殺し屋は突然に
「はぁっ、はぁっ……っ、どこ行っちゃったのよ宮腰くん」
一応宮腰くんが向かった方向へ来てみたものの、姿が見当たらない。本当にどこ行っちゃったんだろう、周りを見渡しても宮腰くんらしき人がいる気配すらないよ。
にしても宮腰くん、足速すぎでしょあれ……びっくりしたわ。いつもゆっくりのんびり動いてるイメージしかないし、そもそも宮腰くんがあんな活発に動いてるところなんて、この数年で一度も見たことがない。入社当時からじっとしてることのほうが圧倒的に多かったもん。
異次元レベルの運動音痴なのかな? って思ってたんだけど、全くそうではなかったらしい。もはや、運動神経抜群なのでは? 宮腰くんって一体何者? 陸上選手?
「はぁっ、はぁっ、あぁもうっ! しんどっ!」
こんな全速力で走ったのはいつぶり? 高校最後の体育祭ぶりかな? 呼吸困難でお亡くなりになりそうですけど私……とかブツブツと心の中で呟きながら目を凝らして辺りを忙しなく見渡しても、宮腰くんの姿もなければあの柄悪男の姿もない。
まじかまじか、本格的にやばいよこれ。早く、早く宮腰くんを助けないと死んじゃう! 焦る気持ちを抑えて一旦立ち止まり、その場で息を整えようと深呼吸をした。
「ふぅー、落ち着け私。えっと、こういう時に行くお決まりの場所と言えば?」
まあ、こういう時の定番ってやっぱり“路地裏”……だよね? むしろ路地裏以外ありえないでしょってくらいド定番だよね。路地裏ってこういう時の為にあると言っても過言ではないような……いや、過言すぎるよさすがに。
うーんっと、この辺りで人気の少ない路地裏……かぁ。私は何となく心当たりのある路地裏へ向かってみた。
「ここの角を曲がったらぁ……」
角を曲がった先、まだ暗くなる時間帯でもないのにとても薄暗くて、ちょっと不気味な雰囲気が漂う路地裏。そこにいたのは──。
「あ、やっぱりいたぁ……ビンゴじゃん。もぉ宮腰くん急にガンダするんだもん、びっくり……した……よ……」
私に背を向けて立っている宮腰くん。そんな宮腰くんに何気なく近づこうとしていた私の歩みは、自然にピタリと止まった。自然にというより、脳から強制的に送られてきた危険信号で止まったという表現のほうが正しいかもしれない。
なんだろう、これ以上宮腰くんに近寄っちゃいけない気がしてならない。脳が、体が、私の“本能”が、なぜか宮腰くんを拒絶してる。
異様な緊張感に包まれて、ピリピリとした異質な空気感に膝が震えて体が竦む。なんなの、この震え。あそこに立ってるのは、本当にあの宮腰くんなのだろうか。私が知ってる同期の宮腰くんとは到底思えない。
はは、おかしいな。どう見てもあれは宮腰くんなのに。
「……ああ、篠宮さん。やっぱり来ちゃったか」
この声は紛れもなく宮腰くんで、後ろ姿だってどっからどう見ても毎日会社で見かける宮腰くんで間違えないはず、間違えないはずなのに──。どうしてこんなにも怯えてるの? 私は。
緊張からか、金縛りにあったみたいに体が硬直して動かない。はは、ははは……え? 私、宮腰くんのことを『怖い』ってそう思ってるの? はは、いやいや、あの宮腰くんだよ? 全然怖くなんかないじゃん。どちらかと言えば優しい人だよ? 無害な人だよ? 同期だしさ、入社当時からずっと一緒に仕事してきたじゃん。
「君にはあまり血腥いところを見せたくはなかったんだけど、見られちゃったものはもうどうしようもないか……仕方ないね」
こっちへ振り向こうとする宮腰くんを見て、私の体はギュッと強ばるのと同時にいつでも駆け出せるよう、つま先に力が入った。何かが、何かが違う、こんなの絶対に違う。
違うの、何かが。
宮腰くんなのに、そこに立っているのは宮腰くんなはずなのに── あれは『宮腰くんじゃない』と私の本能が訴えてくる。バクンッバクンッバクンッ……と心臓の音が煩い。息が苦しい、呼吸がうまくできない。
「ねえ、篠宮さん……今の見てた?」
見てない、なにも見てないよ。
「ねえ、篠宮さん……見ちゃった?」
見てない、なにも見てないよ、絶対に見てない。
── ゆっくり、私のほうへ振り向いた宮腰くんの姿を見て驚愕した。
スーツが血だらけで、でもその血はきっと宮腰くんのものではなくて、俗に言う“返り血”というやつだと思う。薄暗いから見にくいけど、宮腰くんの少し先に何かがある。地面に何かが転がってる……というか、誰かが倒れている……?
ねえ、その人……生きてる? 生きてるよね? もしかして、その人……死んでる? 死んでるの? そ、そんな……あの柄悪男を宮腰くんが殺しちゃったの?
ねえ、宮腰くん……君って何者? ねえ、宮腰くんってまさか……殺し屋だったりする?
── 殺し屋は突然に
やばい、これはやばい、冗談抜きでやばい、もうやばいとかの次元でもない。とにかく助けを呼ばないと── 私も殺させるかもしれない。
「だ、だれか……た、すけて……誰……か、誰かっ、助っ!?」
一瞬、ほんの一瞬だった。瞬間移動したの? って非現実的なことを思っちゃうほど、宮腰くんの動きがまるで見えてなかった私。一瞬で私の目の前まで来た宮腰くんが、私の口を大きな手で押さえて塞ぎ、壁に優しく丁寧に私の背中をトンッと押し当てた。
至近距離だからか、長い前髪の隙間から宮腰くんの目が少し見える。こんな時に、こんなタイミングで宮腰くんの目をしっかり拝めるとは。
・・・え? なんで?
長い前髪の隙間から私を覗いている宮腰くんのその瞳は、とても優しくて穏やかな眼差しだった。こんな瞳をする人が、人を殺めてしまうようには到底見えないし、思えない。
だけどやっぱり、怖いものは怖いよ──。
「篠宮さん、ごめんね。怖がらせるつもりはないんだ。まあ、篠宮さんなら追って来ちゃうだろうなとは思ってたけど。あの時と変わってないのなら……ね」
『あの時』……? あの時って、いつのこと?
「でも、抑えきれなかったんだ。篠宮さんに対して不粋な真似をしたアイツを。だけどこれは、完全に俺の配慮不足だったかな。ごめんね? 篠宮さん」
申し訳なさそうに私へ謝罪する宮腰くん。
そもそもこうなったのも、元はと言えば私にも多少なり原因はあるし、かなり異常で非情ではあるけど、宮腰くんはきっと私の為にこんなことをしたんだと思うの。私を助ける為に……みたいな? だから、だから……いや、だからどうしろっていうの!? この状況!
「大きな声出さないって約束できるなら手、離してあげる」
長い前髪の奥から微かに垣間見える宮腰くんの瞳は、ジト目で優しく微笑んでて、何を考えているのか全く分からないものだった。
── お願い、どうか私を殺さないで。
私は宮腰くんに従うことを選択して、コクコクと頷いた。そもそも大きな声を出そうにも、きっとこの緊張感ではどうせ声なんてまともに出ないし、“この人には逆らうな”と危険信号が出っぱなし。こんなの、反抗する気なんて微塵も起きないよ。同僚に殺されたくない、数少ない同期に殺されるとか嫌、そんな死に方は絶対にしたくない。
「いい子だね」
宮腰くんの大きな手が私の口から離れて、宮腰くん自体も私から少し離れた……と思ったらまた少し距離を詰めてきて、私の頬に少し震えてる手を優しく添えてきた。まるで壊れものを扱うよう、丁重に──。
「君が無事で本当によかった」
宮腰くんの手がとてもあたたかい。その指先からぬくもりと優しさが滲み出て、私の心が宮腰くんの優しさに包み込まれていくような、とても不思議な感覚に陥る。
私の頬に添えられた手のひらから『君のことが大切なんだ』って、そう伝えてくるような宮腰くんの手に、私は自然と自身の手を添えていた。
怖い、怖いけど、宮腰くんの優しさに触れると心が満たされていく。この感覚が少しくすぐったいけど、とても心地いい。
「ごめんね、篠宮さん。迷惑だとは思うけど俺……篠宮さんのことがっ」
「ぅうう……っ、うぐっ……うぅ」
苦しそうに唸ってる声が突然聞こえて、ビクビクしながら怯える情けない私。
「え? い、生きてる!?」
血だらけで倒れてる柄悪男がまだ生きてた、虫の息だけど。
「ハハッ。生きてるよ、死んでると思ってたの? ククッ。まあ、殺してはないよ? まだね」
「……え?」
""まだ""って、どういうこと? これから殺すってこと?
・・・もうこの際なんでもいいや、何も考えたくない! とりあえず救急車と警察を呼んじゃえば宮腰くんも下手に動けなくなるだろうし──。いや、この状況で救急車と警察を呼んだとして、宮腰くんはどうなるの? 正当防衛……が成立するとは思えない。そもそも宮腰くんノーダメージでしょ、これ。私はその瞬間を目撃したわけではないけど、これは完全に宮腰くんの犯行で間違えない。
“殺人未遂”と“逮捕”の言葉が脳裏に浮かぶ。さすがに同僚を犯罪者にはしたくない。
「さて、どうしようか。篠宮さん」
宮腰くんは穏やかな声でそう言いながらヘッドホンを首まで下げた。両耳には数ヶ所ピアスが付いてる。まさか、あの宮腰くんがこんなにもピアスを付けていたとは、想像もつかなかったな。
そして、マスクも取って長い前髪をかき上げた宮腰くん── そんな宮腰くんを目の当たりにした私は言葉を失った。
爽やかな笑みを浮かべて温厚そうにも見えるけど、どこか“冷徹さと冷酷さ”が漂う容貌。一つ言えるのは、宮腰くんはとんでもなくイケメンだった。はて、これのどこが陰キャなのだろうか。
「で、どうしようか」
「へ? な、なにを?」
「んー? あの人」
微笑みをこぼしながら倒れてる柄悪男を指差す宮腰くん。これは、どう答えるのが正解なのかが分からない。何をどうやって伝えればいいの?
「困らせてごめんね? でも、俺の大切な篠宮さんに手を出そうとしたんだ。これくらいのことは、当然の報いだよ。だから篠宮さんは何も気にすることないから、ね?」
ジト目で口元だけニヤッとさせながら怪しげに笑って柄悪男を見てる宮腰くんが、“異常”だと思ったのは言うまでもない。
「どうしようか。どうする? 篠宮さん」
私にはとても優しい笑みを向けてくる宮腰くんに調子が狂う。怖い人なのか、優しい人なのか判断がつかないっていうか、判断が鈍る。
「俺は君の指示に従うよ。君があの人を殺れって言うなら殺るし、生かせって言うのなら生かすよ? まあ、気に入らないけどね」
あくまで私の指示に従ってくれるスタンスなの……? だったらそんなの、一択に決まってる。
「こ、殺さないであげて……ください」
「ハハッ。なんで敬語? 本当に可愛いね、篠宮さんは」
私を可愛いと言った宮腰くんの表情はとても穏やかで、勘違いも甚だしいとは思うけど──『好き、愛してる』って、そう言われてる気がしてドクンッと胸が高鳴った。
・・・きっと私は、どうかしてる。
「ま、釈然としないけど篠宮さんがそう言うのならそうしようか。組の奴に片付けさせるよ」
そう言いながらスマホを取り出して、誰かに電話をかけてる宮腰くん。電話が終わって少しするとスーツを着た男達が現れて、血だらけの柄悪男を連れていった。
「あ、国枝さん」
「なんでしょう、若」
『組の奴』『若』この聞き慣れないワード。異様で異質な雰囲気に異常な強さ、点と点が徐々に繋がっていく。宮腰くんって殺し屋ていうか……893なんじゃないの? これ。
「ナイフ貸してくれます?」
「どうぞ」
「どうも。じゃ、先に行っててください。俺は篠宮さんとすることがあるので」
えっと、あの……すること、とは……?
「御意」
国枝と呼ばれてる人は、私達よりひと回りくらい年上そうだけど、私なんかにも丁寧に頭を下げてくれて、とても腰の低そうな感じの人だった。
──・・・って、いやいや、待って。そのナイフ、何に使うつもりですか? 宮腰くん。
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