を借りて家に帰ると、すぐに傷の手当てをしてくれた。消毒液がしみ込んだガーゼを当てられても声が出ず、手当てするリンも何も言わなかった。
そうして傷の手当てが終わると、俺達は互いの体を求め合った。言葉もキッカケも無く、自然と体を重ねた。安心する為だったのだろう。愛する人が傍に居て、体温を感じ合う事が出来ると確かめる為に。
気付けば日を跨いでいた。携帯には花咲さんからのメッセージが何件も届いていた。適切な言葉が浮かばず、俺はただ【大丈夫】と返信した。
「先輩」
おにぎりが二つ乗った皿を手に、リンが部屋に戻ってきた。
「ごめんなさい。簡単な物しか用意出来ませんでした」
「ありがとう。十分だよ」
リンは俺の隣に来ると、おにぎりを一つ俺に渡した。
「いただきます」
豪快に齧りついたが、塩が効いた白米としか言えなかった。そんな具も海苔も無い塩むすびが、今まで食べてきたリンの料理の中で一番美味しく感じた。
「……先輩」
リンが俺の肩に頭を預けてきた。俺は何も言わず、リンの頭を優しく撫でた。
「……花咲先輩、大丈夫でしょうか?」
「少なくとも、暴力は振るわれていないと思う」
「……先輩。こんな事、言いたくないんですけど……もう、花咲先輩と関わらないで」
「……明日―――というか今日か。学校休むよ。リンも休んでくれ。俺の傍に、もう少し居てくれ」
「……うん」
塩むすびを食べ終え、俺達は抱き合ったまま眠りについた。
目を覚ました頃、もう午前十一時過ぎになっていた。欠席の連絡が遅くなったが、俺もリンもサボる人間だとは思われておらず、電話先の先生に「ゆっくり休んで」と優しい言葉を貰った。
昼食の時間になったが、リンは料理する気力が湧かず、かといって俺が作れるわけもなく、買っておいたカップ麺で済ませた。昼食を食べ終え、一緒に風呂に入り、また部屋に戻って夕方まで互いを求め合い、また一緒に風呂に入った。
風呂から上がると、インターフォンが鳴った。画面から確かめると、玄関先にはタケシとアオが映っていた。玄関の扉を開けると、俺の頭に巻かれた包帯を見て、二人はそれぞれ違った反応を見せた。
タケシは驚いた。
アオは青ざめた。
二人を家に上げ、リンも含めた四人でテーブルの席に座った。
「……誰にやられたんだ」
開口一番、タケシが俺の傷の経緯を聞いてきた。聞かずとも、この頭の傷が事故ではなく暴行によるものだと察したんだ。
「転んだんだ」
「嘘つくな!! 俺は分かる!! 分かっちまうんだよ!! 誰にやられた!? 誰だ!!」
「あのクソジジイ……ハルの父親がやったんだな」
アオが犯人を言い当てた。どうにかして誤魔化したかったが、もう無理そうだ。
「……ああ。花咲さんの父親にやられた。後ろからドゴンッと。死ななくてラッキーだったよ」
「……アオ。花咲さんの家、分かるよな?」
「タケシ。馬鹿な事考えんな。もう終わった事だ」
「終わった事? テメェが終わった気でもな! 俺の気が収まらねぇんだよ!!! 俺の大事な親友に傷を負わせたんだ! それ相応の報いってやつを与える!!」
「それ相応の報いってなんだよ。いいから余計な事すんな。これで手打ちだ」
タケシは納得いっていない様子だが、やらせるわけにはいかない。あの両親の事だ。タケシが殴り込みに行けば、次はタケシが標的になる。ああいう何をするか予想出来ない相手には手を出さないに越した事は無い。
殺伐とした雰囲気が漂う中、アオが勢いよく席を立った。覚悟を決めた男の顔だ。
「アオ! お前も余計な事すんなよ!」
「……するわけないだろ」
それだけ言い残し、アオは帰った。絶対に余計な事するつもりだ。自分の娘と結婚させるつもりでいるアオには手を出さないと思うが、アオが何をするつもりか分からない以上、絶対とは言えない。
「タケシ。俺の為に怒ってくれてるのは分かった。なら俺の為に、何もしないでくれよ」
念を押してみたが、タケシの怒りを収められず、去り際に舌打ちを鳴らしていった。
「……カナタ先輩」
「……なんか腹減ったな。作ってくれないか?」
「……冷蔵庫。何も入ってないの忘れましたか?」
「あぁ、そうだったな。じゃあ買いに行くか」
このまま何も起きずに元の日常に戻ればいい。
そう思えば思う程、胸騒ぎは騒がしくなるばかりだった。




