第18話 孤独の終焉と覚醒の予兆
静寂——
黒曜の床に、3対3の影が落ちていた。
こちらは、俺・シンを中心に、メイ、そして精霊アマデル。
対するは、伝説級の魔人たち——バハムート、リリス、タロス。
コロシアムの空気は張り詰め、誰も息を呑むしかなかった。
天井に渦巻いていた黒い霧も、今は静まり、次の瞬間に牙を剥くのを待っている。
少し離れた場所で、カイが腕を組みながら呟いた。
その背後、観戦エリアに下がっている子供たちは、緊張の面持ちでこちらを見つめている。
「あんな強そうな敵は、見たことがないよ」
「さっきは一人で全部倒してたけど、今度は……違う感じがする……」
するとカイがやや声を張った。
俺たち三人に向けられた、その言葉は簡潔だった。
「勝利条件は、敵の“誰かひとり”を倒すこと。ただし……こちらの誰か一人でも戦闘不能になった時点で、即敗北だ」
(……一人でも欠けたら、終わり。バランスが崩れたら、アウトか)
カイの言葉は続く。
「つまり三位一体——お互いを信じ合えなければ、この試練は越えられない」
その言葉に、背筋が伸びた。
俺は思わず、隣のメイと、少し離れた位置で魔法陣を練るアマデルを見やる。
二人とも、視線はまっすぐ敵を見据えていた。
アマデルは俺の妄想設定のキャラだし、メイもラノベで読んだからだいたいの動きや性格はわかっているが、いきなり信じ合えとか言われても自信がない。
そもそも俺は、ずっと”ぼっち”だった。チームワークとか全然興味がなかったし、スポーツなんかでそういう場面をみると、むしろ嫌気がさしていた。
(やばいな……最も”不得意”な試練じゃないかこれ)
その瞬間——
バハムートの口が、ゆっくりと開いた。
ズォォォォォォンッ!!!
灼熱の咆哮。
空気が震える。鼓膜が震え、視界が波打つ。
バハムートの炎が地を裂き、床に火の筋が走った。
俺はその射線の隙を狙おうと移動する。しかしタロスがその巨体で盾を構え、前方に立った。硬質な銀の鎧からは、重圧のような魔力が溢れ出ていた。
「何か……来る」
メイが低く、警戒するように呟く。
その裏でリリスは踊るように後方で舞いながら、六本の腕で同時に詠唱を開始。
呪文の言葉が空間に共鳴し、彼女の周囲に数十の魔法陣が出現する。
「初手でバフ……序盤で一気に圧倒する気かしら」
アマデルが即座に支援結界を展開し、術式を打ち消そうと試みる。
——敵の三体の見事な連携の前に、俺の動きは明らかに後手にまわっていた。
タロスが前衛で構え、バハムートが一撃必殺の火力を蓄える。
その後ろでリリスが支援と補助を完璧にこなしていく。
伝説のヴィランのそれぞれの特技が連携した“3マンセル戦術の完成形”。
「これは……隙がないな」
俺の手が汗ばむ。こちらの連携が噛み合わなければ、すべてが瓦解する。
(どうやって、誰から崩す?後手に回った側が圧倒的に不利じゃないか?)
——ドォン!!
バハムートが二度目の咆哮を上げた瞬間、炎を纏った鋭い爪の一撃がうなりをあげ、空間がひしゃげた。
その直接攻撃の威圧感はブレスとは比にならないほど凶悪だ。
だが、一歩前に踏み出したのは——メイだった。
「こいつは私が抑える」
隣で盾を構えていた巨人タロスの背中の城郭から、巨大な矢が発射されメイを襲う。バリスタと呼ばれる攻城兵器を粉砕するような一撃を、メイは……糸の盾で受け止めた。
「メイ!大丈夫か!」
俺が駆け寄ろうとすると、彼女は冷たい目線で俺を制止した。
「下がって」
言葉のすぐあと、バハムートの炎が彼女を襲う。
だが、彼女はひるまなかった。
「——《鋼糸障壁・連層陣》!」
空間に複数の糸が張り巡らされ、炎を寸前で遮断する。髪が焼ける寸前の距離——にも関わらず、メイは一歩も退かない。
(今あの技を使えば、一気にリリスを仕留められるか……!)
俺は左手を突き出し、右手で弓を引き絞るように構える。
すると両手に炎の弓と矢が顕現し、炎の鏃にエネルギーが一点に集中される。
「紅蓮封牙・零式」
灼熱の光と共に矢が放たれ、引き裂かれた空間がその圧で渦巻く。
——俺の最大遠距離火力技。だが……
直前で回避され、腕を数本吹き飛ばしただけで完全には仕留めきれなかった。
「チッ……!」
リリスは即座にタロスの裏に隠れ、残った腕で魔法陣を再構築し始める。
(このままだと、回復されて埒があかねえ……!)
焦燥が胸をかき乱す。だが、俺には——回避不可の切り札がある。
そのためにも、単独でリリスに近接する必要があった。
そのときだった。
『ためらってる場合じゃありませんよ、マスター』
アマデルの透き通る声がバイザー越しに響く。
彼女は魔法陣を展開し、そこに青白い光を注いでいく。
「《精確なる瞳》……領域内認識力、最大強化」
俺の視界が一瞬で明瞭になり、裏に隠れているリリスの息づかいすら感じられるようになる。
(アマデル……!)
それを打ち消すべくリリスの抵抗魔法の詠唱が始まった。
「このタイミングしかない……!」
俺は飛び出した。紅蓮の剣を両手に顕現させ、一直線にリリスへと距離を詰めていく。
その瞬間——
「——っ!?」
俺の視界に、鋼の塊が割り込んできた。
タロス。白銀の巨体が、巨盾を掲げ、進行方向を完全に遮っていた。
「邪魔だっ……!」
渾身の一撃を放つが、盾は微動だにしない。すぐさま反撃の拳が振り下ろされ、俺は吹き飛ばされかける。
(クソッ……あいつを越えないと、リリスを狙えない——!)
その時だった。
メイの糸が一直線にタロスへと伸び、四肢を拘束。脚部に絡んだ糸が地面に縫い止め、タロスの動きを封じていく。
その直後、バハムートを縛っていた圧力が弱まり炎の爪の一撃が、メイの腹部に直撃した。そして続け様に、灼熱の咆哮がその身を襲う。
だが、彼女は一歩も引かず、両手を掲げた。
「バハムートの攻撃も、タロスも……私が受け持つ。あなたは行って」
すると彼女の身体が、瞬間的に変化する。甲殻のような漆黒の外殻が腕と背に展開され、背中から八本の蜘蛛脚が顕現する。
アラクネ・ロード——戦闘特化形態だ。
とはいえ、あんな細身で、巨大な二体の攻撃に長く耐えられるとは思えない。
ガァァン! ガァァン! ガァァン!
メイの体からは絶えず鉄と鉄がぶつかるような衝撃音が響く。
しかしメイ防衛しながらも、放たった無数の糸で、タロスの拳の動きを封じ、逆に肘関節へと巻きかせている。
彼女は二体の動きを読み取りながら、糸で包囲するように徐々にタロスを制限していく。その動きは、まるで冷静な機械のようだった。
「メイ!無理すんな!」
俺が声を上げると、メイは炎の中から、振り返らずに言った。
「あなたを信じる。だから、私のことも信じて」
その声に、後方からアマデルがすぐに反応した。
「大丈夫です。わたくしが——彼女を支えます!」
手に魔法陣を浮かべ、精霊の力を放出する。
「《治癒糸強化・癒繭結界》!」
淡い光が糸を這い、メイの体を包み込むように結界を展開。負荷がかかる部位を瞬時に補強し、彼女の耐久を劇的に引き上げる。
「……あなた、案外頼れるのね」
メイがちらりとアマデルに目を向ける。
「当然ですわ。彼の従者ですから。あなたも——悪くないですわね」
短いやり取りに、わずかな微笑が交差した。
——俺の心が震える。
彼女らは今、命を懸けて敵のヘイトを背負っている。俺を——活かすために。
(もう、”ぼっち”は卒業だな……!)
俺は紅蓮の刃を構え、視線をリリスに定める。
アマデルの補助がある。メイが敵を引き受けている。
——なら、やることはひとつ。ここが、アタッカーの真骨頂だ。
俺は地を蹴り、紅蓮の力を剣に収束させると、リリスのいる場所へと一直線に突撃する。
すると即座に術式で対抗するリリス。
「幻視封印陣」
黒い蝶の群れが舞い、空間を、視界を蝕んでいく。
真っ暗な闇が覆い尽くそうとする中、俺は一歩引かず、リリスがいた場所へ到達した。
——だが、そこにリリスの姿はなく、気配すらまったく認識できなかった。
それどころか、俺の視覚がゼロになっている。
(見えない。わからない。気配すら——……!ちっ認識と盲目のデバフか)
俺は歯を食いしばる。残った力を振り絞り、周囲に意識を張る。
——その時だった。
胸の奥が、突然、灼けるように熱くなった。
「……っぐ!」
心臓の裏、意識のさらに奥。そこから、不気味な“何か”が震えた。
(……なんだ、これ……?)
熱い。だが、単なる熱じゃない。重く、黒く、深い圧のような怒り——
——“我の力を使え”
誰かの声が、確かに聞こえた。
鼓膜じゃない。脳に、直接、染み込んでくるような声だった。
(今の……声は?)
俺の体内が侵食されるかのように、魔力でも妄想でもない“何か異質な力”で満ちていく。
離れた観戦席で、カイの目が鋭く細まる。
「……ようやく目を覚ますか。さて、あなたはどっちを選択するんだい」
俺は、その声に応じるように黒翼にどす黒いオーラを纏わせ、怪しく輝く右手の紋章を掲げた。
(なんでもいい……使えるなら、俺が使ってやる)
すると仮面が一瞬だけ無数の暗黒の羽に覆われ、その中心に“光の逆転”のようなオーラが走る。
その瞬間——視界が、変わった。霧の帳が裂ける。
リリスの姿が、まるで“光の影”のように浮かび上がる。
その胸部の奥、ただ一点だけ、光を吸い込む“核”のような存在が見えた。
(あれはやつの……コア……!)
不可視だったはずのリリスの位置が、明確に見える。
身体を縮め——重力を振り切るように飛び出す。
視界の端で、タロスが動こうとするが、まだメイが糸で封じている。
その隙に、俺はリリスの眼前へと瞬間移動するように出現した。
「——終わりだ」
紅蓮の力と、覚醒した影の力を剣へ螺旋に纏わせ、突き出す。
「極零式・極滅爆裂ッ!!」
ズギャァァァァアアアアン!!
空間が抉れ、コロシアムの床が逆巻くようにひしゃげ、核ごとリリスの身体が爆光に呑まれて砕け散った。
その瞬間、タロスが膝をつき、バハムートの咆哮も掻き消えるように霧散していく。
リリスの核が砕けた瞬間、敵の構成が崩れ、戦闘は終了した。
——終わった。
静寂の中、俺はただ炎の剣を静かに下ろした。
「すげえ、これが……ヒーローの戦い……」
背後から、子供達の歓声が巻き起こる。
「やばいよ、かっこいい……!」
「やった、やった!勝った!!」
無邪気な喜びが、俺の背に降り注ぐ。
俺は静かに、深く息を吐いた。
(こんなに……誰かのために戦ったのは、はじめてだ)
そして、その誰かが——俺のために命を懸けてくれた。
“俺は、もう独りじゃない”
胸の奥が再び熱くなる。
しかし、さっきのような不気味な声はもう聞こえなかった。ただ、遠くに黒い微光が揺れているような感覚だけが、残っていた。