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悲観する自己

 午前八時。今日は海の家でバイトだ。人生で初めてのバイトだが、緊張してないし、なんとかなるだろう。


 待ち合わせに指定している花咲さんの家に着き、インターフォンを鳴らした。しばらく待っていると、玄関の扉が開き、花咲さんの母親が顔を出した。


「あら、おはよう。えっと、ハルに用があって来たのかしら?」


「おはようございます。俺は風野カナタと言います。花咲さんと一緒に海の家でバイトをする事になりました」


「え? アナタなの?」


「えぇ、そうですけど……」


 予想していた人物と違っていたのだろう。花咲さんの母親は隠す気もなく俺に疑惑の目を向けている。おそらく、花咲さんの恋人のアオが訪ねてくると思っていたのだろう。花咲さんは俺の事を話していなかったのか。


 結局、花咲さんの母親は俺を最後まで疑ったまま、家にいる花咲さんを呼びに向かった。


 閉められた玄関の扉が再び開くと、今度は花咲さんが俺を出迎えてくれた。


「カナタ君。おはよう」


「おはよう。迎えの車っていつ頃来るのかな?」


「もう少ししたら来るよ。それまで、家の中で待ってない?」


「いや、外で待ってるよ。俺が家に上がると、ご両親があまり良い顔をしないだろ」


「……そうだったね」


 花咲さんは苦笑すると、俺に「ちょっと待ってて」と言って、持っていく物を詰め込んだバッグを持って戻ってきた。


「私も外で待つよ。私の頼みを受けてくれたカナタ君を外で待たせるのは嫌だし」


「……そっか」  


 そうして俺達は、もう少しで来るはずの迎えの車を玄関前で待った。


 この前のカフェでの会話以降、俺はどうも花咲さんに苦手意識がついてしまった。今日は前々から約束していた事だから来たが、今後は二人きりはおろか、花咲さんがいるグループにも近付きたくない。


 花咲さんの不誠実さには困ったものだが、俺が懸念している点は他にある。それは花咲さんが俺を逃げ道として利用している事だ。公園でのキスや、カフェでの発言は、一見すると浮気性からくる言動に思えるが、恋人との関係が上手くいってないストレスが原因だと俺は思っている。両想いであっても、接する機会が少なければ、想いの矛先は何処にも向かず、それが続けば果物のように腐っていく。


 だから、完全に腐る前に代わりの誰かへ想いの矛先を向ける。離れた場所にいる恋人ではなく、身近にいる仲の良い人へ。


 それが俺だ。


「今日、晴れて良かったね。明日も晴れるって天気予報では言ってるし。その所為で、忙しくなりそうだけど」


「そうかもね」


「カナタ君は荷物無いの?」


「ああ」


「そっか」


 肩と肩がくっつく距離にいる花咲さんに目も向けず、淡々と返答していく。少し心苦しいが、花咲さんとの距離を今一度改めさせるには、冷たくあしらわなければいけない。


 十分が経った。なおも迎えの車は来ない。花咲さんとは変わらぬ距離で、淡泊な会話が続いている。


「えっと……今日は、良い天気だね」


「……それは最初に聞いたよ」


 俺がそう返すと、花咲さんは俺の隣から離れた。


 花咲さんは俺の前に立つと、俺の顔を見上げて微笑んだ。


「良かった。ちゃんと私の話を聞いててくれた」


 嬉しそうに語る花咲さんに、俺は心の中でため息を吐いた。そんなに嬉しそうにされると、俺も躊躇ってしまう。このままの距離で良いと諦めてしまう。どれだけ心の中でこの距離に問題を提起しても、一向に解決する気がしない。


 そうか。俺は誰かが離れていく事を恐れているのか。繋がりを断ち切るのが怖いんだ。俺にとっての交友は、相手と共有する事でも、互いを支え合う事でもない。俺が独りになりたくないからなんだ。


「カナタ君? どうかしたの?」


「……花咲さん。俺達って、似てるのかもね」


「え? それって―――」


 その時、一台の車が家の前に停まった。助手席側の窓が開くと、運転席にいるタバコを咥えた女性がサングラスをズラして俺達に話しかけてきた。


「お二人さん遅れてごめんね! ライター探してたら時間掛かっちゃった!」


「もう! トウカ! どうしてこのタイミングで来ちゃうのさ!」


「え!? もっと遅れてほしかったの!? ご、ごめんね……」 


 あれがトウカさんか。ツーブロックの短い金髪。少し色が入った丸形サングラス。煙の量が多いタバコ。完全にヤンキーだ。


「あれぇ? 聞いてた男の子と違うね。あの可愛い彼氏とは別れたの?」


「アオは部活の合宿。この人は同じクラスのカナタ君だよ」


「……どうも」 


「へぇ~……良いじゃん! カナタ君さ、アタシの彼氏になってみない?」


「トウカ!!」


「ヒィッ!? じょ、冗談に決まってるじゃん! ほら、アタシって見た目がこれでしょ? だから親しみを持ってくれる為の冗談でして―――」


「笑えないよ、その冗談……」


「アハッ、アハハハ……と、とにかく乗った乗った! 十時から始めるんだから時間無いよ! あ、カナタ君はアタシの隣に―――」


 トウカさんが言い切る前に、花咲さんが助手席に座った。俺からは見えなかったが、花咲さんが向けた表情に、トウカさんはズラしていたサングラスを掛け直して前を向いた。


 二人のやり取りのおかげで、さっきまで色々悩んでいた事が吹き飛んでいった。自分を悲観するのは一人でいる時だけにして、誰かといる時は自分の弱さなんて考えないようにしよう。

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