ちょっとした思い出話
ちょっとした思い出話なのです。
でも。。。人によっては、ちょっとした、では済まないのでした。
そわそわ。
うろうろ。
はらはら。
そんな言葉が良く似合ってしまう挙動不審の少女に気がついて。
「ホタル」
ラオは、その少女の名をぶ。
最近、ラオの可愛い可愛い従妹の遊び相手兼御世話役となったホタルという少女。
ホタルはラオに気がついて幾分ほっとしたような表情を見せたものの、少し潤んでいた瞳が晴れやかになる事はない。
ラオは安心させるように微笑んで見せながら、ホタルを手招きつつ、夜会の賑やかさから逃れるようにカーテンの隙間へと身を隠す。
ラオの後を追うようにそっと現れたホタルは、近くで見ればいよいよと不安げで、今にも泣きだしてしまいそうだ。
「どうした?」
少し身を屈めるようにして問うと、
「サクラ様が……いらっしゃらないのです」
挙動不審の理由を語る。
なるほど、とラオは頷いた。
「……また脱出しちゃったのか」
言うと、ホタルがビクリと肩を震わせた。
別段、ホタルが悪い訳ではない。
ホタルがお側付きになったラオの従妹のサクラは、この手の華やかな場所が大の苦手なのだ。
姿をくらましてしまう事は、珍しい事でもない。
「奥様がお呼びなのです」
ホタルが震える声で、そう続けた。
哀れなのだが、なんとも健気で愛らしい様子に、ついうっかりその頭をぐりぐりと撫でてしまえば、ホタルはびっくりと目を見開いてラオを見上げた。
それに向けて、ラオは安心させるように、にっこりと笑みを見せる。
職業、軍医。
でも、本当は子供を中心に診療する町医者になりたかったラオは、ホタルの戸惑いをものともせずにポムポムと手のひらで小さな頭を柔らかく撫でて。
「大丈夫。ちゃんと見つけてくるからね。君はサクラの部屋で温かいお茶を準備してくれるかな?」
自信たっぷりに言えば、ホタルはいくらも安心したように表情を緩めて、素直にコクン頷いた。
その約10分後。
ラオはちゃんと見つけた。
フワフワの茶色の髪の毛が、緑の生い茂る木々に絡まってその存在をラオに教えてくれている。
「サクラ」
呼び掛ける。
茶色の髪の毛は、動かない。
ここにはいないの。
そんな心の声が聞こえてきて。
素知らぬふりで通り過ぎてあげたいと思わなくもない。
けれど、今晩は結構に冷える。
宴用のドレスのみを身に付けているのであろう小さな従妹をそのままにしておく事も、できそうにはない。
「サクラ、出ておいで」
そう声をかけながら。
そこにいる事を確認して、緑のカーテンをそっと開く。
サクラはやはりそこにいた。
寒いのか。それとも寂しいのか。
細い肩を自ら抱くようにしながら、膝を抱えて身を縮めている。
ラオは自分の上着を脱いで、まずはその華奢な肩にそれをかけてやる。
サクラは目に涙をいっぱい溜めて、ラオを見上げた。
「ほら、おいで」
手を差し伸べるのに。
プルプルと首を振るう。
拍子に、溜まっていた涙がハラリと零れ落ちた。
「いや」
そう言いながら、ラオの上着に隠れるように身を縮める様は、何とも頼りなく痛々しい程で。
ラオの元々強い傾向にある、庇護欲をとんでもなくそそる。
「あそこには戻りたくないの」
あそこ、とはオードル伯爵の誕生パーティーの会場だろう。
サクラは人が集まる所を嫌う。
人目のある所に、美しい姉と妹と三人で並ぶ事は、サクラにとっては拷問なのだろう。
女神と称される凛とした美しさを誇るキキョウ。
天使と名高い透明感に溢れた美貌のアオイ。
確かに、この二人に比べてみれば、サクラの容姿はどうしても地味で見劣りしてしまう。
今日も、きっと、誰かが言った心ない何かを耳に挟んで逃げてきたに違いない。
ラオは静かに憤る。
この少女が、どれだけ素直で愛らしいかを知らないくせに。
そして、サクラに言ってやりたい
キキョウともアオイとも違う、それでも、誰からも愛される君の事を、分かろうともしないで表面だけを評する輩など捨て置けば良い。
だが言ったところで、まだまだ幼いサクラに、言葉の刃を避ける術などあろう筈もない事も承知している。
だから。
「……もうお部屋に帰りたい」
ぼそり、と告げられる願いに。
堪えて、堪えて、結局零れた涙に。
駄目だとは、サクラの我慢強さを知っていて、どうして言えるだろう。
「いいよ。一緒にお母様にお願いしてあげる」
そう言って、辛抱強く差し出している手を、もう一歩近付ける。
「……本当に?」
これは、ラオを疑っている訳ではない。
良いのか、と尋ねているのだ。
「大丈夫だよ。だから、出ておいで」
言えば、ようやくのように木々の合間から出てきた。
ラオは頭についている枯葉を取ってやり、それから小さな身体を抱き上げた。
サクラは素直にラオの肩に手を回して、コテンと頭を預けてくる。
いや、マジで可愛いだろう、これは。
可愛らしい事、この上ない。
うっかり、家に持ち帰ってしまいそうだ。
「ごめんね、兄様」
歩き出して、数歩も進まぬうちに小さな声が聞こえる。
「どうして、謝るの?」
冷たい風から小さな体を守るように抱きしめつつ、尋ねると細い腕がぎゅっとしがみついてきた。
「探してくれたのでしょう?」
だから、ごめんなさい。
そう続く言葉に、どこまで可愛いのかとついつい頭に口づけを落とす。
「かくれんぼは得意だよ、知ってるだろう?」
言えば、顔を上げて。
「大好き。兄様」
かくれんぼの勝者にご褒美を。
サクラは、ようやく満面の笑みを浮かべて、ラオの頬にそっと触れるキスをくれた。
「というような事もありました」
俺、いい話した。
そんな風情で、うんうんと頷きながら紅茶を口に含むラオ。
その向かい側に座り、シキは背筋に流れる汗を感じながら、どうしたものかと考える。
横からは、精神を凍てつかせるような冷たい空気が漂ってくる。
「……カイ様、昔の話ですからね」
結局、そんな間抜けな一言が出た。
シキの隣に座っていたカイは、絶対零度を崩さぬままに「分かっている」と一言言い置いて、立ち上がる。
いやいや、分かってないですよね。
リアルに絶賛嫉妬中ですよね。
「そうです。昔の話です。かれこれ十年ほど前の。カイ様に会う前の」
ビキッと部屋が凍った。
錯覚ではない筈だ。
だが、ラオはどこかサクラに似ていると思えなくもない柔和な笑顔で、追撃した。
そう追撃だ。
「可愛い可愛いサクラとの思い出話の一つです」
こいつ、分かってて言っている。
カイはラオを見遣った。
威圧するでも牽制するでもない、いつも通りの静かな瞳。
に、見える。
「報告は以上か?」
やがて、やはりいつもと変わらぬ静かな低音が、そう尋ねた。
「以上です」
ラオが答える。
カイは頷くと、無言で部屋を出て行った。
「ラオ~」
軍医の名を呼び、シキは机に突っ伏した。
「話を振ったのはシキでしょう」
飄々と答えてくるラオに、シキは盛大なため息をつく。
確かに話を振ったのはシキである。
この軍医がサクラの従兄であると知ったのは、実は彼とサクラの姉の婚姻がきっかけである。
ついでに従兄で幼馴染だというのも耳に聞こえてきた。
機会があったら、ちょっと話を振ってみようと思っていたところに、先日行われた兵士の健康診断結果の報告を携えてこの軍医はやってきたのだ。
兵士の健康管理の話から、いつの間にやら逸れて様々な話題になって。
オードルの三姉妹のことはそれこそ生まれたときから知ってます。
から、じゃあ、ホタルの事も知っているのか。
となり。
「俺は、ホタルの幼い時を聞いたんだぞ」
そう、シキが聞いたのは、愛しい妻の幼い頃の話である。
「ホタルの話もしたじゃないですか」
「チラッとな。最初の五行ぐらいな」
しれっと答えるラオに、シキは頭を抱える。
こいつ、ホント、食えねえな。
サクラの従兄だと聞かされれば、なるほど、どこかふんわりとした空気はあの妃に似てなくもない、なんていうのは表向きの顔。
あの曲者ばかりの軍隊の、健康管理を一手に任せられている男が一筋縄でいくはずもないことを、シキだって承知している。
「あんまり、カイ様の様子が面白いのでつい」
つい、で軍神をからかうか。
とはいえ。
「……まあな。確かに面白かったな」
今頃、かの軍神は、妻が己のものであることを再確認してたりするのだろう。
無意識にあざといあの奥方は、きっと上手に軍神を丸め込むのであろう。
確かに、そう思えば面白くなくはない。
「……ちょっとした意趣返しはできましたかね」
ラオは呟く。
そんな意図があったとは。
シキはチラリとラオに視線を投げれば、日頃温厚な軍医はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「結果オーライとはいえ、一時はサクラを辛い目に合わせて、キキョウを怒らせ悲しませたこと。結構根に持ってたんですよね」
なるほど。
今でこそ、軍神の寵愛ぶりは疑いようもないが、始まりは身内にしてみれば酷い仕打ちであったのは事実だ。
今の話だけでも、ラオのオードル家の姉妹への庇護欲は十二分に理解できたから、その憤りは想像に難くない。
「まあ……お見事だよ」
そこは、な。
軍神の嫉妬心を煽るなんて、なかなかできるものではない。
それを見て面白がるくらいの悪戯心は許されるだろう。
だが、ラオよ。
「……明日の全体演習が見ものだな」
先ほどのラオのように、にやりと笑えば。
荒事が不得意な軍医は一瞬きょとんとし、
「あー!」
と立ち上がりざまに叫んで、続けてその場に崩れ落ちた。
明日は医者であろうと調理師であろうと、軍籍に身を置く者総出の実地演習日である。
カイが私情を交えて、ことさら軍医グループに激しい演習を課すとも思えないが、絶対にしないとも言い切れない。
実戦はともかく、演習はさほど興味がないシキだが、ちょっと、楽しみになってきた。
しかしながら、シキに楽しさを与えてくれた軍医といえば。
「……忘れてた。マジで忘れてた……死ぬのか、俺。新婚なのに」
と頭を抱えたのだった。
帰ったカイはどうしたのでしょう。