第9話 交錯する感情《クロス・エモーションズ》
本来あった9話を出さずに先に10話を掲載してしまいました!
混乱させて申し訳ないです〜
露崎ユリは教室の窓から、遠ざかっていく妄想英雄の姿を、茫然と見つめていた。
(……なに、あれ……なんでこんなにドキドキしてるの……?)
心臓が、まるでマラソンでもしたかのように高鳴っている。胸の奥が、熱い。
無意識に、指先で自分の唇に触れる。あの瞬間、目の前で繰り広げられた光景は、彼女の凍り付いていた日常を、鮮やかな色彩で塗り替えるようだった。
仮面の下の素顔は分からない。
声も、奇妙なほど芝居がかっていた。
でもあの感じ、昔から知ってる。
あの諦めない姿勢、そして少しだけ不器用な正義感。
まさか……
あの仮面の人、神崎シン!?
……とても似てる……でも、なんであのシンが。
脳裏に浮かんだ、ありえないはずの名前。
クラスの隅で、いつも俯いているぼっちのクラスメイト。
彼とは、かけ離れた「英雄」の姿。
けれど、確かに、彼の背中には、子供の頃に憧れた……あの時のシンと重なる影があった。
静かに、しかし確実に、露崎ユリの中で神崎シンへの認識が、根底から変わり始めていた。
この灰色の世界で、感情を忘れかけていた彼女の心に、小さな火が灯った瞬間だった。
——その頃、屋上では。
「帷——解除」
シンが姿を隠したのを確認し、アマデルが静かに呟く。
光学迷彩のような精霊の帷が、まるで霧が晴れるように解かれると、一瞬にして、学校は何事もなかったかのような静寂を取り戻した。
転送されアマデルの隣に立っていた白石アキラが、彼女をじっと見つめる。その整然とした顔には、先ほどの驚きと、静かな好奇心が浮かんでいた。
「……君は何者なんだ?」
白石は、まるで難解なパズルを解き明かすように、アマデルの存在を分析しようとしている。彼の知的な瞳は、隠された真実を見抜こうとする探求心に満ちている。
「わたくし? 黒翼の使徒の守護者であり、彼を支える存在ですわよ」
アマデルは微笑む。その笑みには、いかなる動揺も窺えない。精霊特有の、純粋で、どこか人間離れした美しさがそこにあった。
「……さっきの転移、そして空間操作……君の力に興味がある」
白石の探求心は尽きない。彼の表情には、知的な探求者特有の、獲物を見つけたような輝きが宿っている。彼にとって、理解できない現象は、究明すべき謎であり、そこにこそ最大の魅力があるのだ。
「あら……わたくしには、彼ほど“興味深い”人間はいませんけれどね……」
アマデルは意味深に微笑む。その視線は、白石を通り越して、シンが消えた方向へ向いている。彼女の言葉には、シンへの深い特別性と、彼への絶対的な忠誠が込められていた。
白石は少し驚いたように目を細めた——しかし、それは彼にとって、単なる感情の表出ではなく、アマデルの反応から新たな情報を引き出すための分析だった。やがて小さく笑った。
「……確かに」
その笑みは、アマデルの言葉を受け入れたというよりも、彼女の反応が彼自身の推測を裏付けたことへの、知的な満足感を表していた。
そこへ、仮面を外した俺が駆け寄る。
「お、おい、し、白石……だ、大丈夫だったか?」
「ああ、このとおりだ」
白石は冷静に答える。
そして——現実が戻ってくる。
ついさっきまでの戦闘で猛々しく啖呵を切り、堂々と名乗りを上げ、決め台詞までバッチリ決めていた俺だったが。
……ここで、「リアル神崎シン」の弱点が発動する。
(やべえ……戦闘中はスラスラ喋れてたのに、今めちゃくちゃキョドってる!!)
勢いよく駆け寄ったはいいが、ここから何をどう話せばいいのか、さっぱり分からん。
そもそも、俺は他人とまともに会話するのが苦手というか、数年ぶりかもしれないレベルなんだよ。伊達に中学の頃から”ぼっち”やってるわけじゃない。
目の前の白石アキラ——天才にして生徒会長——が、冷静にこちらを見つめている。その視線は、まるでレントゲン写真のように、俺の内心を見透かしているかのようだ。
(なんか、白石って“選ばれし者”感あるよな……だとしたら、俺のキャラと被るんじゃねえか?)
そう考えていたら余計に焦ってきた。
「えーと……お、お前、あれだ、……ない、怪我とか……な、い、よな?」
カタコトか。
俺のコミュ障が全力で発揮された瞬間だった。
白石はそんな俺をじっと見つめ——
ふっと、微笑んだ。その笑みには、計算高さと、ある種の愉悦が混じっているように見えた。
「神崎シン。君が“仮面の男”——いや、妄想英雄だということは、すぐに分かったよ」
「……え?」
(ま、マジかよ……!? あんなにオーバーに演技したのにか……!?ていうか恥ずかしいだろうが!)
俺は思わず肩を跳ねさせる。
「ずっと君のことは、常日頃から観察していたからね。言動ですぐに察したよ」
(やばい……さすが天才、白石アキラ、鋭すぎる……!でもなんで俺なんかを観察?)
「……そ、そうか」
言い訳しようかとも思ったが、無駄そうだった。
ちらりと視線を向けると、アマデルが口元に手を添えて、楽しげに微笑んでいる。
(……なんか、めっちゃ愉快そうに見守ってないか?)
アマデルの青色の瞳がきらりと光る。
「まあ、当然の結果ですわね。あの戦闘の間、普段と口調は違えど、貴方の思考の流れはまるで変わっていませんでしたもの」
「うっ……」
……精霊にまで言われたら、もう誤魔化せないじゃねーか。
「もちろん、このことは誰にも言わないよ」
白石はニヤリと笑った。その笑みは、単なる友好的な笑みではなく、何かを企んでいるかのような、底知れない魅力を宿していた。彼がシンに協力することで、何を得ようとしているのか。その目的はまだ謎のままだ。
「だけど、その代わり——」
そう言って、彼は俺に手を差し出す。
「私にも、君の“活動”をサポートさせてくれないか?」
その瞬間、アマデルの笑みがわずかに揺らぐ。まるで、彼女の中に眠る、ごくわずかな感情が顔を出したかのようだった。
——気のせいか?
白石の提案は、決して悪いものじゃない。むしろ、天才であり情報通の彼が協力してくれるなら、こっちは大助かりだ。
でも——なんだ、この違和感は?
アマデルは何も言わない。
しかし、その視線は俺と白石の手の間を、じっと見つめていた。その瞳の奥には、シンには読み取れない、しかし確かに存在する複雑な感情が揺れていた。
……まるで、それが“良くないもの”であるかのように。
……でも、そんなの、考えすぎだよな。
「……頼むぜ、白石」
俺はその手を、しっかりと握り返した。
その時——ほんの一瞬だけ。
アマデルの表情から、微笑が消えた気がした。
まるで、大切なものを奪われた子供のように、その顔に微かな陰りが差したのだった。
そうです。
この話がないとアマデルの存在がつながりません!