第12話 ナイトフォールへの誘い
翌日、俺と白石は、タイタンズの隊長・ガイから渡された端末を手に、渋谷区の雑踏の中をあるいていた。
この《トークン》には、小さな画面に数字が二列、ただそれだけが映し出されている。
……いや、マジでこの数字の意味がわからん。
ボタンもなく、操作性ゼロ。ただの数字を眺めてろってか?
「とりあえず渋谷近辺だ、あとはこのトークンの示す場所まで自分の足で来てくれ」
——そりゃ分かってないのに「わかった」と安易に答えた俺も悪い。
だけどさあ、カッコつけたくなるじゃん、流れ的に!察してくれよ、ガイ。
やっぱり気の利かない脳筋タイプかよ。
「なあこれ……番地っぽいけど、地図見ても該当なしなんだが……」
俺が困り果てていると、隣の白石がちらりと覗き込んで言った。
「ほう、これは緯度と経度だね」
と言って、すぐさま自分のスマホを操作し、数値を打ち込んでいく。ものの数秒で地図にピンが立った。
「ビンゴ。やはりGPSの座標だったね。ほら、ここだよ」
そこには、あまり人の寄り路地にある、古い雑居ビルが示されていた。
「……お前、ほんとに万能かよ」
「いやいや、万能という意味では君には負けるよ」
軽口を叩き合いながら、目的のビルに到着した俺たちは、外観の古びたビルの中へと無言で足を踏み入れた。
廃ビルらしい埃っぽさと、どこか“世界から切り離されたような静けさ”が漂っている。
(……音が死んでる)
街の雑踏も、風の音も、どこか遠い。自分の足音だけが、やけに大きく響いた。
「なんか……ホラー配信みたいだな」
思わずつぶやくと、白石が小さく笑った。
「違うのは”やらせ”じゃないってところかな」
その言葉がやけにリアルで、ゾクリとした。
「ここだね」
白石がビルの奥で立ち止まり、階段へと続く扉を示す。
そこには「立入禁止」のテープが貼られていた。
「おいおい、これ絶対入っちゃダメなやつじゃん……」
「今さら何を言ってるんだ、英雄だろ?」
その言い草に思わずため息をつきながら、俺は“スイッチ”を入れることにした。
俺は妄想の力で、右手に黒い仮面を具現化させ、ゆっくりと顔に装着する。
「へえ……そんな感じで形状を変更するのか。……面白いね」
白石が興味津々で観察してくるが、視線がキラキラと真っ直ぐすぎて居心地が悪い。
(さて——今日も演じきるしかないか)
俺は仮面の奥で一度深呼吸し、“妄想英雄”としての人格を纏う。
ここからは高校生・神崎シンじゃない。
奴らに支配された灰色の世界を、漆黒の炎で焼き尽くす”黒翼の使徒シン”――だ。
「俺の正体は秘匿で頼む。俺の能力は”設定”が命だからな」
「もちろん」
階段の先は、暗く、深く、まるで異世界へと続く奈落のようだった。
カビ臭い匂い。かすかな水滴の音。
一歩一歩、降りるごとに緊張が増していく。
『マスター。注意を。空間構造に異常な密度変化を検知しました』
やや緊張したようなAIの美声が、俺の思考に直接響く。
『ここは通常の都市構造ではありません。デジタル現実の圧縮兆候と、妄想領域への共振を確認。異空間への接続点が存在する可能性があります』
(なるほど……つまり、どういうこと?)
『つまり、この先に”ダンジョン”が存在する可能性ありです』
(……ダンジョンだと!?そりゃまた熱い設定じゃないか……)
その時、不意に声が一瞬だけ途切れた気がした。
『……懐かし……い……』
(今、なんて……?)
『訂正。記録の一部にノイズが混在していました。継続解析に支障はありません』
(……おい、AIのくせに、いま“懐かしい”って言わなかったか?)
だが、答えは返ってこない。
相変わらずの無機質な応答——のはずなのに、どこか人間くさい“揺れ”を感じた。
そして地下に降り立った瞬間——
「待ってたぜ、イマジナリー・ヒーロー」
不意にかけられた声に目を向けると、奥の暗がりからガイが腕を組んで現れた。
「……おい、ガイ。ずっとそれで呼ぶつもりかよ」
「お前がそう名乗ったんだから、そう呼ぶしかないだろ?」
(たしかに……)
仮面越しに俺が苦笑すると、ガイは肩をすくめて笑った。
そして——その背後に、俺は目を奪われた。
暗闇の中で、青白く揺らめく円環状の光。
空間が捻じれ、渦巻くように、そこに“穴”が開いていた。
「……これ、まさか」
「そうだ。ダンジョンへのポータルだ」
ガイが静かに頷く。
「支配者が現れてから、世界中に存在していたダンジョンポータルはすべて消滅した。だが——これだけは、例外だった」
隣で白石が低く呟いた。
「懐かしいな……子供の頃、配信で何度も見た。実際に入ったことはないけど」
「俺は自衛隊に入る前に何度か挑戦した。あの頃は、ダンジョン探索が職業にもなり得た時代だった」
ダンジョン——妄想と冒険の象徴。
俺が妄想に耽るようになったのも、昔見た“あのダンジョン配信”がきっかけだった。魔法、武器、未知の領域——そこには“夢”があった。
「でも、それも今は過去の話だ」
ガイが静かにポータルを見やる。
「オーバーマインドが来た時、まるで世界のルールが一斉に書き換えられたみたいだった。ダンジョンは消え、冒険は奪われた」
(ルールを書き換える……それって、まさに俺の“妄想”と同じじゃないか)
「——でも、ここは例外。ナイトフォールは、このポータルの奥にある」
「……!」
「つまり、“あの人”もそこにいる」
あの人。俺と同類、妄想の力を現実に変えた“先達”。
「世界で唯一、オーバーマインドに抗い続け、あるいは超える存在」
その言葉に、心臓が跳ねる。
(本物のヒーロー……俺と同じ“妄想の力”で?または違う能力で、この世界を変えた存在か……)
そのとき、再びバイザーの声が聞こえた。
『ポータル内部は不安定です。推奨はできません。……ですが、マスターの意志を最優先します』
(……なに、今さら俺が引くと思ってんのかよ)
俺は仮面の奥で笑みを浮かべ、白石と視線を交わした。
そして——
青白く渦巻くポータルへ、足を踏み入れた。