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 午前3時、ドーム都市メグリノン。人工照明も仮眠モードに落ちた街の裏側で、ひとつだけ煌々と灯る施設があった。第7整備ハンガー。そこは、サルベージャーたちがドームの外に出るための最後の砦でもある。


 湿度は低く、冷え切った鉄の匂いが漂っている。空調の音と、わずかに鳴る機械の起動音。それらを背景に、トリリティが静かに息をしていた。


 巨大な人型機動兵器トリリティ——正確にはドールモジュール(DM)と呼ばれるカテゴリの旧世代兵器。その姿は、まるで荒野に埋もれた神像のようだった。装甲には無数の補修跡があり、左腕は一度失われたのか、異なる年代の部品で再構成されている。脚部は車輪でも関節でもなく、スキー状の履帯。雪もない惑星スウアにおいて、滑走と走破性を両立させた異端の脚部構造だ。


 機体の腹部、そこに埋め込まれるように存在するのがコックピット。縦に並ぶ二人用、副座式。このDMは、最初から“二人で乗ること”を前提に設計されていた。


 「こっちはオールグリーン。あとはパイロット次第ってとこかな」


 後席に座る少女が声を発した。ナギ。十代の後半ほどに見えるが、その手は長年工具を握ってきた者のものだった。手の甲には傷、爪には油の染みが入り込んでいる。


 ディスプレイの数値を確認しながら、彼女は頭に軽く装着した制御バンドを締め直す。


 「カナン、起きてる?」


 「寝てたら死ぬわ」


 前席で淡々と返す声。カナン・レムナント。人工光の中に浮かぶその髪は金に近いが、根元は黒く染められている。本来の色ではない。彼の顔には軽い皮膚の焼け跡があり、スウアの強烈な日差しの下で育ってきたことが一目でわかる。


 「トリリティのリンク、いつでもいける」


 「うん、NEISは前回の補正で安定してる。同期圧も問題なし……あ、ただし一応伝えとく。昨日のログに未定義領域の神経信号が残ってた」


 「未定義領域?」


 「たぶん、トリリティが何かを“思い出そうとしてる”」


 カナンは短く息を吸った。それはただの機械。兵器。けれど、確かにトリリティは——時々、自律的な応答を示すことがあった。


 「自律応答のレベルは?」


 「会話レベルじゃない。ただの反応。エラー吐かずに“沈黙してる”のが逆に気味悪い」


 ナギが言葉を選びながら、モニターを指でなぞる。そこにはグラフと数列の海が並んでいた。


 カナンは無言で頷くと、両手を操縦桿に添えた。NEIS(神経拡張統合システム)モードの起動シーケンスが静かに始まる。


 《PRIMARY LINK: ESTABLISHED》

 《COGNITIVE INTERFACE: ACTIVE》

 《DLC SEAT SYNC: FRONT / REAR LINKED》


 カナンとナギ、ふたりの脳波がわずかに同調し、機体内部を走る銀の神経束に微細な信号が流れ込んでいく。


 DMトリリティが、目を覚ました。


 全身を貫くアクチュエーターが僅かに震え、関節部がわずかに軋む。だが、それは古びた機械の呻きではない。まるで「呼吸するような動作」だった。


 「トリリティ、起動完了。スキー履帯展開。前方、滑走可能。推進試験開始までカウント5」


 ナギの冷静な声に、カナンが短く返す。


 「よし、外に出るぞ。今朝の目的地、どこだった?」


 「エリミオの第3層、旧通信ノードの南ブロック。深層区画にアクセスできれば高価なサーバー残骸があるかも。けど……」


 「けど?」


 「変な話、データが“新しい”気がするんだよ。誰かが最近、アクセスした痕跡がある」


 「……サルベージャーか、それとも別の何かか」


 カナンは短く息を吐き、トリリティの操作スロットを倒した。


 巨大なハンガードアがゆっくりと開く。

 薄い外気とともに、まだ眠ったままのスウアの夜が流れ込んでくる。


 DMトリリティが前進する。履帯が地面をなめるように滑り、ドーム外へと音もなく進み出す。


 装甲を通して聞こえるのは、内燃機関の低い唸りと、スキーが砂粒を切る微かな摩擦音だけ。


 都市と外の世界を隔てる最後の障壁——環境フィルター付き防壁ゲートが目前に迫る。


 「ナギ、ゲートアクセス」


 「了解。IDコード照合、シールドバイパス、空調室起動……開くよ」


 電子音がいくつか鳴り、巨大な防壁が内側から割れるように開いた。


 その先にあるのは、地球に似て非なる、“外の世界”だった。

 ドームの内と外を隔てる透明な膜が、一瞬、トリリティの装甲をなぞって抜けていった。わずかな圧力差。音はない。けれど空気の“質”が違った。


 スウアの外気は薄い。酸素は少なく、放射線のレベルも地球基準で言えば居住圏外。だが、それでも人類はここに住んでいる。ドームの中に都市を築き、外へ出ては古き文明の亡骸を掘り返し、それを糧に生きている。


 カナンの目が、遠くの地平をにらむ。


 地表はくすんだ灰色と赤褐色の混ざる岩盤。植物は皆無。時折、古い金属片や崩れかけた建造物の影が地平線に浮かんでは消えていく。


 スキー型の履帯が、滑るように岩の上を進む。転倒のリスクがない構造ではないが、慣れた手つきでカナンは制御していた。


 「気温、マイナス12。風速4メートル。放射線レベル、今日もギリギリ安全域。ありがたや、だね」


 後席からナギがぼやくように言った。


 「このへん、ドーム外でもずいぶん安定してる。前に言ってた“気象安定衛星”の残骸がまだ働いてるのかもね」


 「じゃ、感謝しながら通らせてもらおう」


 カナンがそう呟いた直後、トリリティのHUDがわずかにチカついた。


 「……ナギ、今の見たか?」


 「見た。ログ残ってる。フロントセンサーに一瞬だけノイズ反応。機械的なものじゃない、自然物でもない。けど……人の脳波みたいな構造だった」


 「生体信号? いや、ドーム外に生き物なんて……」


 「人かどうかは断定できない。ただ、トリリティが一瞬“反応しかけた”。それも、防衛モードで」


 カナンは手を止めず、履帯のバランスを調整しながら警戒を強めた。


 前方、灰色の空に沈んでいく三つの月のうちひとつが、わずかに陰った。

 地平の向こうから、強い風が吹きつけてくる。


 その風に混じって——トリリティの神経束がざわめいた。

 何かを思い出すように、何かに反応するように。


 「ナギ、神経束の再診断を——」


 「してる。……でも、これは外部からの干渉。私たちじゃ止められない」


 「なんで今日に限って……」


 そのとき、トリリティのセンサーが通信波形を拾った。既知のプロトコルでは解読できない、異常なパターン。


 「これは……?」


 ナギの手が止まる。彼女が見たのは、まるで誰かが語りかけるような波形だった。


 だがそれは、言葉ではなかった。

 それはただ、“開かれた”という事実だけを伝えてきた。


 ──《REBOOT OF TRLLITY》──

 トリリティのメインディスプレイに、先ほどとは異なるフォントでその言葉が浮かび上がった。

 それは警告でも、命令でもない。まるで、宣言のように。


 「自分で、自分の再起動を……?」


 ナギの声に、ほんのわずかな震えが混じる。


 神経接続系に異常はない。主電源にも変調なし。けれど、トリリティの中枢神経データバンクの一部が、外部信号に反応して“自ら展開”しようとしていた。


 「これは、私たちが触れていいものじゃないよ……カナン」


 「……だが、見ちまったもんは仕方ない」


 エリミオの残骸が見え始める。

 かつて、ここは10万人を超える人間が暮らしたドーム都市だった。だが、戦争とエネルギー争奪の余波で、内部の核炉が暴走。現在は立入禁止指定区域。

 それでも、未回収の文明の断片は、まだ数多く埋まっている。


 カナンがトリリティを減速させながら、前方の荒れ果てたビル群を見つめる。

 その目には、焦りも、戸惑いもなかった。ただ、次に起こる何かを見据える者の視線だけがあった。


 ナギが静かにモニターを切り替える。波形のノイズはもう消えていた。


 「……“それ”が、また目覚めたら、どうするつもり?」


 「問い返すなよ。たぶん、もう引き返せない」


 カナンの右手が、操縦桿をわずかに強く握る。


 ナギはそれを見て、小さく息を吐いた。

 そして静かに、前を向く。


 トリリティの機体がゆっくりと再加速し、廃墟と化した都市エリミオへと滑り込んでいく。

 まるで、過去の亡霊に呼び寄せられるかのように——



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