老婆
無人駅の時刻表を見れば、電車は午前と午後一つずつしか来ない。ベンチに置かれてる古びた時計が正しければ、今日はもう電車が来ないようだ。
「ここが終点だね。この後はどうする?」
「……歩いて帰るか」
「どうせ来ないならさ、線路の上を歩いていこうよ!」
「やんない。だって怒られるだろ」
駅を出てすぐ、一人の老婆と出会った。杖を持っているが姿勢は真っ直ぐで、やつれてるわけでも太ってるわけでもない。白髪と手のシワを見なければ老人だと気付けない程、若々しい。
「おや、ケンジ。アンタ戻ってきたんか?」
「ケンジ? いや、俺は―――」
「久しぶりで分かんなくなったのかい? ほれ、おばあちゃんが案内してあげる」
そう言うと、老婆は俺の手首を掴み、歩き始めた。真っ直ぐ歩けているが、俺が手を振り解いた事で転んだりしたら後味が悪い。それに俺の事をケンジと呼んだが、おそらくボケて勘違いしてるんだろう。本人が気付くまで、こちらから何かするのは控えよう。
そうして連れてこられたのは一件の家。老婆はガラリと引き戸を開け、靴を脱いで家に上がった。
「ほれ。遠慮せずお入り」
老婆はそう言うと、居間の方へと歩いていった。
「……これ、お邪魔してもいいのかな?」
「まだ勘違いしたままだから、ここで帰ったら傷付くだろ」
「意外とお婆ちゃん子?」
「年寄りに優しいだけさ」
「へぇ~。ん? でも―――いや、いいか」
花咲さんは靴を脱ぎ、老婆がいる居間へと向かった。その後を追うように俺も靴を脱ぎ、老婆含めた三人の靴を揃えてから今に向かった。
居間に来ると、中は絵に描いたようなお婆ちゃんの家。年季の入った襖やタンス、壁にはカレンダーが吊り下げられ、敷かれた畳の中央にコタツが鎮座している。
壁に掛けられた時計を見ると、時刻は午後五時。駅に電車が来るのは、午前十一時と、午後二時だったか。
そういえば、あの老婆は何処にいった? そう思っていると、隣の部屋に繋がっている引き戸の向こうから、食材を切る包丁の音が聞こえてきた。
「私、ちょっと話してくるよ。ついでに今晩泊まっていいかも聞いてくる」
「泊まる?」
「なんかさ、この家にお邪魔した途端、ドッと疲れがきちゃってさ。もう歩こうにも歩けないんだ。あのお婆ちゃん、なんだか優しそうな人だったし、多分オッケーくれるよ」
「凄い自信だな」
「任せてよ! 私、第一印象は良いんだから!」
誇るべき事かどうかはさておき、頼み事をする役は俺より適任なのは確かだ。ここは花咲さんに任せて、俺は……部屋の片隅にでも座っていよう。他人の家の物を勝手に触るのは駄目だし、ましてやコタツに入るなんて言語道断。冷たい空気に晒されてないだけでもありがたい。
時計の針の音と、引き戸の向こうから聞こえる料理の音。こういう家でしか聞けない音を耳にしたのは、凄く久しぶりな気がする。それこそずっと、忘れてしまうほど昔の事。
明日、電車に乗れたら、街に帰ろう。それで花咲さんを解放して、俺は……もう少しだけ、家出を続けよう。一度死にかけて、ますます知りたくなった。自分が生きる意味。死にたくない理由。知らなくては、死に損ないだ。
すると、引き戸が開いた。そこから花咲さんが顔を覗かせた。
「あ、カナタ君」
「あぁ。どうだった?」
「魚の頭、無い方がいい?」
「……そりゃ、まぁ」
「うん、分かった!」
笑顔で頷くと、花咲さんは再び台所へと戻った。多分、料理の手伝いをしてるんだろう。それでそういう事をしてるという事は、頼み事は上手くいったようだ。
「……暇だ」
今までずっと歩いてきた所為か、体を動かしていないと落ち着かない。だからといって家の中を歩き回るわけにもいかず、天井の木目を迷路に見立て、目で辿った。




