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シャボン玉が弾けた

 柄にも無く恋愛漫画を買ってしまった。最初は小説の方を買おうとしたが、恋愛というものがどういうものか知るのなら、絵がある漫画の方が分かりやすい。


 それにしても、買う時妙に恥ずかしかった。別にいかがわしいものでもないし、今一番売れてる恋愛漫画と店も推してる一冊。なのに、買い慣れていないせいか恥ずかしかった。買う予定の無かった雑誌を挟んで誤魔化したけど、今思えば意味の無い行為で、無駄な出費をしただけだ。 


 帰り道の途中にある公園のベンチに座り、早速買った恋愛漫画を読んでみた。


 読み終わった。絵も綺麗だし、台詞も多過ぎず少な過ぎず、ペラペラとページがめくれる。ただそれだけだ。良い作品なのかもしれないが、いまいちピンとこない。


 この漫画に出てくる主人公とヒロインが恋をするストーリーなのは理解出来る。


 ただ、お互い相手に対する秘め事が多過ぎる。周りの登場人物も良い人ばかりだし、主人公とヒロインと違って、みんな本音で語ってる。最終的に互いの想いを打ち明けるのかもしれないが、それにしたって主人公が奥手だ。ヒロインがあんなにも分かりやすい好意を見せてるのに気付けないのは、対人関係に難があると言わざるをえない。悶々とするのなら、ハッキリと好意を口に出せばいいのに。


「俺が言える立場じゃないか……」


 見上げた空には大きな雲が浮かんでいた。小さい頃は空に浮かぶ雲に乗りたいと夢見ていたのに、今はそんな自分が馬鹿げていると思ってしまう。卑屈になったものだ。


 あの頃の俺は、目で見たものや、耳で聞いたもの全てに夢を見た。その想像はどんな映像作品よりもリアリティがあり、いつか必ず実現出来ると思っていた。


 時を経て、現実と非現実の区別がつくと、俺はどうしようもなく虚しくなった。そうして俺は、風景の美しさに気付いた。一時の間だけでも、現実と非現実の区別を曖昧にさせる風景の美しさに、あの頃の俺を思い浮かべる。そうする事で、俺はあの頃の俺にシンクロする。


 無垢や純粋といった幼少期の想いはシャボン玉だ。いつか、何かのキッカケで、呆気なく弾けてしまう。それを俺は出来るだけ長く保っていたい。

 

「だ~れだ」


 突然、暗闇に包まれた。後ろに誰かがいる。ボーッとしていて声をちゃんと聞けずにいたが、こんな悪戯をしてくるのは、タケシかリン。タケシは部活だし、きっとリンだな。


「普通に声を掛けろよ、リン」


「……」


「……リン?」


「……」


「……え、じゃあ誰!?」


 俺の目を覆っていた手が離れると、見えた先の空の眩しさに視界を奪われた。


 ゆっくりと目を開けていくと、花咲さんが空を遮って俺を見下ろしていた。


「花咲さん、だったんだ……」


「……フフ。次は一発で当ててね」


 微笑みを浮かべた花咲さんは、ベンチ裏から回って俺の隣に座った。一冊の漫画本分の距離で。


「近過ぎだよ」


「駄目なの?」


「駄目なのって、駄目に決まってるじゃん」


「リンちゃんとはあんなに距離が近いのに」


「なんでアイツを―――というか、駄目な理由はただ一つ。君の恋人に悪いからだ。前にも言っただろ。親しき中にも礼儀ありって」


「……ごめん。そうだよね……ごめん……」


 花咲さんは俺から少し離れた。フレンドリーというかなんというか、適切な距離感を知らないのだろう。今でも友人にしては近過ぎるけど、さっきのは恋人同士の距離感だった。


「……カナタ君は、何処かに出掛けてたの?」


「ちょっと本屋に。これ買ったんだ」


「漫画? それに、それって恋愛物だ。前に一緒に本屋さんにいた時は、そういうのは興味無いって言ってたのに」


「ちょっと気になって。俺って恋愛に疎すぎるなって思ってさ。こう、ちゃんとした恋愛? だから、えっと、好きな人と好きな人が結ばれるっていうか、恋愛の進め方っていうか? そういうのを知ろうと思って買ったんだ」 


「……興味、あるの?」


「興味って言うか……まぁ」


「教えてあげよっか」


 俺の右膝に手を置かれた。その手を辿って花咲さんの顔を見ると、体を傾けて俺に顔を近付けていた。


 咄嗟に後ろに身を引いて逃げようとしたが、ベンチの端に座っていたせいで、手すりが邪魔をした。


「好きな人が出来るとね。その人の事で頭が一杯になるの。ご飯を食べている時も、勉強をしている時も、好きな人の姿が頭に思い浮かぶ」


 花咲さんの両手が俺の体を抑え込む。簡単に突き飛ばす事は出来るが、それで花咲さんが怪我をしてしまうかもしれない。


「目を合わせると恥ずかしくて逸らしたくなるけど、見つめている内に段々と落ち着いてきて、もっと近くで見たくなって……」


 迫る花咲さんの瞳を見ていると、花咲さんの瞳が俺の瞳より下を向いた。それを真似するように俺も視線を同じくらい下に向けると、そこには花咲さんの唇があった。淡いピンク色のリップが塗られた唇にはほんの少しの隙間があり、僅かに漏れる息遣いが聞こえてくる。


「カナタ君……」 


 お互いの鼻の先がぶつかった。何かが唇に触れている。唇の隙間を通って、柔らかくて生温かい何かが舌に絡んだ。


 水玉が落ちたような音が鳴ると、花咲さんは顔を離した。俺を見つめながら浮かべる表情は、驚いているようにも、喜んでいるようにも見えた。


「ハハ……! じゃ、じゃあ、また学校で!」


 視界から花咲さんの姿が消えると、足音が遠ざかっていった。


 俺は手すりに背中を預けたまま動けずにいた。空にはさっきまで見えていた大きな雲は無く、澄み渡った青空が広がっている。


 けれども俺は、綺麗な青空の景色を眺めるよりも、両手で顔を覆う事を選んだ。自分で作った暗闇の中で、何度も何度も否定してみたが、遂には唇に触れたあの感覚を認めてしまった。


「……やられた」


 休み明けの月曜日。俺はどんな表情で花咲さんと会えばいいんだ。

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