少年少女
車窓から見える景色に何も覚えない。あの後、俺もリンも互いに気まずくなって、時間だけが過ぎていった。そして今は帰りの電車に揺られている。隣にはリンが座っているが、行きの時とは違って距離がある。
原因は俺で、解決出来るのも俺だ。俺がリンを女性だと認めるだけでいい。今まで男扱いしていた事に対する謝罪と、これからも変わらず友人であると宣言するだけ。それがたまらなく怖い。
俺は今まで、女性であるリンを否定していた。男だと決めつけ、男性として接してきた。それが今更間違いだと気付いた。
こんな頭でいいなら、いくらでも地面に頭をつける。土下座だけじゃなく、リンが望むならどんな事だってやってやる。それぐらいリンに対する申し訳なさと、数々の非礼の詫びを入れる覚悟はある。
それでも言葉に出せずにいるのは、自分勝手な恐れからだ。俺は今まで、男友達のリンと沢山の思い出を作ってきた。特別な事は少なかったけど、何気ない日常が、どれだけ俺を救ってきたか。だから俺は恐れている。今ここでリンを女性だと改めてしまえば、そんな思い出が無かった事になる気がするから。
「先輩」
顔を上げると、リンは俺の目の前に立っていた。
「駅、着きましたよ」
そう言って微笑むリンの表情には、やはり影があった。
電車を降り、何の会話も出来ずに帰り道を歩いていく。隣にはリンがいるが、人一人分の間を空けている。
家まではまだ距離がある。その間に言わなければ。
【今まで男扱いしていて悪かった】
【これからも友達でいてくれると嬉しい】
言葉は決まっている。あとは声に出すだけ。歯を噛み締めている力を緩め、息を吸い、言葉を出すだけでいいんだ。可愛い後輩が健気にいつもと変わらぬようにしてくれてるんだ。先輩の俺が、男の俺が、ここで尻込みしてどうする。
言え。
【言うな】
言うんだ!
【言わないで】
「ッ!?」
「え? せ、先輩!?」
俺、何やってんだろう? 急にリンの腕を掴んで、走り出すなんて。
走ればどうにかなるとでも思ってるのか? どこまでも自分勝手な奴だ。
「せ、先輩! 何処まで走るんですか!?」
「も、もうちょっと! 今良い感じに馬鹿になってきてるから!」
「どういう意味ですか!?」
「あー!!! ごめーん!!! 本当にごめーん!!!」
橋の途中で、リンの手首を掴んでいた手が離れてしまった。リンは膝に手をついて息をゼエゼエと吐いている。
「どうしちゃったん、ですか……! 本当に……!」
「いける。今ならいけるぞ!」
「何を……!?」
「今まで男扱いしててすみませんでした!!!」
その場で軽く飛び上がり、着地の瞬間に身を丸めて土下座した。額と肘と膝が痛い。俺、何やって―――いや、冷静になるな! 馬鹿のままでいけ!
「お前の事を本当に可愛いとは思ってた!! でも、それでも! 女性だと気付けませんでした!! これまでの数々の非礼、お詫び申し上げます!!!」
「……先輩。顔を上げてください」
「俺、怖かったんだ! お前を女性だと認めれば、今まで過ごしてきたお前との日常の思い出が無くなってしまうんじゃないかって! それが怖かったんだ! 男のくせに、情けないよな!? 今もこんな風に叫んでんのも勢い任せ! 覚悟を決めたわけじゃない!」
「……はぁ。先輩。これ以上、僕を呆れさせないでください」
呆れるのも無理はない。俺だって今の自分が情けなくて呆れてる。
「先輩。先輩が僕を女性だと認めたところで、それって今更じゃないですか? 先輩の思い出にいる僕は男としてですが、それでも僕である事に変わりありません」
リンが俺の肩に触れると、自然と体が起きた。顔を上げて見えたリンは、変わらず俺に微笑んでいた。そこには、もう影が無い。
「僕は中学の時、先輩と出会いました。それまでの退屈な日常が、晴れ渡った空のように輝き出したんです。先輩の背を追いかけていたから。先輩の傍にいたから」
「リン……」
「フフ! 初めて見ましたよ。先輩の情けない顔!」
「……許して、くれるか?」
「う~ん……嫌です!」
「えぇ!?」
しゃがんだ状態からリンは立ち上がると、橋の手すりに背を預けた。
「四年ですよ? 四年の間、僕は先輩から女の子として扱われませんでした。酷いです! 最低です!」
「で、でもさ! お前から言ってくれれば良かったんじゃ? 男じゃなくて女だぞって」
「僕のせいにするんですか~? 普通気付きますって。女子の制服着てるし、なにより僕はこんなに可愛いんですから! カナタ先輩とタケシ先輩だけですよ? 僕の事を男子扱いしてたの」
「いや、あの……本当にすみませんでした!! なんとか許してもらえないでしょうか!!」
「……フフ。じゃあ、先輩には僕からのお願いを聞いてもらいましょうか」
「何なりと!」
そそくさとリンの隣へ行き、手を合わせながらリンのお願いを待った。
リンは俺を横目で何度か見た後、俺に体を向けて真っ直ぐと目を見つめてきた。
「今年の夏休み……僕に、最高の思い出をください」
「……具体的には?」
「ッ!? それを考えて実行するのが先輩です! いいですか!? 今日から僕達は男と女! それを胸に刻んだうえで、僕に最高の思い出をあげるんです! ここまで言えば、鈍い先輩でも察しましたよね!」
「……」
「もう! 先輩って本当に鈍感ですね! 今日はもう帰ります!」
「ちょっと待って!」
「なんですか!?」
「家まで送るよ。情けない所を一杯見せたけどさ、最後は格好つけさせてくれ。デートの帰りを女の子一人で歩かせるわけにはいかないだろ」
背を向けられてしまった。流石に今日は情けない所を見せ過ぎたか。
そう思っていると、リンは背を向けたまま俺に左手を差し出してきた。
「手! 繋いでください」
差し伸べられているリンの左手を握ると、不思議と幸せな気持ちになった。俺の手よりも小さくて細いリンの手を握ってるだけで心が温かくなる。
隣に立って顔を合わせると、リンはムスッとした表情を浮かべたが、すぐに口元が緩んで満面の笑みになった。
「家までのエスコート、お願いしますね! 先輩!」




