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懐古堂奇譚  作者: 浅見カフカ


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4/4

understudy

窓の外は静かな雨。

まるで天へ昇る命を迎えるように。

人々の祈りに悲しみを悼むように。

静かに冷たい雨の午後。

誰しもが皆無口で、早すぎるその時に現実を忘れていた。



「誠一郎さん、背が届かないの」

「ねぇ誠さん、お部屋は四角なの。丸く掃かないで下さいな」

「誠一郎さ~ん」

「誠さん!」

紗綾と真綾の呼び声に右往左往の誠一郎。

今日は月に一度の棚卸し。

現状は何も進んではいない。

「ちょっ、ちょっと待って下さい」

たまりかねた誠一郎は、右手を挙げて二人を制した。

「いいですか?このままでは作業が終りませんから分業にしましょう。

誠一郎の提案に二人は静かに頷いた。

「それでは」

言いかけたその時、入り口の引き戸がガラガラと開いた。


車椅子を押した男性が、薄暗い店内をキョロキョロ見回す。

対称に車椅子の老人はピクリともしない。

まるで糸の切れた操り人形のように。

「いらっしゃいませお客様」

誠一郎は近付き恭しく礼をすると、ふたりを商談席へと案内した。


着座した3人にお茶が運ばれる。

「新茶です。よろしければ熱いうちにどうぞ」

真綾はニッコリと笑って差し出した。

男性は恐縮したように、この美しい少女に頭を下げた。

老人は相変わらず動かない。

瞬きをしなければ生きている事を疑ってしまう。

誠一郎は一口 すすると男に話し掛けた。

「お客様は品物をお求めにいらしたのではないのでしょう」

「え、あっはい」

男は戸惑いながら返事をしたが、一旦お茶を啜ると意を決したように話し始めた。


「私は、真田一樹と申します。隣は父の圭三です。今日は父の事で伺いました」

「お父様の事ですか」

誠一郎がやや芝居じみた応答をする。

一樹は頷き、ひとくち茶をすすった。

「実は少し痴呆が始まりました。外出もままならなく、こうして車椅子の生活です。最近、父が妙な事を口にするのが気になりまして」

「それは?」

「はい【私が殺した】と繰り返し呟くのです」

「心当たりは?」

誠一郎は思わず身を乗り出して尋ねた。

「いえ、父は昭和18年の生まれですから戦争に行っていませよし、殺人や自動車事故の過去もありません。何かあったとすれば....」

「何ですか?」

根気良く話を促す。

「私は北海道F市で生まれました。当時は財閥系の炭鉱町で、とても栄えた町でした」

一樹はゆっくりと述懐する。

あたかも記憶の中の日記を紐解くように。


幼い頃の話で要領を得ない部分を除けば一樹は次のように語った。


昭和48年初冬、一樹3歳の時にF市三友炭鉱で落盤事故が起きた。

多数の死者、重軽傷者をだした大規模な事故だった。

圭三は当時の保安課の主任で一番に現場に入り救助にあたった。

圭三が勤めた40年間で唯一の死者の出た事故でこの時に何かがあったのではないのかという事だった。


「なるほど」

誠一郎は大きくうなずくと今回の依頼について尋ねた。

「はい。あの事故で何があったのかを知りたいのです。父が何をしたのかを」

一樹は隣に座る圭三を見た。

「記憶の投影になりますね」

「トウエイ?」

「簡単に言えば、お父様の記憶を抽出して映像化するのです」

「そんな事が」

「出来ると思ったからこその御来店では?」

半信半疑の様子の一樹に誠一郎言った。

「はぁ、まぁ...いえ、そうです」

「確認しますがお父様の記憶の閲覧ですね」

「はい。お願いします。」

それでは、と契約書を差し出すと一樹へ渡した。

コツコツ響くペンの音。

「後悔はしませんね」

「真実を知って、何を後悔するのです?」

決意の表れか、誠一郎の問に少し強い口調の一樹。

「いえ、只の確認です」

誠一郎はそう言うと支度のため、奥へと消えた。


「誠さん、私は」

「いいんですよ、真綾」

誠一郎は身支度をしながら真綾をなだめた。

「何か考えがあってのことなのでしょうが、記憶は究極のプライバシーではないですか」

「彼は真実を知りたいらしいですよ」

「私には誠さんの考えはわかりません...ただ信じるだけです」

真っ直ぐに見つめる真綾の視線を誠一郎は快く思っていた。

彼女の正義と誠一郎の正義、そして第三者の、社会の正義。

これらが必ず合致することは無いことを真綾は知っている。

だからこそ、真綾は誠一郎を信じることで心の折り合いをつける。

誠一郎は彼女への誠意として独り言のように呟いた。

「真実を偽る、偽りの真実」

「えっ?」

「偽りを偽る、真実の真実」

その言葉に真綾はハッとして微笑んだ。

「そうですね」

「はい、そうですよ」

誠一郎も真綾を見つめて優しく微笑んだ。


準備の整った部屋。

壁も床も真っ白な奇妙な空間。

中心に圭三と、車椅子を押す真綾。

そして圭三の額に右手をかざす誠一郎。

少し離れて三人を見渡す位置に一樹が居た。

ゆらゆらと振れた手が一点で止まる。

誠一郎が左手を右にゆっくりと重ねた瞬間、部屋中が光に包まれた。


光の膨張がおさまった部屋には幾つもの透明な球体が浮かんでいた。

球体はふわふわと室内を漂う。

シャボン玉のような球体の中には映像のような景色が閉じ込められていた。

そしてそれは大小様々な大きさで、中の映像に至ってはテレビのように動いていた。


「こっ、これは?」

呆然と立ち尽くす一樹は、そう声を絞り出すことが精一杯だった。


「圭三さんの...いえ、お父様の記憶です」

誠一郎はそう言うと、適当に手近の球体を手にした。

「例えばですね」

ソフトボール大の球体を右手に掲げて一樹に向けた。

部屋の光景が一変する。

球体は不定形のアメーバのように波打つと、突然弾けるように辺りを包みこんだ。


懐かしい景色に一樹はハッとした。

砂利道、煤けた社宅、石炭の匂い、大きなボタ山。

そこは子供時代のF市だった。3人の子供が嬌声をあげて駆けてくる。

「誰かわかりますか?」

誠一郎が声をかける、

「あれは、姉の直美と、従兄弟の隆俊。そして私です」

一樹は遠い記憶の光景に立ち尽くしていた。

と、その時子供のひとりが転んだ。

隆俊だった。

直美と一樹が慌てて起こす。

「たっくん大丈夫?」

年長の直美が心配そうに声を掛けた。


「直美ちゃんは優しいな、一樹君もありがとう」

一樹の伯父、則秀だ。

そしてその後ろには、若かりし日の圭三。

「ノリ、普通は隆俊の心配をするものじゃないか?」

圭三は笑いながら直美と一樹を軽々と抱き上げた。

「隆俊は強いから平気だよな。もちろん、俺に似て」

則秀は隆俊の小さな頭を、髪の毛がくちゃくちゃになる位なでた。

その姿に目を細めていた圭三が急に少し表情を曇らせてポツリと言った。

「来月な、一周忌なんだ。定禅寺でやるつもりだ」

「あぁ。由美さん、もう1年になるんだな。兄貴、よくやってるよ」

則秀の声のトーンも低くなる。

「駆け落ち同然で向こうの親には勘当されているしな。それに君枝ちゃんが助けてくれているから、なんとかな。お前達夫婦には感謝してるよ」

「何言ってんだよ!たった二人の兄弟だろ。それに君枝の奴も言ってるぜ。ひとりも三人も変わらないって。かえって直美ちゃんが隆俊の面倒をみてくれて助かるってな」

則秀は笑ってそう言った。

つられて圭三も笑う。

「俺に似て出来のいい娘だからな」

ふたりが笑うと、三人の子供達も訳も分からずに一斉に笑った。


「お母様は亡くなられたのですか?」

不意に誠一郎が声を掛けた。

記憶を食い入るように見ていた一樹は、何かに弾かれるように振り向いた。

「えっ!?あぁ、母......母ですね、ハイ。2歳の時であまり記憶にはないのですが」

「真剣にご覧のところに驚かせてしまって済みませんね。さて、これはもう良いでしょう」

誠一郎はそう言うと、この記憶を閉じた。

一瞬にして元の白い部屋が現れた。

一樹は思わず辺りをキョロキョロと見回していた。

「まぁ、このような感じで記憶を閲覧します」

「すぐに見つかるのでしょうか?」

少し不安げな一樹に対して誠一郎はあっさりと答えた。

「カンタンですよ、ほらそこに」

誠一郎は白く濁った球体を指した。

タバコの煙を閉じ込めたシャボン玉によく似ていた。

一樹はふと昔を思い出した。

父親が見せてくれたシャボン玉だ。

食器洗剤を薄めて、三角牛乳から外したストローで飛ばしたシャボン玉。

タバコを吸ってからストローをくわえて息を吐き出す。

白いモヤを虹色の膜が包んだ不思議なシャボン玉。

懐かしさが込みあげてきた。

先ほどの父親の記憶を見たせいもあるのだろう。

つい昨日の事のように感じていた。


「一樹さん、どうしました?」

数秒の沈黙に誠一郎が問掛けた。

「少し昔を思い出しました。」

小さく深呼吸をする。

「それにしてもすぐに分かるのなら、わざわざ別な記憶を見せる必要はなかったでしょう」

照れ隠しの抗議。

それも誠一郎には無駄な抵抗でしかなかった。

「あれはサービスです。得しちゃいましたね」

良いことをしたと満面の笑顔。

「.......」

返す言葉がない。

「この濁りは何だと思いますか?」

「......例の事故の煙ですか?」

少し考えてから神妙に答えた。

「違いますね。これは封印した記憶です」

誠一郎の顔から笑みが消えた。

「封印、ですか」

一樹はまじまじと球体を見た。

「忘れてしまいたい、忌まわしい、そういった記憶は黒く......塗り潰したような黒です。白いモヤのような記憶は自らが強く奥底に沈めた秘密なんです」

「ではやはりここに」

「可能性は高いでしょうね。ところで一樹さん」

「何ですか?」

「やっぱり見ます?」

イタズラの見付かった子供のような顔をする。

「もちろんです。ここに真実があるのですよ。見なくては意味がありません」

「そうですか」

残念そうに言うと誠一郎は濁った球体を掲げた。

先ほどと同様に部屋中が光に包まれる。

一樹の視覚が完全に奪われる直前、誠一郎の声が冷たく響いた。

「最後のチャンスを差し上げたのですがね」



その日、サイレンはいつもと違う時刻に響いた。

一番方のあがりまでにはまだ早く、つまりは事故の発生を告げていた。


F市三友炭鉱保安課に一報が届いたのは13時18分。

76番坑道の最深部に近い場所で爆発事故が起きたとの通報だった。

保安課係長の圭三は、関係者部署及び当局への連絡を済ますと自らが坑道へと向かった。

保安課の6人の部下が圭三の後に続く。

いつになく廊下が長い。

圭三の走る速度が増す。

「係長、今回は保安室で指揮をお願いします」

補佐役の吉田が圭三を呼び止める。

冷静な分析能力と的確な判断力は課内イチだ。

圭三も全幅の信頼をおいていた。

「緊急において、保安課は係長以下全員が事に当たる規則だが・・・・」

圭三は駆け足のまま答えた。

「今回は事情が違います」

吉田は尚も食い下がる。

「......」

無言で睨みつけるが吉田はひるまなかった。

「係長、弟さんが...身内が被災されている場合は現場への入場が制限されます」

圭三は足を止めた。

「俺はこの三友の町で生まれて、三友社宅で育って来た。隣近所のオヤジやかあちゃんにどやされ守られ生きてきた」

もう一度吉田を見る。

「このマチの人間誰もが俺の家族じゃ!つまらん事ゴチャゴチャぬかすな!!」

吉田は無茶苦茶な理屈だが、これがこの男の漢としての魅力なんだろうなと思った。

「ふぅ、分かりました。私が係長のバックアップに回ります。あまり無理はしないで下さい」

吉田はそういうと現場へ駆け出した。


一樹はその様子をじっと見ていた。

音、振動、匂い......

ここが記憶の世界とは思えない程に感じる現実のような錯覚。物体に干渉出来ないこと以外は何も変わらない。

それでも目の前のドアを開ける事は出来ないがすり抜ける事はできる。

同様に人間も一樹の体をすり抜け駆けて行った。


あちこちの部屋の電話が鳴っていた。

事務員らしい人達が総出で対応にあたるが、まったく追いつかない様子だ。

講堂のようなホールには長机とパイプ椅子が次々と運びこまれていた。

プレス向けの準備のようだ。

仕事柄、災害マニュアルのような物はあるのだろう。

騒然とする中で整然と対応がとられてゆく。

駆け付けた家族を誘導する人。

様々な対応が粛々ととられる。

ふと疑問が生まれた。

「誠一郎さん。聞こえているでしょ?」

一樹は辺りをキョロキョロと見回して呼び掛けた。

返事はなかったが続けて言った。

「この記憶、おかしいですよ」


「これは記憶ではないですね」

一樹は更に続けた。

「これは記録です。誠一郎さん、これは記録です」

少し苛立ちのこもる声が周囲に響き吸い込まれてゆく。

しばしの沈黙。

「存外に鋭いですね。ですが、正解ではありません」

声に振り向くと、そこには誠一郎が居た。

「じらさないで下さい。これは複数の人間の記憶ではないですか!」

語気が荒くなる。

「貴方のお父様はあの日の出来事を入念に、詳細に至るまで調べました」

誠一郎は静かに語った。

「自分が生きている意味を知りたくて調べたのでしょうね」

「ならばコレは?」

一樹はいま一度景色を見回した。

「記憶と膨大な知識で作られた世界です」

一樹は誠一郎の言葉に声を詰まらせていた。


「ほら、何をしています?真実のあぎとが大きく口を開けていますよ」

誠一郎の右手が大きくゆっくりと振られた。

ほんの一瞬、一樹の視界が奪われた。

その刹那、眼前に坑道の入り口が現れた。

ぽっかりと開いた、闇への入り口。

焼け焦げた匂いと煙が立ち込めていた。

「おじ気づきましたか?圭三さん達は躊躇なく行きましたよ」

「おじ気づくも何も私に危険は無いじゃないなですか」

「それもそうですね。」

誠一郎はクスリと笑ってみせた。


肩を借りて歩く者。

背負われている者。

誰も皆無口で、泥と煤にまみれていた。

ヘルメットのヘッドランプが数珠のように繋がっている。

生きている証のように、ゆらゆらと揺らめいて出口へとつらなる。

圭三達は流れに逆らいながら奥へと走って行った。

錯綜する情報と怒号の中、坑道を駆ける。

随分と下った筈だ。

あれほど居た出口へと向かう鉱夫達の姿はもうなかった。

不意に先頭のひとりが立ち止まる。

そこには大小様々な岩盤の山が高く積み重なっていた。

ここが76番坑道だ。

圭三は深く息を吸ってから大きく叫んだ。

「保安課の真田だ。聞こえて居たなら何か返事を!!」

全員が静まりかえる。

心臓の音さえ雑音に感じる程の静寂。

---諦めかけたその時、小さくエンジン音が響いた。

削岩機の音だ。

全員が色めきだつ。

「必ず助けるからな。諦めるなよ」

圭三が叫ぶのとほぼ同じく、全員が岩の瓦礫を除き始めた。

(何人が無事なのか?)

圭三はそう考えながら、再度の崩落を気遣い、迅速かつ繊細に瓦礫を排除していった。


小一時間程が経過した。

ようやくひとりがくぐれる通路が確保された。

圭三と吉田のふたりが中へ入った。

その先は小さな空間で・・・・地獄だった。

そこは坑道を支える補強の柱が奇跡的に重なり崩れていた。

高さ150cm底辺300cm角の三角垂の空間。

そこに1番方のうちの4人が居た。

折り重なるように4人。

誰も息をしていなかった。

吉田はうなだれた様子で首を振った。

顔の汗も、泥も、何も拭う気にもなれない。

「真田さん。撤収です。恐らく数時間以内には注水が始まります」

「誰も救えないのか」

圭三は絞り出すように呟いた。

「残念です」

吉田は悔しさを隠せない様子で強く拳を握った。

掌に食い込む爪の痛みも構わずに。

「撤収する」

圭三はそう決断をした。

部下の安全を守ることも圭三の義務だ。

被災者を救えない以上正しい選択だった。

撤収前に、犠牲となった4名をそれぞれに横たえ、胸に手をくませた。

吉田はその後、命令に従い坑道へ戻って行った。

圭三も後へ続く。

坑道へ戻る前に一度振り向き4名に合掌した。

そして深々と頭を下げた。

ふと、あることに気付く。

『誰が削岩機で返事をしたのかと』

4名の手には何も握られていなかった。


「係長?」

戻らない圭三に怪訝そうに吉田が声を掛けた。

「あぁ済まん。全員引き揚げてくれ。少し気になる」

「ならば此処で待機します」

「いや、注水の絡みも有るから先に戻って俺が遅れる事を伝えてくれ」

「了解しました」

そう云うと6人は地上へと踵を反した。


「さて」

圭三は辺りを見回した。

側壁の一ヶ所に取り付くと、瓦礫の隙間に細い鉄の棒を差し込む。

奥まで差しては抜きまた差しては抜く。

同じ作業を何十回も繰り返す。

やがて、鉄棒が何かに当たった。

間違い無い、人だ。

圭三は急いで瓦礫を除き始めた。

「大丈夫か!?保安課の真田だ。名前は言えるか?」

未だ姿は見えない相手に大声で呼び掛けた。

「......あ.........き」

微かに声がした。

「もうすぐだ」

必死で掘り起こしなから話し掛ける。

「削岩機のトリガーを引いたのはアンタだな」

「あれは良いアイディアだ」

とにかく思い付く限りの全てを話した。

「に......き」

再び声がした。

「!」

圭三は息を呑んだ。

「ノリか!?ノリなんだな。待てよ、もうすぐだ。もう助かったんだ」

なりふり構わず瓦礫をよけた。

弟の体を閉じ込める瓦礫を、土砂を、力の限りに取り除いた。

やがて、遂に則秀の救助に成功した。


怪我と火傷で顔が判らなかった。

右足も折れていた。

圭三は持参した酸素マスクをあてて、右足に添え木をした。

傷と火傷の跡をアルコールで拭く。

「ノリ、とりあえず歩けるな」

「助かったよ。酸欠で朦朧としていた」

横になったままの姿勢で話す。

「火傷は軽いが、傷は残るな。人相変わるぞ」

圭三は則秀の傷を見て言った。

「男の顔だ、問題無いさ」

則秀はそう嘘ぶくとスコップを杖替わりに立ち上がった。

「急ぐぞ、注水が始まる」

圭三は則秀に肩を貸した。

「注水?兄キ、他の連中は!?」

「............」

沈黙が語る全てに、則秀は目眩がした。

「何人だ?」

質問を変えた。

「18人、ナナロクの安否不明は18人だ」

「見殺しにするのか」

則秀に怒りの表情が浮かんだ。

「済まない。お前し」

圭三が言いかけたその時、一瞬の地鳴りの後、轟音が響いた。


爆風が後ろからふたりを弾き飛ばした。

坑道の床に叩き付けられた。

則秀は折れた右足ごと叩き付けられた激痛に呻き気を失った。

圭三はいち早く立ち上がると、則秀を抱き起こしに駆けた。

と、その時。

則秀の倒れた上の天井が、崩れ始めた。

圭三は則秀に被い重なると自らを盾にした。

背中を、頭を岩盤が直撃する。

やがて圭三が崩れるように則秀の上に倒れた。


時間にして5分ほど、則秀は意識を取り戻した。

「兄キ?」

「兄キ!?」

自分の胸に折り重なる圭三を呼んだ。

息をしていなかった。

鼓動が無かった。

「兄キーーーーーーー!!!!」

無人の坑道に絶叫が響き渡った。


窓の外は静かな雨。

まるで天へ昇る命を迎えるように。

人々の祈りに悲しみを悼むように。

静かに冷たい雨の午後。

誰しもが皆無口で、早すぎるその時に現実を忘れていた。


「おじさんはお父さんを助けてくれなかったんだ!」

隆俊は泣きながら圭三に叫んだ。

母親の君枝が隆俊を平手で打った。

「隆俊!おじさんに謝りなさい。おじさんは命がけで、誰よりも先にお父さん達を助けに向かったの」

君枝は隆俊を捕まえて圭三の前に立たせた。

「ご覧なさい。おじさんの姿。こんなになってまで助けに行ってくれたの」

そう言うと君枝は圭三に土下座をして隆俊の暴言を詫びた。

隆俊は圭三のギプスに固められた右足に手を添え、しゃくりあげる呼吸の間に途切れ途切れに『ごめんなさい』と何度も繰り返した。

圭三は隆俊を抱き上げると、包帯で巻かれた顔を寄せて強く強く抱き締めた。

その様子に葬儀の参列者は涙を隠せずに、あちこちからすすり泣く声があがっていた。


「誠一郎さん。どういうことなんですか?」

一樹は混乱を隠せないでいた。

「見ての通りです」

誠一郎は冷たく言い放った。

「じゃあ、圭三は......」

「はい。則秀さんです」

一樹は呆然としながら『どうして、どうして』と繰り返していた。

「圭三さんが亡くなれば幼い一樹君と直美ちゃんは孤児になります」

誠一郎は淡々と続ける。

「則秀が引き取る事は容易ですが、両親が居ないという現実を二人に突き付けたく無かったのでしょう。自分が死んだことになっても家族には保険も下りるし、隆俊にはまだ君枝がいる。そういう事です」

一樹はへたりこむようにその場に座った。

「事実はショックでしたか?【隆俊】さん」

誠一郎は口の端に薄く笑みを浮かべてその名を呼んだ。


隆俊は今更否定はしなかった。

ただ、疲れた様子で聞き返した。

「いつから違うと気付いていました?」

「最初から」

誠一郎はもう一度笑ってみせた。

「怖い人だ」

隆俊はそう言うと力無く笑った。


「真実を偽り貴方の叔父となった則秀さん。時を経て圭三さんの息子と偽った貴方」

誠一郎が静かに話す。

「互いの偽りは、真実の親子を産み出したのですね」

「悪意で演じた私は、役をこなせませんでた」

隆俊は自嘲気味に言った。

「事実を知って、これからどうなさるつもりですか?」

「そうですね。何も変わりません。ただ、ちょくちょく会って話をしようかと」

隆俊は車椅子を見て言った。

「お父様の」

「いえ、叔父と」

隆俊の表情は清々しく、キッパリとそう言った。

「そうですか、それは良い事です」

誠一郎は隆俊の手を握り『餞別です』と小さく囁いた。

握手と共に何かを渡された掌を見て開いた。

同時に小さな虹色のしゃぼん玉がパチンと弾けた。

「さようなら誠一郎さん。そしてありがとう。さぁ、叔父さん、帰りましょう」

隆俊が車椅子に手をかけた。

その時だった。

「隆俊、いい子にしていたか?」

張りのある声で則秀が言った。

そして、しわだらけの小さくなった手で、隆俊の頭を優しく撫でた。

隆俊は則秀の膝に顔を埋めると『お父さん、お父さん』と何度も何度もそう呼んだ。




二人が去った店内には、いつもの静けさが......戻ってはいなかった。

「きゃー届かない!」

「あっ!!...何でもないから見ないで!」

賑やかな棚卸し。

脚立の上の誠一郎は、もはや諦めの境地。

「分担した役割は忘れてしまいましたね」

小さく呟いた。

カタカタカタ。

不意に脚立が揺れる。

驚いて下を見ると紗綾が呼んでいた。

「どうしました?」

「あの二人はどうなるの?」

心配そうな表情だ。

「何も変わりませんよ。お互いの役割を終りの日まで演じるだけです」

誠一郎はあまり関心が無さそうに、まさに『他人事』といった感じだ。

「もっとも、隆俊さんは秘密を抱えて生きて行く訳ですが」

「でもどうして嘘が判ったの?」

真綾も手を休めて脚立の下に来た。

「あぁ、あれはお茶です」

誠一郎も脚立に腰を掛けて作業を中断した。

「おちゃぁ?」

ふたりの声が綺麗に揃った。

「はい、お茶です。痴呆の親を引き取って面倒を見ている孝行息子が、あの熱いお茶を冷ます事なく、飲ませる事もなく、挙げ句に自分だけが飲んでいたでしょ」

「えぇ、たったそれだけで?」

真綾は目を丸くする。

「もちろんそれは理由のひとつてす。親を犯罪者にしたい子供なんて普通は居ないものですしね」

誠一郎はそう言うと、にっこりと微笑んだ。

「そっか、そうなんだ」

真綾はそう言うともうひとつだけ聞いてみた。

「それで、隆俊さんの虚偽申告への罰は?」

「あぁ。それについては私が与える必要はありませんよ」

真綾が『どうして?』と聞こうとしたその時、入り口の扉が開いた。



お客は車椅子を押した男性だった。

男性は店内をキョロキョロと見回すと、近くに居た紗綾に声を掛けた。

「私、真田純一と言います。こちらは父の一樹です。今日は父の事で伺いました」


          -da capoー






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