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執着心

 風邪をひいてしまった。花咲さんにキスをされた事を色々と考えてしまい、それが原因で体調を崩してしまった。熱は平熱より若干高い程度で、知恵熱のようなものだから今日一日安静にしていれば治る。


 ただ、俺が学校を休んだ事で、花咲さんが要らぬ誤解を抱かないか不安だ。こういう時に連絡先を知っていれば、メッセージで伝えられるが、花咲さんの恋人に悪いと思って聞けずにいた。まぁ、連絡先以上に悪い事をしてしまったが。  


 頭がボーッとする。時折、ハンマーで殴られた頭痛もする。昨日から父さんも母さんも家に帰ってきてなくて良かった。こんな状態の俺をどっちかが見たら、安静にさせてくれなかっただろう。


 デンッ。


 メッセージの通知音。タケシからだ。今の時間は、ちょうど昼休みか。


【午後十六時。お前の家に見舞いに行く】 


「犯行予告かよ……ハハ」


【来んな】


 タケシに返信を送った後、通知音をオフにした。アイツが見舞いに来たら頭痛が酷くなる。それに夏の大会が近いって言ってたし、俺の事よりも自分の事を優先してほしい。


「……花咲さん」


 変だな。メッセージを送ってきたのはタケシなのに、どうしてか花咲さんの姿が浮かんでしまう。


 意外と派手な服を着ていたな。肩が出てるシャツに、短パンより短いのを履いて、ヒールみたいなサンダルを履いて。


 匂いも学校にいる時とは違う匂いだった。バニラ味のアイスみたいな香水。甘い匂いの中に、ほんの少しだけ汗の臭い。


 初めて、花咲さんに触れられた。俺の体に触れた花咲さんの手。俺の太ももに触れた花咲さんの足。俺の唇に触れた花咲さんの唇。俺の舌を絡めた花咲さんの舌。


「……思ったより、症状が重いかも」


 気を抜けば花咲さんの事で頭が一杯になる。昨日の出来事を思い出してしまう。異性との経験が無い俺にとって、刺激的な出来事ではあった。  


 でも、それだけの理由でここまで思い出されるものだろうか。


 ピンポーン。


 チャイムの音だ。時刻を確かめると、いつの間にか午後十六時になっていた。午後十六時といえば、昼にタケシが送ってきたメッセージには、この時間に見舞いに行くとあったな。


「……まったく。来んなって送ったのに」


 額に貼っていた冷えピタを外し、部屋から出て玄関まで向かった。拳で眉間を叩いて頭痛を和らげてから、扉を開けた。


「来んなって言ったろ」


「あ……え?」


「……なんで、花咲さん?」


 玄関前に立っていたのはタケシではなく、花咲さんだった。俺はてっきりタケシが来たものかと。


「……ごめんなさい」


「え? ……あ、違う! タケシが来たと思ったからさ! だから、さっきの言葉は花咲さんに言うつもりなかったんだよ!」  


「そう、なんですか……? なら、良かった……」


「ごめんね。それで、どうして俺の家に? というか俺の家よく知ってたね」


「場所は、先生に聞いたので。あと、今日みんなに渡されていた夏休みの日程表を届けに」


「そっか。ありがとう」


 花咲さんが差し出してきた紙を受け取ろうと手を伸ばした。


 紙を掴む寸前、花咲さんが紙を引いた。一瞬の鋭い痛みが指からすると、親指を除いた四本の指に切り傷が出来ていた。


「……ッ!? ご、ごめんなさい!!」 


「大丈夫だよ。紙で指に傷が出来るなんてよくある話じゃない」


「で、でも……! あの、すぐに水で洗いましょう!」


「え、ちょっと!?」 


 花咲さんは俺の手首を掴んで家に入ってきた。そのまま俺をキッチンまで引っ張っていき、蛇口から水を勢いよく出して、傷口から流れる血を洗い流した。洗い終えると、タオルで俺の濡れた手を拭き、カバンから取り出した絆創膏を貼っていく。


「ごめんなさい! 本当に、傷付けるつもりじゃなかったの! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 花咲さんは今にも泣きそうな表情で俺に謝り続ける。たかが紙で切ったくらいで大袈裟だが、他人に怪我をさせた罪悪感が大袈裟では済まさないのだろう。 


 絆創膏を貼り終えても、花咲さんは俺の手を離そうとしない。俺の手をジッと見つめながら、親指で絆創膏を撫でている。このままでは埒が明かない。


「花咲さん。絆創膏ありがとね。もう大丈夫だよ。だから、自分が悪いとか思わないで。あれは事故だったんだし」


「……わざと、やりました」


 消え入りそうな声で呟いた花咲さんの言葉に、眉間に力が入った。


 わざとやったとは、どういう意味だろう? 故意にやったのなら、何故ここまで慌てた様子で手当てをしてくれたのだろう?


 言葉の真意を聞こうとした瞬間、花咲さんの目から堪えていた涙が決壊した。


「私、自分の物を誰かに取られるのが嫌なんです……! だ、だから、カナタ君に……歯止めが、効かなくなって……!!」


「……それが、俺にキスをした理由?」


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 両手で顔を覆いながら泣く花咲さんを前にして、俺は納得していなかった。自分の物を誰かに取られたくないのは、強い執着心が故だろう。


 しかし、その対象にどうして俺が含まれているんだ。俺は花咲さんの友達ではあるけど、花咲さんの物じゃない。


 それに、自分の物を誰かに取られたくないと言うのに、いつだったっか俺に弁当のオカズを分けてくれた。


 あと、俺の指に切り傷をつけたのは、どういう意図があるのだろう。 


「……花咲さん」


 俺は泣き続けている花咲さんの頭を撫でた。抱きしめて背中をさすろうとしたが、それは友達以上の行為だ。子供扱いをしているように思われるかもしれないが、誰かを泣き止ませるには、言葉だけでなく触れた方が泣き止みやすい。中学の頃、泣いてたタケシやリンにやった時、これで泣き止んだ実績がある。


「泣いてもいいけど、あんまり思いつめないで。花咲さんがどれだけ自分の所為だと決めつけても、指の傷も、昨日のキスも、事故だったんだよ。君は悪くないし、俺は君を責めるつもりはない」 


 言葉を掛けながら撫で続けていくと、花咲さんは落ち着きを取り戻し、頭を撫でる俺の手に触れる頃には泣き止んだ。これで泣き止ませたのは三人目。俺は心の傷を癒やす仕事とかに向いてるのかもしれない。

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