解放
アオを一旦忘れ、水瀬さんの話を聞く事にした。
友人の死。
理不尽。
常識。
その三つに関連した事を口に出さず、水瀬さんの話を続けさせた。
監禁されて一週間以上。小さな窓から見える外は日に日に雪景色と変わり始めていた。変わってきたのは外の景色だけじゃなく、水瀬さんが部屋によく来るようになった。先日は一日のほとんどをこの部屋に費やしていた。
「君は今、恋人はいるの?」
椅子に座る水瀬さんは、両手に持つ白湯の湯気に目を向けていた。
「いました。一つ歳が違う女の子」
「そう。良かったわね、悲しい思いをせずに済んで」
「別れたのは、悲しくないと?」
「奪われるだけだもの。人は恋をする。何歳になったってトキメクもの。それで念願叶って想いが成就して、現実を突きつけられるの。恋をしていた時、好きだった所や見えてなかった所が滲み出てくる」
「でも、その人を真に想うのなら、そういった面も愛せるように―――」
「良いも悪いも好きになる。それは、ある種の諦めなんですよ」
「諦め……」
「人付き合いは果実と同じ。時間の流れによって醜くなっていくもの。それに気付いた時、新しい果実を求めてしまう」
「一途は悪だと?」
「そうではありません。むしろ逆。羨む程に望ましい。それは確固たる橋のように見えて、いつも崩れる危険性が秘められている。それでも崩れないからこそ、人は思うのです。早く崩れてしまえ。そうして自分達のもとへ落ちてこい、と。人の関係というものは、一と一だけでなく、大樹に生えた無数の枝のようなもの」
「むしろ俺は、そうである事を望みます」
一瞬、水瀬さんは意外そうな表情を浮かべた。俺の返答が予想だにしていなかったのだろう。
俺はそんな水瀬さんに懐疑的になった。話を聞いてみた所、彼女は本当に俺と似たような人生を送っていた。両親との思い出は無く、友人と呼べる存在も無く、亡くなった子供の父親となる男は誰か分からない。独りきりという面では、俺よりも悲惨だった。
だからこそ受け入れられない。何故、拒む。孤独が身を蝕むと分かっていながら、何故他人との繋がりを拒むのか。そういう違いが、俺と彼女を隔てるこの檻のように立ち塞がっていた。
「……君は、良い人とばかり縁があったんですね。だからこそ、私の事を理解出来ても、同じ場所に立ってくれない」
「歳が違う。それが一番の理由だと思います。年数で見ればたかが数年程度。しかし年数を更に細かくしていけば、途方も無い」
「……私は、君に同じ場所に来てほしい」
そう言って水瀬さんがポケットから取り出したのは、檻の鍵と思わしき物だった。彼女はそれを手に檻に近付くと、アッサリと檻を開けた。
遂に解放される時が来た。体感では一週間だと思っているが、本当は数日、あるいは数週間かもしれない。自分でも認めるくらいに狂っていた。だから、檻からの解放はあらゆる思いが爆発するものかと思っていた。
檻から出た俺は、酷く冷静だった。俺を監禁し、アオを殺した水瀬さんを前にしても、心に荒波は立たなかった。
心にあるのは、違和感の解明。正体不明の何かを知りたくて堪らない。それは初めの俺と水瀬さんの立場から逆転している事を意味していた。
水瀬さんが運転する車の助手席に座りながら、久しぶりの外の景色を眺めていた。窓から見ていた分には雪景色だったが、まだ雪が積もっていない場所の方が多い。本格的な冬は来ていないようだ。
そうして連れてこられたのは、人気の無い野原。少し歩いた先には、断崖絶壁の山が淋しく立っていた。水瀬さんはその山を目指して歩き始めた。
何も言わずとも、彼女が何をするのかは察せられた。あの山の頂上が、水瀬アキコの最期だと。
俺は軽い足取りで、これから死に行く水瀬さんの背を追った。




