決別は突然に
「ごめん、篠宮さん。もう我慢できそうにないんだ」
「が、我慢とは……?」
「君が俺を助けようとここまで来てくれた、危険なのを承知の上で。その事実が、現実が、俺を高揚させるんだ。だからもう、我慢ができない。今すごく興奮してる」
これは一体、どういう状況……?
「食べていいかな、君のこと」
「……はい?」
「喰らい尽くしたいんだ。篠宮さんのことを」
「え、いや、何を言ってるっ」
「ごめん、もう無理。本気で嫌だったらコレで俺を刺して逃げて?」
なんで、どうしてこうなった……?
『好き』とか『愛してる』なんて感情はもうとっくに無い。なにかしらの感情があるとするのなら、それはただの“同情”。
「美波、愛してるよ」
そんな心にもないことを言われても、嬉しいだなんて思わなくなった。そんなのただの言葉にすぎない。『愛してる』なんて微塵も思ってないくせに、軽々しく言わないでくれる?
心のこもってない『愛してる』なんて、この人から言われてもただただ不快なだけ。『愛してる』の言葉が穢れるわ、とさえ思う。
ああ、なんでこんな男と付き合ってるんだろう。なんでさっさと別れられないんだろう。毎回『別れたくない』と縋ってくる彼に、結局は“情”というものが邪魔をしてきて、最終的には全てを許してきてしまった。いや、許してはないんだけどね。許すはずもないじゃん。とはいえ、まあ……私にも責任は多少なりある。甘かったんだよね、私は。
中学を卒業してから疎遠になってたけど成人式で再会して、恋仲になるまでそう時間はかからなかった私達。けど、壊れるのにもそう時間はかからなかった──。
元々幼なじみってこともあって、少し複雑な家庭環境で育った彼のことを可哀想だなって、哀れみの気持ちでなんとか今日まで関係を続けてきたに過ぎない。所詮は私の気持ちもその程度だったってことに今になって気づいた、本当に馬鹿だよね。
何度も何度も裏切られては傷づいて、それでも彼を捨てきれなかったのは、この私。これって私が悪いのかな? まあ、でもさ……捨てたくても、捨てれないって場合も結構あるじゃん。
けど、そんな甘ったれた思考もこの関係も今日で終わり。もういくら待ったってあなたが改心するはずもないし、そもそも端っから期待なんてしてない。
遅すぎるかも……いや、遅すぎたけど、ようやく決心がついたよ。この決心をつけるのに何年かかっちゃったかな? 本当に無駄でしかなくて嫌になるし、深く考えたくもない。
これは私の人生、最大の汚点でしかないから──。
「美波がデートに誘ってくるなんて珍しいよな~」
デート……ねえ。相変わらずの能天気。ま、これがあなたとの""最後""のデートとやらになりますけど。たまに訪れるファミレスでメニュー表を見ながら、笑みを浮かべている彼には大変申し訳ないけど、私は今からあなたを捨てます──。
私にはもう、なんの感情も残ってないの。ごめんね? もう本当にいらない。私をこうさせたのは、紛れもなくあなた自身よ。
「ねえ、文哉」
「ん?」
「私達、付き合って何年だっけ」
「20歳からだろ? もう5~6年じゃね?」
ほら、幼なじみだし5~6年も一緒にいたら嫌でも情が湧くでしょ? これは私に限った話ではない。物でも人でも情が湧くとなかなか捨てられないものじゃん?
「5~6年……か。長いね、本当に長かったよ」
「そうかぁ? 体感的にはあっという間だったけどな!」
私は死ぬほど長く感じてたわ。
いつの頃からだろう、文哉のことを『好き』だと思えなくなったのは──。ああ、1回目の浮気をした時だったな。あれはたしか付き合って1年も満たない頃だったから、もう5年間もこの人と“同情”で一緒にいるってわけか。そりゃ長く感じてもおかしくないわ。
もうダメでしょ、こんなの──。私達の関係はもうとっくに終わってるんだよ? 5年前のあの時から。だからさ、全っ部終わりにしよ?
── 決別は突然に
「文哉、もう別れてほしい」
「……は? え、いやいや……なに急に。なんの冗談?」
「ねえ、私が気づいてないとでも思ってるの?」
「は? 何を?」
「はぁ、また浮気してるでしょ。これで何回目? 怒りを通り越して呆れるわ」
別れ話も、文哉の浮気も、かれこれ何回目だっけ? 何回同じことを繰り返した? なんて、いちいち数えてもないから分かんないけど。まあ……もうどうでもいいや。思い出すだけ無駄、考えるだけ無駄、何もかも無駄。
文哉の今回の浮気で、私をなんとか繋ぎ止めていた“情”すらもプツリと切れて、完全に消え失せた。もう馬鹿馬鹿しくて、惨めで、とても苦しかった。
こんなしょーもない男に時間を割きたくない。これ以上、私の人生を犠牲にするわけにもいかない。今の時点で""かなり""犠牲にしてるし。
ああ、これでやっと、ようやく……この“呪縛”から解放されるんだ──。
「いや、その、美波……これは違うんだって。家がさ、ゴタついてて。なんつーか、イライラしてたっつーかさ。彼女である美波に当たるわけにもいかないだろ? だから、ほんのちょっとした出来心っつーか、俺が一番大切なのは美波だから」
ハイハイ、もういいってそういうの。毎回似たような御託を並べてさ、馬鹿の一つ覚え? 呆れちゃうわ、本当に。
「そうやって情に訴えかければいつも通りに……とか思ってる? 悪いけど、もう無理だから」
「は? ちょ、待ってくれよ。いっつも許してくれてただろ!?」
は? 『いっつも許してくれてただろ!?』って、なによそれ。許してもらえるのが当たり前だと思ってるの? 私が許すのが当然だって……そう言いたいわけ? ふざけるのも大概にして。だいたい、ここまで寛大な女そうそういないでしょ。
そもそもさ、私が文哉の彼女である必要は? ある? ないよね? フリーになって色んな女と遊べばいいじゃん。もっと自由に女遊びが出来るようになるんだよ? そっちのほうが文哉にとってもいいんじゃないの? もう、好きにしてよ。勝手に生きてよ。私の人生にこれ以上、土足で踏み込んで来ないで。
あなたがこの先どうなろうが私にはもう、関係のないことだから──。
「『いっつも許してくれてただろ』……ね。あのさ、文哉のこと本気で許したことなんて一度だってないけど。何を言ってるの?」
「……っ!! じゃあ言わせてもらうけどさ、元はと言えば美波のせいだろ!?」
は? いや、まじで何を言ってるの? こいつ。やばくない? 散っ々、浮気しておいて自分の不貞行為を私のせいにするつもり? イカれるのも大概にしてほしいんだけど。浮気されるほうにも原因があるって? そんなのないわよ、本っ当にありえない。まじでないわ、このクズ。
「は?」
「お前がヤらせてくんねえからじゃん」
それ、本気で言ってる……?
『お前がヤらせてくんねえからじゃん』って……それ、誰のせいだと思ってんのよ。おまえのせいだろ、クズ。
浮気を繰り返されたこの5年間の感情が荒波のように押し寄せてきて、私はガンッ! と音を立てながら勢いよく椅子から立ち上がった。そして水が入ったコップを手に取り、なんの躊躇いもなくその水を文哉にバシャンッ! と浴びせてやった。
「なっ!? 何すんだよ!!」
これで済んだだけありがたいと思ってほしいわ。殺されてもおかしくないレベルでやばいよ、あんた。そろそろ本当に自覚したほうがいい、自分のクズさを。
「ヤらせてくれねえ……って、他の女を平気で抱いた男とヤるわけがないでしょ。アホなの? 頭の中がお花畑すぎて引くわ」
「そ、それはっ」
「あぁよかった、こんなしょーもない男に抱かれてなくて」
「な、なぁ美波。ちょっと落ち着けっ」
「あなたと付き合ってた日々が私の人生の汚点で、あなたに抱かれなかったのが、せめてもの救いよ」
心底軽蔑した眼差し、汚物を見るような目で見下す私に戦意喪失したのか、うつ向いて何も言わなくなった文哉。
きっと文哉は私のことが好きというより、私の見た目と居心地の良さが好きだったんだと思う。そりゃ幼なじみだからね、居心地はよかったでしょ。それに自分でも言うのもなんだけど、見た目もそれなりに悪くはないしね、私。
困った時の居場所が無くなるのも、自分のステータスが無くなるのも嫌で私を手放したくなかっただけでしょ? ただそれだけの理由で私と一緒にいたんでしょ? 残念だったね。もうそんなこと知ったこっちゃないわ。改心しなかった自分を恨めば? クズ。
私はさ、私を好きでいてくれて、私だけを愛してくれる人じゃなきゃもういらないの。ていうか、あなたのことはそれほど好きでも必要でもなかったみたい──。
悲しくもなければ、別れが辛いだなんて一切思わないし、涙なんて一滴も出てくる気配がない。ほら、きっとこれが全ての答えでしょ?
ははっ、私も大概やばい女かもね。情とかいうアバウトなものに縛られて、こんっなクズ男とずっと一緒にいてさ、何年も棒に振ってきたんだから相当やばい女すぎるわ。
こんなクズ男ですら、すぐ捨てきれなかった私は“捨てられない女”なのかもしれないね。
ま、それも今日で終わるけど。
「さようなら」
クズ男とも、捨てられない女とも、さようなら。
清々しい気持ちでファミレスから出ると、とてもいい陽気で空一面に晴れが広がっていた──。
体ってこんなにも軽かったっけ? 心も穏やかで気持ちも晴れやか。こんなの何年ぶりだろう? ああ、文哉のせいで心も体も重くなってたんだろうな、精神的にね。
「さあーってと、失った時間を少しずつ取り戻すとしますか」
“遅すぎる”なんてことはないはず、人間いつだってやり直せるでしょ。まだ20代だし、人生まだまだこれからじゃん?
「はあー、なにこれ。本っ当に清々しいわ~」
なんだろう、この胸の高鳴りは。良いことが起こりそうな、いい出会いが訪れそうな、そんな予感がする──。
あんだけ苦労したんだから、これから始まる私の新たな物語は、きっと素晴らしいものになるよね? っていうか、なってくれなきゃ困っちゃうけど。だから、どうかもう“クズ男”とだけは無縁でありますように。
── お願いします、私のこの切なる願いをどうか叶えてください。
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