8話 勘違い
夜が訪れた。
日が暮れて視界状況が悪くなったため、ひとまず野営をすることに決めた。
焚き火を囲み、魚が焼けるのを待つ。
「驚いたわ、魚釣りって用具がなくてもできるのね」
エルフィは即席の釣竿を興味深そうに見つめた。
竿は木の枝で、糸はハルト・スパイダーの糸で代用している。針は木材をナイフで加工し、餌はそこら辺のミミズを使った。
知って得する、ちょっとしたサバイバル知識だ。
「こういう知識って誰から教わったの?」
「師匠がいたんだ。野営の知識は、大抵その人から教えてもらった」
思えば、あの人からは無駄な知識ばかり詰め込まれた気がする。
『ルドリンク硬貨でコイントスをすると表の方が出やすい』とか、『王家の紋章に描かれているのはドラゴンじゃなくてワイバーン』とか。
本当に使い所の無い知識を繰り返し言ってくるものだから、いやでも覚えてしまった。
こんなことのために記憶力を使いたくはなかった。
——しかし、それでもあの人は出来損ないだった時の俺に、たった一人味方してくれた人だから、感謝はしている。
感傷に浸っていると、エルフィが徐に口を開いた。
「私の師匠は、お母様だったわ」
「家族から魔術を教わったのか?」
「そう。でも、私が小さい時に帰らぬ人となってしまった」
この人はよくも、こう重くなる話を易々と口にできたものだ。
おかげで、どうリアクションすれば良いか分からなくなってしまった。
「将来は学院に行きなさいって言ったのもお母様だった。だから、私はどうしても入学しないといけないの」
「……それは……何と言うかだな」
気まずい。気まず過ぎるぞ。
「ごめんなさい、気軽にする話じゃなかったわね」
こういう時、「そんなことは無いよ」と言うのが正解なのだろうか。
でも言わない。俺は口下手だから絶対に無駄なことを言って気分を悪くさせる。
そんな俺を見て、エルフィは「ところで」と話を切り替えた。
「あの時の私、とても具合を悪くしていたから、武闘会で相手した人を怖がらせてしまったかもしれないわね」
まさしく言う通りだ。少なくとも俺は癒えぬ恐怖を刻まれた。
「おかげで、今じゃ根も葉もない噂がそこらで立ち上っているわ」
『——黒の魔術師といえば、最近じゃ素行不良の噂をよく聞くな。暴力なんてのはまだ序の口で、禁忌の魔術研究にも手を出したことがあるらしい』
ハルトから聞いた噂を思い出す。
思えば馬鹿げた話だ。実情を知りもしないで、人伝の言葉を真実と認識するなんて。
でも、弱者からすればその方が都合がいい。
強者を異端に仕立て上げ、嫌悪の的にした方が、ずっと都合がいいのだ。
かつての俺も、黒の魔術師の仄暗い噂話を聞いて安堵を覚えていた。
「聞いた? 去年私が受験した時のこと、試験官を瀕死まで追い詰めたことにされたの」
「違うのか?」
「違うに決まってるじゃない。私が魔術で脅かした魔物が試験官に飛びついただけ。それで——これは黒の魔女の呪いだ! って」
——黒の魔女の呪い、か……
かつて世界を滅亡寸前まで追い込んだ恐怖の象徴——黒の魔女。
魔獣を操り、瘴気を蔓延させ、いくつもの国を陥落させたと言う。
最終的に人類の力が上回り、磔にされて処刑されたが、そのせいで黒という色は差別の対象になった。
それも、三百年以上前の話だが。
いまだに「黒」を気にしているのなんて、擬古派の貴族くらいのものである。
正直、かける言葉もない。
「……ホント、全くもって迷惑しちゃうわね」
その時のことを思い出したのか、エルフィは怒り心頭といった感じで口を曲げた。
……しかし、
「そんなので、よく二回目を受けようと思ったな」
そもそも疑問である。
彼女からしてみれば、大半の人間は自分に敵意を向けてくる。
それを分かった上で、人が密集する学院に身を置くというのは、あまりにもリスクが大きすぎる。
「……私、見たことない場所に行ってみたいと思ったの」
しかし、彼女の口から出てきたのは、リスクがどうこうなどという話ではなかった。
「魔術とは何か、学院とは何か、私にはまだ体験していないことがいっぱいある。だから、知りたいと思った」
「それだけか……?」
「知ってる? 魔術師って、総じて誰も知りたがりなの。だから、何事につけてもそれが一番の理由になり得てしまう」
エルフィは胸を張って、自慢げに言った。
全くもって俺には理解できない世界である。
だが、己には知り得ない世界があること自体が興味深いのだと言われると、エルフィの言うことも少し分かるような気がした。
「それから、知ってみたいと言えば、他にもあって……例えば、友達がいるってどんな感じなんだろう、とか……」
急に歯切れが悪くなった。
「友達、いたことないのか?」
「……ないわ」
どんよりと項垂れるエルフィ。
安心して欲しい。俺も同じようなものだ。
「ねえ、アルト、もし君さえ良ければ……」
そこまでいって、エルフィは口ごもった。
「いや、なんでもないわ。気にしないで」
「……そうか」
目を逸らし、魚の焼き加減を確認する。
……生焼けだった。
焼けるには、まだ少し時間がかかりそうだ。
=====
——その夜、森の一角で悲鳴が上がった。
「ハハハッ! 盗賊狩りだあああああ!」
受験者の一人、ラルクは奇声を上げて剣を振り回した。
すでに五人の仲間の内三人が課題をクリアし、残りは二人の課題をゆっくりとこなすのみ。
絶好調も絶好調だった。
「や、やめてくれ——っアアアア゛!?」
盗賊が切り伏せられる。
「最高だ……盗賊だから殺したところで何も言われない……!」
基礎練習で木剣ばかりを振っていただけに、真剣で躊躇なく人を斬れるという体験は、ラルクにこれ以上とない興奮を覚えさせた。
「お前等、もっと奥まで追いかけるぞ!」
仲間を呼びかけ、勢いづく。
しかし、それが良くなかった。
森の深部に足を踏み入れた時、奇妙な血生臭さにラルクは顔を顰めた。
——静かだ。
さっきまで盗賊の悲鳴と仲間の声で、パーティーの会場もさながらだったというのに……
ここは、妙に静かだった。
「——お前が、頭か」
「っ!?」
唐突に横から声がして、ラルクは飛び退いた。
見れば男が一人、長剣を持って佇んでいる。
「お、お前等! 盗賊がまだいたぞ! やっちまおうぜ!」
呼びかけるも、返事は返ってこない。
「どうした、お前等……フィリップ、ミヒャエル、ハインツ、アントン……!」
「俺の仲間が五人、お前たちに殺されちまった」
男は唐突に語り出した。
直後、緊張が走る。
「だから、お前の仲間を四人殺った。お前で、五人目だ」
瞬間、月光に血塗られた男の長剣が照らされた。
「……っ、テメエ、よくも——!」
ラルクは斬りかかろうとして、それができないことに気づいた。
震えているのだ。腕が、脚が、震えて動かせない。
——俺は、怯えているのか?
まだ剣を一振りもしていないこの男に対して、恐れを抱いているというのか。
「あーあ、今更気づいたのか。もう自分が助からないってことによォ」
直後、体に衝撃が走った。
一瞬にして後ろまで吹き飛ばされる。
かろうじて、受け止めた。男の強烈な一撃を。
しかし剣の腹で受けたのが良くなかった。この一瞬で、刀身が真ん中から二つに砕けてしまった。
技だ。この男の一撃には、達人にも等しい技が込められていた。
「誰だ……お前は一体、誰なんだよ……!」
こんなの、ただの盗賊に居ていい人間じゃない。
下手すれば、王国の騎士団にすら通用するほどの剣士だ。
男は無言で近づき、剣を振り上げた。
「やめろ……やめてくれ——!」
その夜、森の一角で悲鳴が上がった。