第14話 妄想の果てのリアル
ナイトフォールの中枢に続く長い廊下は、これまで歩いてきた地下キャンプとは明らかに空気が違った。
足元の床は、何層ものタイルや鉄板の上に無理やり絨毯を敷き詰めたような不揃いさ。
壁には退色した旗や、色褪せた写真、古びた神具みたいなものが飾られている。
それなのに、どこか神聖で、近寄りがたい気配があった。
ガイが前を歩きながら言う。
「ここから先は、選ばれた者しか通れない“聖域”だ」
無愛想な警備班の男が俺たちを一瞥し、無言で扉を開けてくれる。
「怖じ気づいたらここで引き返してもいいぜ」とでも言いたげな目つきだ。
白石がぼそっと呟く。
「妙だな……ここだけ重力が違うみたいだ」
「お前、なんでも科学的に言うのな……でも確かに、空気が重い気がする」
——さすがに気のせいか、たぶん緊張してるからだろう。
奥へ進むにつれ、照明はさらに暗くなり、逆に“静けさ”だけが濃くなっていく。
やがて現れた重厚な扉。その中心には、まるで人の顔のような彫刻が浮かび上がっていた。
「合言葉を」
低い声が響く。
ガイが一歩前へ。
「——“夜明けはまだ遠い”」
しばらく沈黙ののち、重たい扉が、ゆっくりと軋む音を立てて開いていく。
中は、まるで古い洞窟と戦争シェルターが融合したような広間だった。
冷たい空気が、まるで冬の夜に外へ出たときのように肌を撫でた。
部屋の中は、天井がやたら高くて、けっこう広い。
天井からは蜘蛛の糸で吊るされたような奇妙なランタンがいくつもぶら下がっていた。
光は足元にすりガラスのような陰をつくり、奥へ進むほどに暗さが濃くなる。
そして周囲の壁はまるで生きているかのように、時折ゆっくりとうねったり、隙間から光が漏れたりしていて、正直いって……不気味だ。
「ん?誰かいる……」
見ると中央には、まるで使われていない祭壇のような台。その奥、闇と光の境界線で、ひとりの少女が静かに立っていた。
漆黒のドレスのようなワンピースのような格好。
髪は夜みたいに黒く、肩のあたりでゆるく波打っている。
その肌は氷みたいに冷たく白い。
見た目はとびきりの美女だ。
でも、妖精かって思うくらい顔が整っていて逆になんだか怖い感じ。
しかも、そこに立っているだけで場の空気がきゅっと締まるような、形容し難い圧迫感があった。
彼女と目が合う。
青い——いや、ほとんど銀色に近いその瞳は、
まるで人間じゃなく、高性能なAIにスキャンされているような冷たさだった。
ドクン、と心臓が鳴る。
緊張している、というより“身の危険”を感じた。
(なんだ……こいつ……?)
隣の白石ですら、雰囲気に気圧され一歩だけ後ろに下がる。
——落ち着け、俺はイマジナリーヒーロー、黒翼の使徒……こういう場面でビビったら負けだ!
緊張している白石を横目に見て、俺はあえて一歩前に踏み出し、妙にカッコつけた立ち方をしてみた。
でも足が震える、さっきから手汗が止まらない。
その時、バイザーの奥でAIの声が響く。
『警告:対象の身体能力、精神力ともに人間の基準を大きく逸脱しています。
交戦は推奨しません。マスター、撤退を視野に警戒してください。』
(お、おい、そんな怖いこと言うなよ!)
『冗談ではありません。先ほどからあなたの心拍数と血圧が急上昇しています。
私が擬人化したとしても、おそらく勝てません。』
(擬人化?意味がわかんないんだけど、俺だってこんなヤバそうな女と戦いたくないよ……!)
けど、今さら引けるわけがない。
俺は、ほんの少しだけ肩を張り、仮面の奥で気取った声を作る。
「なあ……この先に、“あの人”がいるのか?」
——一拍、間が空く。
少女は、氷みたいに静かな声で応えた。
「あなたが、……“選ばれし者”?」
その瞬間、周囲の空気がまた一段、冷たく締まる。
俺はできるだけ落ち着いて返そうとする。
「……そうだ。“闇に抗う黒翼の使徒”……それが俺だ!」
自分でも内心“なに言ってんだ俺……”と思うが、止まらない。
そもそも俺の妄想は、設定が命なんだ。
少女の視線が、ほんの僅か動く。
青白い光の奥に、警告灯のような緊張が走る。
「……仮面の理由を教えてもらえる?」
(来た……説明タイム、でも怯むわけにはいかない)
俺は、さらに妄想力を盛って声を張る。
「これは冥界の焔が鍛えし黒翼の仮面……俺の魂と契約を交わした証だ!」
次の瞬間だった。
「——礼儀がなっていない」
少女の声が、ほとんど音を立てずに響いた。
すると突然、体中に見えない鎖が巻き付いたような圧迫感。
心臓が止まりそうなほど、体が動かない。
『警告。物理的に外部からの強い干渉。マスター、意識を維持してください』
(う、うぐ……ヤバい、息が……)
仮面の奥で、歯を食いしばる。
だけど……この状況でも、なぜか俺の中の“カッコつけ回路”が止まらない。
「ふ、フッ……これが……蜘蛛の女王の……超硬糸か……いいだろう……どこまで俺を縛れるか……試してみろ……」
——虚勢を張った瞬間、締め付けがさらに強くなる。
(いやまて、俺って今『蜘蛛の女王』って言った?なぜ?……あれ、俺この子を知ってるような気がするんだが)
呼吸が詰まる。
そのくせ、頭の中では“設定は保ててる”という謎の達成感も混じる。
と、その時。
その緊張の空気が、静かに和らぐ優しい声が響く。
「やりすぎだよ、メイ。ボクが彼を招いたんだから」
その声が聞こえた瞬間、体から圧力がふっと消える。
だが少女はわずかに眉をひそめ、俺をじっと見つめたままだ。
俺は足元から崩れ落ちそうになったけど、意地で姿勢を保つ。
肺に一気に空気が流れ込み、視界が鮮やかによみがえる。
(……マジで死ぬかと思った……!)
——でも”蜘蛛の女王”……”メイ”……あれ?俺、この子知ってるぞ。
てことは、この声の主は——
(まさか、まさか……)
闇の奥から、静かにひとりの男が歩み出てくる。
この瞬間、俺の心臓は再び大きく跳ねた。
俺の前で立ち止まると、その男は、ゆっくりと微笑んだ。
「はじめまして、神崎シン。ボクはカイ、佐藤カイだ」
——その名前を聞いた瞬間、脳裏がフラッシュバックする。
それは、かつて夢中で読んだ“あの物語”の、主人公の名。
(そんなバカな……あれはフィクションだったはずだろ……?)
現実と物語、妄想と記憶が脳内で激しく交錯し渦を巻く。
俺は、まるで世界の縁に立たされているような感覚に襲われていた——
次回、「神話と現実の交差点」