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秘めごとは突然に ~地味な同僚くん、実はヤクザでした~  作者: 橘ふみの


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これが恋だと、愛だと知って 瀧川視点



 車に揺られながら窓の外を眺める君の横顔はとても綺麗で美しい。こんな綺麗な人、篠宮さん以外この世に存在しないと心の奥底から本気で思えるほど、俺は君だけしか見えていない。見ようともしていない。そう、あの日からずっと──。


 ── 8年前、蒸し暑い夏に俺と篠宮さんと出会った。


 目立つことがとにかく面倒で大人しい男を演じていた……というより、元々テンションが高いタイプでもなければ、どんちゃん騒ぎをするようなタイプでもなかった俺は、特に誰かと仲良くすることもなかった。ただただ“普通”で“平和”な高校生活……とはあまり言えなかったかな。本当にろくでなしでクズだったから、適当に色んな女と遊びまくってたっけ。


 学校では俺に絡んでくる輩はいなかったけど、街へ繰り出すと不良やら何やらに無駄に絡まれて、あの日も意味不明なチンピラに絡まれてたっけ。『面倒だし、つまんないな。殺っちゃおうか』とかボーッとしながら考えて、毎回似たり寄ったりな奴等ばかり絡んで来ることに心底うんざりして、本当に退屈でしかなかったな。


 毎日同じことの繰り返し、退屈でしかない日常を変えてくれる何かがあればいいのに──って、そう思っていた。


「おい、金出せよ」

「暗ぇツラしやがって陰気クセェ!」


 俺が大人しそうに見えるからって、人を見た目で判断すると痛い目に遭うよって教えてあげなきゃいけないのかな? そう思って、『せいぜいちょっとした暇潰しくらいにはなってよ、俺のために』そう願いながらも、いつも通り呆気なく退屈で終わるはずだったんだ。君が俺の前に姿を現すまでは──。


「ちょっとあんた達、なにやってるの!? いい大人がそんなことして恥ずかしいとか思わないわけ!? もう警察呼んだから! あ、お巡りさんこっちこっち!」


 君の姿を視界に捉えた瞬間、全身にビリビリッと電気が流れた感覚がして、俺は君から目を離すことができなくなっていた。胸がザワザワして、ドキドキする。


『欲しい、どうしても欲しい』そう強く思う感情とこの高揚感。今まで味わったことのない気持ちに胸がとても高鳴った。なにがなんでも俺のものにしたい、俺だけのものに──。この感情が一体なんなのか、この時はまだ分からなくて戸惑ってたっけ。


 で、いつの間にかチンピラは逃げて2人きりに。


 近づいてきた篠宮さんは、遠目からでも分かるほど可愛らしくて綺麗な人だったけど、近くで見るとあまりの美しさに絶句した。


「あの、怪我とかしてないですか? 大丈夫?」

「……え? あ、ああ……はい。大丈夫です」

「そっか。ここへ連れ込まれるのたまたま見かけて心配になって。無事でよかったです!」

「あ、はい、どうも……あ、あのっ」

「すみません、私急いでて……! あ、ちなみに警察呼んだってのは嘘だから! じゃ、さようなら!」

「え、ええっ!? ちょっ!?」


 目にも止まらぬスピードで走り去った君を必死に追うと、俺の視線の先にいたのは男と仲良く手を繋いで、幸せそうに微笑んでる篠宮さんだった──。


 そんな素敵な笑顔を奪う勇気が俺にはなかった。ただただ呆然とその場に立ち尽くすことしかできなくて、君を俺のものにするのは諦めようって……そう思った。


 これが一目惚れで、これが恋だと知った。そして、なにも始まる前に終わった俺の恋、失恋の痛みを知ることになる。


 ── 数ヶ月後、高校を卒業してヤクザの道へ必然的に進むことになった俺は、組のちょっとした関係でとある会社にしばらく身を置くことになった。用が終わればさっさと辞めればいいって、そう思ってた。でも、ここで篠宮さんとの再会を果たすことになる。これはもう“運命”なんじゃないかって、そう思わずにはいられなかったな。


「はじめまして! 篠宮美波です、よろしくね!」


 俺のことなんて覚えていなかった……というより、こんな成りをしていたら気づかれないのも当然だとは思うけど。数ヶ月ぶりに見る篠宮さんの穢れを知らない笑顔が眩しくて、屈託のないその笑顔が俺の欲に火をつけた。


「どうも、宮腰司です。よろしく」

「宮腰くんね。他の子違う部署っぽいから私と宮腰くんだけだね~、同じ部署なの」

「うん」

「同期同士仲良くしようね!」


 とにかく俺には眩しかった、君の存在自体が。


 何年、何十年かかったっていい、君を俺だけのものにしたい。だからお願い、早く別れてよ──。そう願いながら、積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくる篠宮さんにどう接していいか分からなくて、素っ気ない態度を取る日々が続いた。少しでも気が緩むと、無理矢理にでも俺だけのものにしたいという衝動に駆られてしまうから、君を遠ざけるようになってしまった。


 こんなにも好きだったなのに、こんなにも愛していたのに──。


 そして、後に知った。あの時の男とは既に別れていて、入社当時は誰のものでもなかったということを。1年以上、誰のものでもなかったのにも関わらず、俺は篠宮さんに彼氏がいるものだと思い込んで、無駄な日々を送ってしまっていた。そのことを知った時にはもう既に手遅れで、あのクソみたいな男と付き合い始めていた。


 それから徐々に篠宮さんとの距離が遠くなってきて、積極的に俺へ絡んで来ることも少なくなってきた。これだけ素っ気ない態度を取られてたらそうなるよな。


 毎日毎日、俺の視界には君がいるのに何もできないもどかしさ。


「宮腰くん、この資料お願いできるかな?」

「うん」


 君が愛おしくて愛おしくてたまらない。


「はい」

「え、もうできたの?」

「うん」

「めちゃくちゃ助かる。いつもありがとう、宮腰くん」


 篠宮さんは『ありがとう』や『ごめんね』をちゃんと伝えるタイプで、助けることも、助けられることに対しても戸惑いはない。だから仕事もしっかりできて、会社の連中からも好かれてる。


『いつもありがとう』は俺のセリフだよ。篠宮さんがこの会社にいてくれて本当によかった。たとえ君が俺だけのものにならなかったとしても、愛する人を毎日眺めることができる。確かにもどかしくて辛いけど、もう二度会えないよりかは幾分マシだと思えるから。これは紛れもない本音だったけど、でもやっぱり篠宮さんが欲しいっていうのが本当の本音だった──。


「んっ……すごいっ♡気持ちいいっ♡」


 欲を吐き出す為だけに金を払って女を抱く。篠宮さんに恋をしたあの日から、ただの女を抱くことはやめて風俗を利用するようになった。相手は仕事、俺はただの性欲処理。これで篠宮さんへの罪悪感は正直ない。


 篠宮さんを想って他の女抱く、なんてことは一切しないしできない。そんなことするわけがない。だって篠宮さんは唯一無二だから、他の誰かが代わりになるのなんて不可能。俺はただただ性欲を満たす為だけに、プロ(風俗)を利用しているだけ。特にこれといって理由はない。性欲(それ)(これ)は全くの別もの。どう願ったって篠宮さんと交わることはないから、仕方ないく他で満たすしかない。まあ、満たされるわけもないんだけどね。ただ性欲が一時的に収まるだけで──。


「貴方、一度抱いた女は抱かないってホント?」

「そうですね」 

「どうして?」

「面倒なんで。ただの性欲処理でしかないですし」

「そ? 瀧川組には良くしてもらってるし、これからもご贔屓に」


 根本的な部分は何も変わってない、俺はシンプルにクズなんだろうな。


 ── そんな生活を送っていた数年後、転機は突然訪れた。


「ねぇねぇ、聞いた!? 篠宮さん別れたらしいよ!」

「マジで!? あのクズ男と!?」

「そうそう!」

「ようやくじゃん!」

「こりゃ争奪戦が始まるかな~?」


 会社の給湯室を通りすぎようとした時、耳を疑うような会話が聞こえてきた。


「すみません、その話本当ですか?」

「え? えっと……誰だっけ?」

「ちょ、失礼でしょ。ほら、篠宮さんの同期の……宮崎、いや、宮腰君!」

「あ、ああ、宮腰君ね! 別れたって噂が広まってるみたいだよ~?」

「ただの噂ってことは?」

「いや、ほぼ確実みたい! 倉本さんと篠宮さんが話してたのを聞いたって子が数人いるらしい! てか同期なんでしょ? 気になるなら篠宮さんに直接聞いてみたら?」

「ああ、はあ、どうも」


 火のない所に煙は立たぬ……か。


 ようやく、ようやくこの時がきた。寝ても覚めても、何をしている時も君のことを想って生きてきた、あの日から。


 ここで確実に篠宮さんを手に入れる。どんな手を使っても、何がなんでも、必ず君を俺だけのものに──。


 篠宮さんとの関係が深まれば深まるほど、気持ちが溢れ出して止まらない。改めてこれが“恋”だと、“愛”だと知って、気が狂うほどに愛おしい。お願いだから傍にいて、俺の手の届く範囲にいてよ。


 もう二度と離れないように、君を縛り付けておければいいのにって本気で思うほど、俺は君に溺れている。


 ねえ、篠宮さん。本当の俺を知っても、君は傍にいてくれる?


「──くん、瀧川くん?」

「ん? あ、ああ……ごめん」


 帰ってきてテーブルを挟んで向き合って座る俺達は、今までにない雰囲気に包まれていた。


「私から話してもいい?」

「うん」

「……瀧川くんはもう知ってると思うけど、私の母は6年前の事故で脳に損傷を負って、自分の名前以外のことは何もかも忘れちゃったの。娘である私のことも──。もう記憶が戻ることはないだろうって言われてる。だとしても、私の母であることには変わりないし、女手一つで私を育ててくれた母に不自由なく生きてほしいから、病院代とか施設費用とか結構お金が必要で……。でも、瀧川くんに助けてほしいとは思ってない。自分でなんとかしたいの。けど、たまに心が折れそうになるから、その時は励ましてくれると嬉しいな」


 篠宮さんは俺が思っている以上に強い女性なのかもしれない……いや、強くならざるを得なかったんだと思う。俺はこの事を知ってて、何もしなかったしできなかった。結局は見て見ぬふりをしていたのと変わらない──。


「ごめん、瀧川くんは優しいからっ」


 こんな俺に『優しい』だなんて言わないでくれよ。


「篠宮さん!!」


 俺が急に声を張り上げたせいで、篠宮さんは驚いてビクッと肩を震わせていた。


「ご、ごめん……驚かせちゃって」

「ううん、大丈夫」

「……篠宮さん、君は俺を買い被りすぎだよ。俺は人を殴ったり蹴ったりするのに抵抗も無ければ、そこに何の感情もない。欠如してるんだ、その辺の感覚が。イカれてるんだよ」


 幼い頃からずっと裏社会で生きてきた。俺の感覚はズレてて“普通”とはかけ離れている。俺にとっては裏社会が“普通”なんだ。


「それに大石さんとの関係……要はヤる為だけの関係にすぎなかった。俺、一度抱いた女は二度と抱かないタイプなんだけど、大石さんとは体の相性がまあまあ良かったから何度も抱いてたんだ。別に感情があったわけでもなければ、特別だったわけでもない。で、大石さんが『結婚することになった』って言ってきたから、俺はあっさり大石さんを切り捨てた。どうでもよかった、俺にとって大石さんの存在はその程度でしかなかったんだ」


 “女は性欲処理のために利用するもの”としか思えなかった俺は、どう考えたってクズでしかない。この話を聞いて君は今、なにを思う?


「大石さんが会社へ来た時は内心焦ったよ。君にどう言い訳をしようか……とか、大石さんが余計なことを言わないか……とかヒヤヒヤして。俺はさ、何かと欠落してるんだ。こんな男を優しいだなんて思える? 俺は優しくなんかないよ、君が思ってるような男じゃない」


 篠宮さんがどんな顔で俺を見ているのか、怖くて顔を上げられない。情けなくうつ向くことしかできなくて、君を失うんじゃないかって恐怖に駆られて怯える。篠宮さんを失うことがなによりも怖いんだ、俺は。


「瀧川くん。私、それ聞いて安心した。これで安心してる私もどうかしてるよね」

「……え?」


 うつ向いてた顔を上げると、困ったように笑ってる篠宮さんがいた。


「瀧川くんがイカれてるのは瀧川くんの正体を知った時に把握済みだし、関係のない人達を巻き込んで暴力を振るったりするような人でもないって、ちゃんと分かってるから。あと、大石さんや他の女の人達との関係も、瀧川くんにとって“特別”な人は今までいなかったって、そう思えば『私だけ特別なのかな?』って、それが嬉しいなって思っちゃう。そんなことを思う私のほうがよっぽどイカれてるよ、瀧川くんよりも」


 君は俺の想像を遥かに越えてくる、いつだって──。


「でも、できればもう女遊びは禁止の方向で」


 少しムッとしてる篠宮さんが愛おしくて仕方ない。女遊びなんてしない……というか、するはずがない。だってもう君がいるんだから。


「あ、あとね? 神尾さんとのことなんだけど、高3の時に付き合ってた」


 ああ、そうか。ならあの時、君の隣にいたのはあの人だったわけか。


「そっか」


 過去に嫉妬したってどうしようもないって分かってるけど、どうしても気に入らないんだ。君が他の誰かのものだったっていう事実が──。それに、今回のプロジェクトは内容が内容だし、正直言うと篠宮さんを外したい。俺にはそれをできる権力もある。どうにだってできるんだ、会社ごと潰すのだって一瞬。


 でも、篠宮さんがやりたい、頑張りたいって言うのなら、それを妨げるようなことはしたくないし、応援してあげたい。それに篠宮さんにはお金が必要で、このプロジェクトが上手くいけば確実に昇給もするだろうから、俺が邪魔をするわけにはいかない。


 本当に篠宮さんのことを愛しているのなら、ここは自分の感情、嫉妬や独占欲を抑えて我慢すべきなんだろうな──。

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