どうしてこうなった?
ネックレスを貰ったあの日から妙に気持ちがソワソワして落ち着かない。私の気持ちを伝えたくて、でも伝えれないって状況が焦れったくて──。そんな日々を送りつつ、休日である今日は瀧川くんと水族館デート。
『俺達デートらしいデートまだしてないね』って瀧川くんが言い始めて、水族館へ行くことになった。
「よし、準備できた」
ちょっと気合い入れすぎたかな? とか不安になりつつ、リビングへ向かうと瀧川くんの声が聞こえてきて足を止めた。
「ちょっと……落ち着いてください大石さん。……え、いや……なんでそれを俺に? 俺には関係ないですよね? 切りますよ……はあ、何を言ってるんですか……そんなこと……は? 何ですかそれ。脅しですか? ……え、いや、すみません。分かりました……すぐ向かいます」
断片的に聞こえてきた瀧川くんの声が少し焦っているような感じだったけど、『大丈夫かな?』って心配よりも私とのデートより大石さんを選んだという現実があまりにもショックで、その事実が体にズシッと重くのし掛かってくる。私は咄嗟に部屋へ戻った。
コンコンッとドアを叩かれて、言われる言葉なんてもう分かってるのに、それを瀧川くんの口から直接聞かなきゃいけないの……?
「篠宮さん、開けてもいいかな?」
「……うん」
ガチャッとドアを開けて部屋に入ってきた瀧川くんの瞳は、私を見ているようで見ていなかった。
「ごめん、篠宮さん。急用が入って水族館へ行けそうにない……本当にごめん。この埋め合わせは必ずするから」
「……急用って、なに?」
「え?」
「どこへ行くの?」
「いや……本当にごめんね」
普段私がこんなこと聞くことがないから、明らかに困って目を泳がせている瀧川くん。なんで、どうして大石さんのところへ行くの? せめて『用があって大石さんのところへ行く』って、ちゃんと私の目を見て言ってよ。
「それって私との約束よりも大切なことなの?」
「……ごめん、篠宮さんより大切なものなんて俺にはない。でも、行かなきゃいけない」
なら、どうして? なんで大石さんを選ぶの?
「……そっか。わかった」
「ごめん、篠宮さん。落ち着いたら連絡するっ」
私の頬に触れようとした瀧川くんの手をペチンッと振り払って背を向けた。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「……うん、ごめんね」
『行かないで』なんて引き止めることはできなくて、『ごめん』って謝ってばかりの瀧川くんに苛立って、悲しくて、辛くて。家を出ていった瀧川くんを追いかける勇気は私にはなかった──。
「水族館……行きたかったな」
ネックレスを握りしめて、胸が張り裂けそうで、こんな思いをするくらいだったら好きになるんじゃなかったって、こんな感情に気づくんじゃなかったって、泣きたくなるほど後悔した。心が痛くて、苦しくて。
やっぱ私には恋愛なんて向いてないや──。
瀧川くんと来るはずだった水族館に訪れて、ちょっとしたベンチに座りながら大きな水槽を何時間もただボーッと眺めていた。瀧川くんからメッセージも電話も来なくて、この時間がどうしようもなく辛かったけど、家にいるよりは少し気が紛れてるだろうなって思って、ここに居続けた。
「あの、大丈夫ですか……?」
声をかけられたほうへ視線をやると、心配そうに私を見ている中学生くらいの女の子が立っていた。
「ごっ、ごめんなさい! 2時間前くらいにここ通った時もいて、すごい綺麗な人だな~って思って。ボーッとしながらまだここに座ってたんでちょっと心配になって……」
「そっか。心配してくれてありがとう」
こんな心優しい子がいるなんて、この世の中も捨てたもんじゃないなって本気でそう思ったし、今この子の優しさに触れて、私は間違えなく救われた。お礼になんか買ってあげようかな? とか不審者っぽいことを考えていた時だった。
「おい、杏奈! 何も言わず勝手に……って、え? 美波!?」
「……そ、颯真!?」
・・・ま、まさかっ……!? 中学生に手出してるの!? いやいや、さすがにやばいよ、それはまじで犯罪だって! どこでどう道を踏み外したの、颯真!
「いや、おい。そんな目で俺を見んな。ちげぇーよ、妹だよ、""妹""」
「……い、妹……? あ、ああ……って、ええ!? もうこんなに大きくなったの!?」
「そりゃそうだろ……8年も時は流れてんだから」
「ま、まあ……それもそっか」
「え!? もしかして美波お姉ちゃんなの!?」
「え、杏ちゃん私のこと覚えてるの!?」
「うん! 何となくだけどお兄ちゃんにめっちゃ美人な彼女がいて、いつも遊んでくれてたなーっていうのは覚えてる!」
いやぁ、杏ちゃんがこんなに大きくなってるとはなぁ。懐かしいな、あの頃が。
「あの人と来てんの?」
「え? ……いや、1人」
「は? 1人!?」
「なによ、1人じゃ悪いわけ?」
「い、いや、そういうことじゃねえけど……」
「お兄ちゃんさー、ほんっとデリカシー無さすぎ。ごめんね? 美波お姉ちゃん」
「……杏ちゃん、私がなんっでも買ってあげるからおいで」
「おいおい、そうやって杏奈を甘やかすのやめろよな~」
呆れたような顔をして私を見ている颯真の顔があの頃と何も変わってなくて、8年前に戻ったような……そんな気がした。
「お礼がしたいの」
「お礼って何のだよ」
「杏ちゃんが声かけてくれなかったら、今頃泣いてたかも……なーんてね。ささ、行こ? 杏ちゃん」
「うん!」
杏ちゃんがお土産屋さんでルンルンしている頃、私の隣で大きなため息を吐いた颯真が何か言いたげだった。きっと私の心配と、妹を甘やかすなよって文句の半々だと思う。颯真はそういう人だから。
「私は大丈夫だし、杏ちゃんを甘やかしてるわけでもないから。ほら、あの時さ……急だったじゃん? 私達。杏ちゃんにお別れも言えなかったし、そのお詫びも兼ねて」
「そんなの美波が気にすることじゃねえだろ。結局、俺のせいじゃん? 別れたの。あん時は本当に配慮不足だったなーって反省したわ」
あれは颯真のせいじゃない。私が自分に自信がなくて、颯真のことを信じきれなくて、何もしてない颯真を疑って、自ら破滅していった……っていう表現が一番しっくりくる。だから、颯真は何一つ悪いことなんてしてないし、今思えば本当に大切にされてたなって思うよ。ちょっと荒々しさはあったけど、学生だったからね。
「学校ナンバーワンのモテ男の彼女っていう肩書きが、私にはちょっと荷が重すぎたみたい。だから颯真のせいじゃないよ……ごめんね?」
チラッと颯真を見上げると、ジッと私を見下ろしていた。
「え、なに?」
「いや、俺ってそんなモテてたっけ」
「……は? 自覚なかったの?」
「まあ、人気者だな~とは思ってたけど、そんなモテてたって感じでもなかったぞ?」
「無自覚おつ」
「おまっ、それ言ったらお前だってモテてじゃん! 俺がどんだけ必死こいてたか分かってんの!?」
「いや、私は颯真ほどモテてない。だってそんな告白なんてされてないもん」
「ちげーよ!! 高嶺の花状態で美波に告白する奴なんてほぼ居なかっただけだっつーの! はいっ、無自覚おつ~!」
「そっ、そんなこと言われても自覚なんてできるわけないじゃん!」
「俺だって言うてモテてる自覚なかったわ!」
「颯真は告白されまくってたじゃん!」
「『彼女いるから無理』ってハッキリ断ってたろ!?」
「そうだけどっ」
「ちょちょちょっ……!! 2人とも声大きいって!!」
「「……す、すみませーん……」」
杏ちゃんに注意されて周りを見てみると、『どうした?』『カップルが喧嘩してる?』とかめちゃくちゃ注目の的になっていた。とりあえず周りにペコペコ頭を下げて謝る私達は、いい大人になって何をしてんだかってアホらしくなって、2人して笑いを堪えるのがやっとだった。
「ねぇねぇ! あたし達と一緒にイルカショー見に行こうよ! ね、いいでしょ? お兄ちゃん!」
「あ? ああ、まあ……美波がいいなら俺は全然いいけど……どうする?」
どうせ瀧川くんは大石さんと一緒にいるんだし、私が誰といようと瀧川くんには関係ないよね? だいたい、一度抱いたらもうその女は抱かない主義の瀧川くんが、何度も何度も抱いた女でしょ? 大石さんって。私との約束をすっぽかして、普通そんな人に会いに行く? ありえないでしょ。瀧川くんが私を置いてったんだし、私の好きにしてもいいよね、別に──。とか思っちゃう私はひねくれてるのかな? 子供っぽいかな……。でも、現に瀧川くんは私じゃなくて、大石さんを優先したんだよ? それは紛れもない事実じゃん。
「むしろいいの? 兄妹デート中に私がお邪魔しちゃって」
「「全然いい、むしろアリ」」
同じような顔をして私を見ながら親指を立ててグッドサインをしてくる2人に、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、ほんっと兄妹だね~。そっくりなんだもん」
付き合ってた頃、こうやって杏ちゃん連れてお出かけもたくさんしてたっけ……って、いやいや……感傷に浸りすぎでしょ。
「ねぇ! 前座ろーよ!」
「げ、前とか濡れるだろ」
「いいじゃん! ちょっとくらい~。ね? 美波お姉ちゃん」
「颯真って昔から嫌がるよね、濡れるの。ナルシストだから」
「おまっ、髪崩れんのがダルいだけだっつーの!」
会社で会う時はお互いビジネス感強いけど、プライベートは本当に昔のままで、学生に戻ったような気がしてちょっとだけ浮かれちゃってる自分がいる。
『どうした?』『何があった?』って聞きもしないで、普通に接してくれるこの2人のおかげで私は今、心の底から笑えてるよ──。
「杏ちゃん、颯真……ありがとう」
「……なぁに言ってんだよ。俺は杏奈のお守りを美波に押し付けてラクしてやろって魂胆だから、別に礼とかいらねぇし~」
「うわっ、お兄ちゃんクズっぽ」
「颯真は昔からチャラいからね~」
「お前らさぁ……」
なんて笑い合いながら前列に座って数分後、私達は前列に座ったことをめちゃくちゃ後悔することになる。
「「「……はは、ははは、はははっ!!」」」
『ちょっと濡れちゃった~』みたいなノリじゃ済まない程びしょ濡れな私達は、シャワーを浴びた並みに濡れすぎて爆笑するしかなかった。
「これ被ってろ」
びしょ濡れになった上着を私に被せてきた颯真に『なんの嫌がらせ?』と冷めた目で見上げる私。
「……いや、要らないんだけど。余計濡れる」
「はあーー」
大きなため息を吐いて、私の耳元にいきなり顔を近づけてきた颯真。
「ちょっ」
「透けてんだよ、馬鹿」
がっつりブラジャーが透けてて、カァッと顔がアツくなる。
「……ご、ごめん。ありがとう」
「ん。つーか、さすがに濡れすぎてんな。杏奈、マンション戻るぞ」
ああ、この辺だっけ、颯真ん家の別宅あったの。一度だけ行ったことあったな。
「美波も来いよ」
「え?」
「いや、さすがにそんなびしょ濡れで帰れねえだろ……つか、風邪引くっての」
「うんうん! お兄ちゃんの言う通りだぞ~? 社会人は体調管理しっかりしなきゃ!」
たしかにこのレベルのびしょ濡れじゃ帰れない……かな。正直言うと寒いし。杏ちゃんもいるから颯真と2人きりってわけじゃないしね……って、颯真に彼女がいた場合、彼女さんに申し訳なさすぎない!?
「あ、あのさ、颯真って彼女は……?」
「いたら元カノとこんなことしてないし、美波だって彼氏がいたらしねぇだろ?」
「うん」
「だったら別に気にすることねーじゃん。ほら、さっさと行くぞ~」
颯真の言葉で私と瀧川くんとの間に明確な繋がりっていうものが存在しないってことを再確認することになった。恋人関係じゃない以上、瀧川くんが大石さんとどこで何をしてたって、私にはなにも言う権利はない。そもそも成り行きとはいえ、颯真と今こうして一緒にいる時点で、私は瀧川くんのことをどうこう言える立場ではない。今頃あの2人は──。もう、いいや……何も考えたくない。
── えーっと、どうしてこうなった?
「やべぇな、交通機関全止まりだってよ」
「ま、まあ……こんな嵐じゃそうなるよね……」
「泊まっていきなよ~、美波お姉ちゃん」
「え、んーっと、それはさすがに……」
「こんな嵐ん中どうやって帰るんだよ。危ねえし泊まってけ」
結局、瀧川くんから何も連絡もないし、連絡がないってことは家に帰ってきてないだろうし……この嵐じゃ到底帰れそうにないしな──。
「ありがとう……じゃあ、お言葉に甘えて」
どうしてこうなった? としか言えないけど、私は元カレの別宅で、元カレ兄妹と共に一夜を過ごすことになった──。




