プロローグ
これは、遥か遠い未来の物語。
人類は太陽系を飛び出し、数多の星々へと移住していた。地球という名は神話として語られるだけの存在になり、記録よりも空想の中で生き続けていた。
惑星「スウア」
かつてスウア船団が降り立ち、開拓したこの星は、プロキシマ・ケンタウリ系に位置し、地球からおよそ5光年離れている。
大気は薄く、放射線量は高い。荒野に吹く風は鋭く、植物は自生せず、動物の姿も滅多に見られない。だが、かつて人類が植え付けた“文明の種”は、巨大なドーム都市としてここに根を張っていた。
そのひとつが——メグリノン地区。
機能を保つ数少ないドームの一つであり、気密と再生循環の技術に支えられ、数百万人がこの巨大ドームに暮らしているが、そのほとんどはこの街の外に何があるのかすら知らない。
都市間の通信網はすでに崩壊し、隣のドームが生きているのか、滅んでいるのかすら、知る者はいない。
この星で、今もわずかに回る“経済”を支える職業がある。
過去の遺物を掘り起こす仕事——“サルベージャー”
「さあ、仕事の時間だぜ」
朝も夕も区別のない赤い空の下、カナン・レムナントはドーム外の簡易整備ステージに立ち、DMの胴体へ跳び乗った。
全高6.5メートル。灰鉄色の装甲が赤い夕陽を受け、鈍く輝く。
彼の相棒、機体名トリリティ。
本来はサルベージ作業用に改造された機体で、主に未探査の旧施設から資源やデータユニットを回収する任務に使われていた。
その足回りは特殊で、重機のような履帯——ただしキャタピラではなく、雪上車に似た滑走型の“スキー履帯”を備え、荒野の砂嵐や起伏をすべるように移動できる。
「出発、もうすぐなんでしょ」
声がしたのは、ステージ下。
サイドパネルを開いて工具を走らせていた少女が、トリリティの腹部から身を起こした。ナギ。年齢はカナンより少し下。白い作業着の袖をまくり、オイルまみれの手で汗を拭う。
「また大物狙い? いつも言ってるよね、帰ってくるときは手ぶらだって」
「今回は違うさ。勘が言ってるんだよ、ナギ」
ナギはふんと鼻を鳴らして立ち上がる。
「それ、三日前も言ってた」
「まあまあ」
カナンは笑い、照れくさそうに後頭部をかいた。金色の髪は根本が黒く、染めた部分が褪せて地の色が見え始めている。
彼の瞳は濃い緑。だが、時折、それが何かを測るかのように冷たくなるのが印象的だった。
ドーム都市メグリノンの外は、灼熱の荒野だ。大気はわずかしか存在せず、宇宙線と細かな砂塵が常に舞っている。
生身で出るのは自殺行為。だからこそ、DM——ドールモジュールと呼ばれる機体が必要なのだ。かつては戦争用に開発された有人機動兵器。今ではその多くが、再利用・改造されて生活を支える“重作業用”として使われている。
カナンの《トリリティ》もその一機である。かつてどこかの軍で運用されていたのか、製造番号も刻印も一切不明。
唯一の識別コードは、胸部装甲にうっすらと刻まれていた "TRLLITY" の文字だけだ。
「……トリリティ、今朝、ログが一つ飛んでた」
ナギが言った。小さな端末を操作しながら、眉をひそめる。
「記録が改ざんされてるとかじゃなくて、本当に“抜けてる”。3秒間、何があったのか分からない」
「メンテの時の記録か?」
「ううん。起動前。つまり、誰も乗ってないとき」
その一言に、カナンの笑顔がわずかに揺れた。
ナギは一度口を閉じてから、低い声で続けた。
「カナン。……やっぱり、普通じゃないよ、この機体」
整備士として、ナギはトリリティの隅々まで熟知している。彼女は元々、別のドーム都市で軍用機の整備をしていた——という噂もあるが、本人はあまり語らない。
「分かってるよ。でも……こいつでしか、外には出られない」
カナンの返事は短かったが、静かだった。
サルベージの仕事は、命がけだ。資源の残された旧世界の遺構に潜り、再利用できるパーツやデータを持ち帰る。
都市では、それが“通貨”になる。
だからこそ、機体は絶対の信頼が必要だ。
ナギは黙って頷くと、最後の調整を終えて、装甲を閉じた。
メグリノン・ドームから北へ15キロほど進んだ地点に、古代の地下施設の入り口があった。
旧地球の言語で書かれたプレートには、「通信衛星局 L-X1081B」とあったが、既にほとんどの設備は砂に埋もれ、風化していた。
トリリティは静かに滑るように荒野を進み、施設の開口部へとたどり着いた。
内部の気圧調整が行われると、機体のハッチがゆっくりと開いた。
カナンは内部からスーツを着込み、ナビヘルムを装着。トリリティの管制系と自身の意識がシンクロする。
「じゃあ行ってくる。三時間で戻る予定」
通信回線の向こうで、ナギが少しだけため息をついた。
「……無理はしないで。例のログ、何かあってからじゃ遅いんだから」
「分かってるって」
軽く返しながらも、カナンの視線はずっと、トリリティのメインモニターにあった。
わずかな違和感がある。だが、言葉にできない。機体が、何かを“隠している”ような気がするのだ。
ハッチを閉じ、荒れ果てた施設の闇へ。
トリリティは、無音の滑走で内部へと侵入していった。
その瞬間だった。トリリティの内部センサーが、微細な反応を検知した。
空間の奥、通信ユニットの残骸の陰に、何かがある。
カナンはモニターを拡大する。
「……エネルギー反応? まさか、起動してるのか……?」
その“まさか”は、すぐに現実となった。
突如、施設の奥から赤い警告灯が点滅を始めた。
同時に、トリリティの制御系に、古いアクセス要求が流れ込む。カナンは慌てて防壁を張り、管制を守った。
「なっ……何だ、こりゃ……!」
次の瞬間。トリリティの機体が、カナンの意図とは異なる動きを見せた。
肩部アームが自動的に起き上がり、過去のプロトコルに従って、施設内部に搭載されていた古代型の迎撃ユニットへ照準を合わせた。
砲身が、展開する。
「ちょっと待て、それは——」
ナギの声が入る。
『カナン、砲門が……自動で!? 入力してないでしょ!?』
「してない! 勝手に、トリリティが——!」
銃声。
トリリティの左肩部から、粒子砲が発射された。迎撃ユニットは一撃で沈黙する。
その静寂の中、トリリティの内部コンソールに、一つの文字列が表示された。
> SYSTEM OVERRIDE ACTIVE
> MODULE CLASS: PHASE-1 WEAPON UNIT / L.X.1081-B
> LOGGING MODE: RESTRICTED
「……ナギ、今の見たか」
『見たってレベルじゃない。あれ、兵器じゃん……普通に。』
ナギの声は震えていた。トリリティの外部ログが、彼女の端末にも即座に同期されていたからだ。
サルベージ機の名目で運用されてきたこの機体が、自律的に兵装を展開し、しかも即座に敵性ユニットを排除した——それは、彼女の知る限り“普通”ではない。
「こいつ……戦争の名残、か?」
カナンの目が、スモークがかったコクピットガラスの先にある施設の奥を見つめる。
ログにはさらに奇妙な表示が続いていた。
UNIT ID:TRLLITY -PRIME
STATUS: PHASE-1 COMPLETE
NEXT WAKE: CLASSIFIED
USER LEVEL: RESTRICTED (1/3)
MANUAL OVERRIDE: FAILED
「……レストリクテッド? 制限されてるのか、俺が?」
トリリティは、ただのサルベージ機ではなかった。
それは“兵器”であることを、自ら証明してみせた。
しかも、完全に覚醒したわけではない。
これはまだ「フェーズ1」——つまり、序章に過ぎないということだ。
カナンは深く息を吸い、椅子の背にもたれかかった。
「なあ、ナギ。こいつ、手放すわけにはいかない。多分、ただの稼ぎ道具じゃない。こいつには……何かある」
『分かってる。ていうか、今さら手放せる状態じゃないよ。あたしたち、もう完全に“巻き込まれた”側だと思う』
そう言いながら、ナギは自分の手の平を見つめた。
整備士として、何百と扱ってきた機体たちのどれとも、トリリティは違う。
この感覚は、職人の本能に近い。
……この機体は、生きている。
そう思えてしまうほどに。
施設の探索は予定を切り上げ、二人は撤収の判断を下す。
トリリティのスキー履帯は砂上を音もなく滑り、荒野へと戻っていく。
そして、その背後に残された地下施設の奥、封鎖されたエリア。
鋼鉄のゲートの内側に、冷たく眠る影があった。
そこには、まるでトリリティと“対”を成すような機体が、長い眠りの中にあった。
その日、誰も知らなかった。
この一件が、惑星スウアに新たな戦火を呼び起こすことを。
そして、この機体が、かつての“戦争”の中心であったことを。
物語は、静かに動き出す。
リバース・オブ・トリリティ——それは、ただのサルベージから始まった。
トリリティには、2系統の操作系統が存在する。
手動操作系
スティック・ペダルなどの旧来型インターフェース。メンテナンスや細かな挙動制御時に使用。
意識連動系(NEIS)
カナンが主に使用する主操縦系。搭乗者の脳波・神経信号・視線入力をリアルタイム解析し、反応速度を飛躍的に向上させる。
脳とトリリティの間には**リンクブースト機能(LinkSync)**が存在し、操縦者が高度な集中状態に入ったとき、自動で「シンクロモード(同期状態)」に入る。
このとき、**機体の挙動が“意識と直結”**し、限界ギリギリの動作が可能になる。
カナンはこの「深層同期状態」に入ることで、本来の性能以上の反応を引き出している。