恋文
せっかくのバレンタインなので、何か甘い話を。
と、思ったのですが、忙しくて新たには書けず……(T_T)
以前、書きかけたものを、仕上げてみました。
『誰だ、こいつら』と思った読者様は、『騎士の想い 侍女の願い』をご覧下さいませ。
ジンがその少女宛の恋文を最初に焼いたのは、彼女が13歳の時だった。
見るともなく確認しまった差出人は、女性関係ではあまりよろしい噂を聞かない貴族のもので、子供相手に何を考えているんだと妙な憤りを感じながら、薪の中に放り込んでやったのを覚えている。
それから、1週間と経たないうちに、彼女は再び恋文を持って厨房に現れた。
燃やして欲しいとそれを手渡され、裏を返して差出人を確認すれば、そこには先日のものとは違う名が書かれていた。
「……本当にこのまま焼いて良いんだな?」
どいつもこいつもと呆れながらも、そんな風に確認したのは、その封筒が未開封だったからだ。
一応、読むくらいはした方が良いのではないかという思いから出た言葉に、マツリはきっぱりと言い切った。
「良いんです。さっさとくべちゃって下さい」
宛名として名のある者にこうもはっきりと言われてしまえば、ジンとしては何も言うことべきことはない。
マツリが望むとおりに、燃え盛る炎の中に入れれば、それはあっという間に灰となって消えた。
「差出人、貴族だったぞ」
言うと、マツリは炎から目を離して、ジンを見上げてきた。
燃やすことに迷いなど全く感じていないように、まっすぐに見つめてくるアーモンド型の瞳。
うっかり無遠慮に見つめ返し、吸い込まれるような幻覚に襲われ、慌てて……しかし、態度には出さずにすっと視線を外した。
「恋の選択権は、身分によるのではないそうですよ」
削がれた大人の気を引く子供の無邪気さで身を寄せながら、マツリが言う。
仕草と裏腹な随分と大人びた台詞もまた、子供が大人の真似をするかの如く。
「私に選択権はあるんです」
しかし、真顔で続けられた言葉に、決してマツリが意味も分からずに、それを口にしている訳ではないと知り、真面目に受け取り頷いた。
「なるほどな」
色恋とはさほど縁のある方ではないジンでも、その意味は分かる。
確かに、この手の誘いに安易に乗れば、傷つくのはマツリの方だ。
いやいや、それより何よりも、マツリはまだ13歳だ。
誘いに乗る云々の前に、恋愛の、増して遊びの対象とすべきではない子供ではないか。
ならば、側にいる大人としてはこの少女を庇護するのは当然の義務であり、そうとなれば、この対処は決して間違いではない訳で、何も後ろめたさを感じる必要などない筈だ。
「まあ、不要なもんなら焼いてしまうのが手っ取り早いか」
自らの行為を正当化して言えば、マツリはほっとしたような笑みを浮かべて、炎に目を移した。
マツリの視線が己から離れた瞬間にふっと肩が軽くなり、ジンは思いもかけず自身が緊張していたことに気が付いた。
子供相手に何を。
思いつつ、傍らの少女を見遣る。
剥きたてのゆで卵のようにつるりとした輪郭の中に、涼しげな目鼻立ちが品よく並んでいる。
背は高い方だし、体付きもこう言ってはなんだが、先日縁談の相手となった女主付きの侍女よりもよほど丸みを帯びた女性らしい凹凸がある。
お仕着せの紺色の服装と、きちんとまとめられた髪も、マツリの年齢を不詳にすることに一役買っているようだ。
ああ、これは、確かに。
彼女の素姓を知らぬ男達にしてみれば、この存在はかなり興味を引き立てられるかもしれない。
「恋文……書いたこと、ありますか?」
予想外の結論に思い至って、恋文を燃やされた貴族にほんの僅かな同情を抱いていた所に、そんな質問が投げかけられた。
また、まっすぐに見つめられて。
また、妙に緊張を強いられて。
間抜けな貴族と己は違うと言い聞かせ、何かのおまじないのように『13歳』を繰り返しながら、何でもない風にそれに答えた。
「あるように見えるか?」
マツリは神妙に考えて見せてから。
「……見えません」
明らかに面白がっている瞳で、そう答えを出した。
その様子は、まったくもって子供だ。
ジンはおまじないが功を成したように落ち着いて、無駄話を付け加えた。
「そんなマメさがあれば、毎晩のように母親に嫁を連れて来いとは言われてないだろうな」
マツリがプッと吹き出す。
神妙な顔で厨房に現れてから、ようやくのように花開いた笑顔に安心する。
ちょっと、心臓が跳ねた気がしたが、それは無視だ。
「ジンさんってお幾つなんですか?」
ジンの軽口に、気を楽にしたらしいマツリが笑顔のままで尋ねてくる。
どういう意図があっての質問かは知れなかったが、別段隠す必要もない。
ジンはすんなりと答えた。
「31だ」
先ほどから、ジンはマツリが13歳だから、と子供に位置付けた。
ならば、この年齢はマツリからすれば、どういうものなのか。
マツリは、ぱちくりと目を瞬いた。
少し、考えるようにして。
「私の父は38です」
つまりは厨房にいる男はそういう存在と、マツリは認識したのであろう。
まあ、妥当な線かとは思いつつも、さすがに父親扱いはないだろうと苦笑いが零れる。
「お前なあ」
せめて、兄ぐらいにして欲しい。
そう思った矢先に。
「あ、母は31だわ」
同い年か。
しっかりと自分のポジションを把握して、ジンは肩を竦めた。
「さっさと仕事に戻れ」
ならばと、年長者の役目でもっともらしいことを言うと
「はーい」
子供は素直に返事を返しながら、扉へと向かった。
だが、その足がふと止まる。
「あの」
ジンへと振り返ったマツリは、子供らしからぬ不安げな様子で問い掛けてきた。
「また、来たら……燃やしてくれますか?」
「そんなに貰う気なのか?」
からかうように言うと、少女はほっとしたように、しかしぎこちなく微笑んだ。
「そうですよね……そんなに来ませんよね」
いやいや。
無責任な言葉を反省した大人は、前言を撤回するように少女に告げた。
「いつでも持ってこい」
多分、恋文は送られてくるだろう。
ここは人の出入りが多い屋敷ではないが、人の関心を集める場所だ。
そこに在るこの存在は、存分に男達の気を引くだろう。
そうして、この少女の望むところでないにしても、様々なアプローチが仕掛けられるに違いない。
ジンの言葉に、マツリは笑みを消してしまう。
縋るように見つめられて、ジンの中で先ほど確認した己の位置に自覚が生まれる。
ああ、この少女を護らねば……いや、護ってやりたい、と。
そう、それは父親のように。
「選択権はお前にあるんだろう?」
言ってやると、なんとか努力したような笑みが戻る。
その笑顔では満足できずに、ジンは続けた。
「お前が望むなら、何通でも燃やしてやるよ。薪代が助かる」
最後の言葉に、マツリは破顔した。
子供なのか、大人なのか判断がつきかねる、華やかな笑顔だった。
「来たら、持ってきます」
そう言って、小走りに厨房を出て行く背中を見送って、妙な満足感を得ていた。
13歳の少女。
31歳の己。
この関係が、はっきり見えてしまった。
あの少女を見守ろうと。
訳のわからない連中を遠ざけて。
少女が娘へと成長し、来るべき時が訪れるまで。
そして、傷つくことなく、少女をここから然るべき男に嫁がせてみせる。
そんな変に勢いづいた決心さえしてしまったのだった。
あれから、いったい何通の恋文を焼いただろうか。
そろそろ積もり積もった恋文の怨念とやらが、スープの味に現れても不思議はないくらいには燃やしたと思う。
「封ぐらい切ったらどうだ」
今日の封筒も未開封。
受け取りながらも、ジンはそう言ってみた。
「……いやです」
初めて恋文を受け取った頃から、容貌はさほど変わっていないマツリ。
そして、恋文が気味が悪いという潔癖さも相変わらずだ。
しかし。
「この男は……結構まともだぞ」
差出人を確かめてから言うと、マツリはむっと膨れた。
「嫌です!」
そんな様子も、昔と変わらない駄々をこねる子供なのだが。
「幾つだ?」
ため息交じりに尋ねながら、封筒をマツリへと差し出す。
「はい?」
受け取るための手を出そうとしない頑なさに、もしかして少し甘やかし過ぎたのかと反省しつつ、手紙を差し出したままにもう一度問い掛けた。
「歳は幾つになった?」
鈍くないマツリだから、この問いで多分ジンの言いたいことは分かったのだろう。
俯いてしまって表情は分からないが、ボソリと答えは返ってきた。
「……16、です」
そう、16歳。
いわゆる年頃。
貴族の子女ならば、そろそろ縁談の一つや二つ来る頃だ。
「そろそろ……考え時だろう」
マツリは顔を上げない。
ジンは手紙を差し出したままに、根気強く待った。
おかしな事を言っている訳ではない、と自らの言動を確認する。
目の前の少女……いや、もはや少女ではなくなりつつある娘。
その潔癖さを全面否定する訳ではないが、真剣さを感じさせる恋文ならば目を通すぐらいのことはするべきだろう。
「も、いいです」
やがて、マツリの手が伸びる。
それが手紙に触れる寸前、思わず手を引いた。
驚いたようにマツリが顔を上げた。
「まあ、これは燃やしてやる」
とは、答えたものの。
多分、声も態度もいつも通りに見えるだろうが。
ジンは大いに動揺していた。
今、己は何をした?
どうして、マツリの手に、手紙を戻さなかった?
手紙の差出人は、今までの男達の中では、もっともまともな人物と言える。
戯れで、恋文を出すような男性ではないと、記憶している。
できれば、マツリに読ませて。
場合によっては、この屋敷の侍女頭であり、マツリの後見人を自負する母親に耳打ちすべきだ。
分かっているのに。
ジンは手紙をマツリに触れさせなかった。
触れさせたくなかったのだ。
「……ありがとうございます」
手紙を薪にくべると、背後でマツリから小さな礼が聞こえてきた。
本人が手紙が嫌だと言っている。
燃やして欲しいと望んでいる。
礼を言われたことで、己の行動に理由を付けて、無理やり納得する。
「ごめんなさい」
しかし、その謝罪は納得できかねて、背後の娘に視線をやった。
「……私、迷惑ですよね」
マツリが俯いて、ボソリと呟く。
表情は見えなかったが、想像は難しくない。
この3年間に何度と見てきた、ぐずりだす寸前の子供のように、端正な面を歪ませているに違いない。
「いや、紙切れ燃やすぐらい、どうってことないが」
答えてやりながら、マツリへと近付く。
父親の顔で、慰めるために。
「気にするな」
そうだ。
これぐらい、どうということはない行為だ。
真剣な想いを綴ったものを容赦なく燃やすことに、3年前にはなかった罪悪感が今も全くないとは言い切れないが。
それでも、マツリが望むのならば、いくらでも焼いてやるつもりだった。
「違います」
マツリが、また、呟く。
何かに耐えるように、手のひらがぎゅっとスカートを握って、そこに複雑な皺を刻む。
「何だ?」
ジンはマツリの前に立った。
幾らマツリが長身とは言え、母親が『馬鹿』を付ける程にでかいジンにしてみれば、俯いた表情は身を屈めなければ垣間見ることはできない。
ジンは腰を折るようにしてマツリを覗き込み、その態勢で硬直してしまった。
「何でもないです」
マツリは顔を隠すように更に俯き、そして、ジンに背を向けた。
何でもない筈がないだろう。
動けないまま、ジンは声には出せず答えた。
ジンが見たマツリの表情は、駄々をこねる子供のものではなかった。
きゅっと唇を噛んで。
眉を寄せて。
しかも、見間違いでなければ、アーモンドの眦には、小さな滴が浮かんでいた。
「……何でもないって言いながらべそをかくな」
かなりの間を置いて、なんとかそう言ってやる。
ジンがそれを言うまでの間、微動だにしなかったマツリが、それを合図にしたようにストンとその場にしゃがみ込み、膝に顔を隠した。
その姿は、まるっきり子供。
そのことにどうしてか安堵しつつ、ジンはテーブルにあった皿を手に取ると、マツリの前に膝をついた。
「ほら」
手紙を差し出した時のように、今度は皿を出す。
マツリはおずおずと顔を上げて、皿を見つめた。
やはり、見間違いではなかったようで、頬には涙の跡がある。
「……何ですか、これ」
皿からジンへと視線が映る。
涙に潤んだアーモンドには子供らしさなどなく、女性特有のなまめかさまでが漂うようで、ジンは大いに動揺した。
「見て分からないか? 菓子だ」
それでも、素知らぬ風に答えれば、マツリは更にじっとジンを見つめた。
できれば、菓子に興味が移ってくれないだろうか。
思っているとマツリの手が皿に添えてあったフォークを取った。
潤んだ目線が皿の上のものにあることに安心し、フォークが器用に菓子を一口大に切るのを視界に納める。
「……ジンさんって」
フォークに刺さった菓子を、マツリが口に含んだ。
フルーツをふんだんに入れて焼き上げたタルトにクリームを添えた自信作は、さほど噛み砕く必要もなくマツリの喉を通っていったようだ。
「私のこと、子供だと思ってます? 大人だと思ってます?」
再び、フォークが皿に近付く。
差し出すように皿をマツリに寄せながら、ジンは答えを探した。
この娘の問いは、いつもその意図が分からない。
いや、違うのか。
ジンが、その意図を深読みしてしまうから、見えなくなってしまうのか。
深読み?
どうして、深読みなんぞする必要がある。
「難しい質問だな」
結局、正直に答えると、マツリは菓子を口に運ぶ。
「ジンさんの……馬鹿」
白いクリームのついた菓子が、マツリの形の良い口元に含まれるのを眺めていたジンは、ちいさな呟きを聞き逃した。
「何だ?」
聞き返すと、不意にマツリの手が伸びる。
それは焼き菓子に伸びるのかと思いきや、更に伸びて、ジンの肩に触れた。
マツリがすっと身を伸ばす。
己が作った筈の焼き菓子の香りが、知らない甘さで鼻先を掠めた。
何が起きた?
「……お菓子、ご馳走様でした」
マツリの声が聞こえた。
「……ちょっと待て……」
ようやく、そう声に出した時、既にマツリの姿はそこになく。
「何だ?」
間が抜けた己の声のみが厨房に響いた。
何だ、今のは。
いや、何かは分かる。
分かるとも。
まさか、この歳で、それが何だか分からない程にうぶな筈がない。
そうだ。
何かは分かる。
何かは分かるが、何だ?
いやいや、落ち着け。
何を動揺しているのだ。
あんな、触れるだけの。
いや、触れるとも言えない、一瞬掠めただけの。
甘い香りの……それは拙いキス。
成立すれば、作者の話では断トツの歳の差カップルですが……さて、オッサンは手強いのでしょうか。
※事情あって、初めての携帯からの投稿です。改行等、おかしな点があれば、ご一報をお願いします。