写生
数ある授業の中で、美術の授業が一番好きだ。黒板に書かれた内容をノートに写すだけの作業や、体を酷使する運動と違って、自分だけの表現を絵に現す創作性がある。授業が子供に成長を促すものなら、美術の授業は秀でているだろう。
「はい。じゃあ今日は二人一組になって、相手の絵を描いてもらいます。今回は性別による美醜の差を知る為に、男女ペアで組んでください」
先生が手を叩くと、皆がそれぞれペアを作ろうと動き出した。何故かタケシがニコニコと俺に近付いてきたが、ペアを捜してる女子の方へ突き返してやった。
「カナタ君」
俺に声を掛けてきたのは花咲さんだった。
「もしペアが決まってないなら、私と組まない?」
「いいの? じゃあお願いするよ」
向かい合わせで座り、キャンパスノートを開いた。今日の美術は三時限目の今から昼休みまで続く。途中で飽きたりしなければ、誰だって描き終えられるだけの余裕がある。
「昨日はありがとうございました」
「昨日?」
「外でずっと待ってた私に声を掛けてくれたじゃないですか。あの後、戻って部活動を見て回ってたら、アオがサッカー部にいました。サッカー部に入部したなんて聞かされてなくて、あのまま外で待ってたら、カナタ君の言う通り風邪をひいてたかもしれません」
恋人の花咲さんが知らないくらい、急な入部だったのだろうか。付き合ったら互いの些細な変化を知らせ合うものだと思ってたけど、実際はそうじゃないのかもしれない。
「カナタ君、絵が上手いですよね」
「まだ出来上がってないけど?」
「今までの美術の授業で、カナタ君が描いた絵が一番良かったです。ただ描いてるだけじゃなくて、なんというか……凄く、心がこもってるような気がして」
「ありがとう。実は去年から部に入らないかと美術部の顧問から言われてたんだ」
「そうなんですか。それで、入部するんですか?」
「ずっと断ってる。俺は何かに熱中する事が出来ないから」
周りのペアが喋りながら絵を描いていく中、俺と花咲さんは時折相手の姿を見て、すぐにキャンパスノートに視線を戻した。俺は絵を描く事に集中したいし、花咲さんも特に俺と話すような事もないから、俺達のペアだけ静かに時間が流れていった。
十分の休憩を挟み、四時限目の開始して十分もしない内に、俺達は互いの絵を描き終えた。
「出来た! カナタ君は描き終わりましたか?」
「うん。出来てるよ」
「そっか……あの、せっかくですから、お互いの絵を見せ合いませんか?」
「いいけど……絵の出来に悪口言わないでね」
「フフ。言いませんよ」
そうして、俺達は互いに描いた絵を交換した。花咲さんの描いた俺の絵は、輪郭も上手く描けていて全体的に上手だった。
「……ねぇ、カナタ君。これで、完成なの?」
花咲さんは不思議そうに俺が描いた花咲さんの絵を眺めていた。
「他の線は薄いのに、髪と目だけ、濃く描かれてる」
「出来に悪口言わないって約束したじゃん」
「あっ、別に悪口とかじゃないの! ただ、ちょっと不思議だな~って思って。どうして、髪と目だけなのかなって。それに、私の髪はこんなに長くないし」
「……去年の入学式の時さ。校庭にある桜の木の下に花咲さんがいたのを見たんだ。その時、風になびいた花咲さんの髪が凄く綺麗だったんだ……本当に、綺麗だった。そして昨日。花咲さんの瞳を見て「あぁ、この人は目も綺麗なんだ」って思ったんだ」
気持ち悪いだろうか。だが聞かれたからには、嘘偽りなく真実を話したかった。絵の説明というより、きっとそれは、俺の未練だろう。
「……ごめん。気持ち悪か―――」
花咲さんの方へ顔を向けると、彼女は俺が描いた絵に触れながら微笑んでいた。絵に触れるその手は男の俺とは違う。
細く。
繊細で。
美しかった。
「この絵。提出するのがもったいないくらい素敵」
「……え? その、気持ち悪いとか思わないの?」
「カナタ君が思う私の良い所をこんなにも心を込めて描いてくれたんだもの。気持ち悪くなんかない。むしろ、欲しいくらいだよ」
「そっか……でも、花咲さんの絵の方が良いよ。俺のは目と髪しか描けてないし。成績的に考えれば、花咲さんの絵の方が評価される」
「そうは思わないな。先生が言ってたでしょ? 美醜の差を確かめる為って。ただ相手の形を正確に描くだけと、相手の良い所に力を入れて描く。だからきっと、カナタ君の絵も評価されるよ」
「……そうだといいね」
先生の評価、授業の成績なんかどうでもいい。本当に俺の絵が素敵だと思うなら……いや、知り合い程度の俺が花咲さんに願っていい事じゃない。
「ねぇ、カナタ君」
「なに?」
「もし、またペアで組んで描く事があったら、次も私とペアになって。カナタ君の絵。やっぱり好きだから」
「……うん。いいよ」




