7話 嫌われ者
「お前、このボクを拘束してタダで済むと思うなよ!」
一際仰々しい声がこちらまで響いてきた。
豪勢な服を着た少年だ。縄で腕を繋がれている。
身なりを見るに、受験者の一人だろう。
エルフィは不意に「あ」と声を漏らした。
「私を裏切った子だ」
「あれが?」
少年は腕を拘束されながら、足をジタバタ動かした。
「ボクは学区を飛び級で卒業した天才なんだぞ! このまま魔剣学院に入学して、英雄になる男なんだ!」
俺は絶句した。
「……あんなのに背中を突かれたのか?」
「だって、命令に従えば仲間にしてやるって言われたんだもの」
どれだけだめもとだったんだ……
なんだか、俺の持っていた黒の魔術師像がどんどん崩れていっている気がする。
「見逃すか?」
仲間にすると言って裏切ってきたやつなのだ、助けるのも気に食わないだろう。
「いや、救出しましょう」
返ってきたのは想像と違う言葉だった。
「意外に思った?」
「……意外だ」
こればかりは、助ける義理もない。
「今見放したら、なんだか後悔しちゃいそうだと思ってね」
そう言うと、エルフィは一つ息を吐いた。
「……それじゃあ、殴り込みましょう」
エルフィは既に臨戦体制だった。
「いや、待て、待ってくれ……!」
いくらなんでも武闘派すぎやしないか。
あまりにも戦意を剥き出しにするのが早すぎる。
「ここで派手にやり合ったら大事になるかもしれない。他の受験者に動きを察知されるのもマズい」
武力行使は最終手段だ。できることなら、事を荒立てないで解決するのが最善だろう。
そう言うと、エルフィは「なるほど」と頷いた。
「……君って、結構面倒ごとは避けるタイプなのね」
「悪いかよ」
「いや、個人的には結構好き」
それなら結構だ。
今にも泣き出しそうになっている飛び級卒業少年には悪いが、もうしばらく我慢してもらうことにしよう。
そうして待機していると、男が少年に近づいた。
「いい魔力量だ、これなら、戦争奴隷として良い金が入るぜえ……」
男は少年の体をベタベタと触りながら笑みを浮かべる。
「なんだ、貴様! ボクがそう簡単に奴隷に成り下がると思うなよ! ボクは魔術の天才なんだぞ、お前なんて瞬殺だ!」
「鬱陶しいガキだな……こりゃ、さっさと奴隷紋を刻んで大人しくさせた方が良さそうだ」
少年は、「ひっ」と悲鳴を漏らす。
「まあ待ってろよ。今道具を取ってくるからなァ……奴隷化の道具、どこやったっけな」
男は頭を掻きながら森の奥に姿を消した。
——監視の目が緩んだ。
……今だな。
エルフィに目配せをして、茂みから進み出る。
突然現れた俺たちに、少年は動揺の素振りを見せた。
「お、お前——黒の魔術師! どうしてまだ生きている!」
もっとも、少年の注意はエルフィに注がれていたが。
「今説明している暇はないの。早くしないと、見つかってしまうわ」
この場を落ち着かせるためには、言葉で説明するよりも行動で示して見せた方が早い。
俺は木剣を一振りして、縄を切った。
「お前は……」
少年が訝しげにこちらを見上げる。
「すまない、エルフィの言う通り説明をしている暇がない。ひとまずここから逃げよう」
手を差し伸べる。
しかし、俺の手が握られることはなかった。
「クソ、畜生め……ボクは、黒の魔術師の施しなんて受けないぞ……!」
彼は体を震わせながらあとずさった。
「エルフィ、彼はこう言っているが」
「今は、助けるのが最優先よ」
エルフィは前へ出ると、有無も言わせずに少年の手を掴んだ。
「私、脇目もふらずに逃げるから、アルトは後ろを警戒しておいて」
「……了解」
「——放せ! 放せってば!」
少年が暴れ始めたので、エルフィは手を離した。
「まあ、ここまで離れれば安全かしら」
随分な距離を動いた気がする。流石に追跡を逃れることはできたと言えよう。
俺も警戒を解いた。
「それで、この子をどうするつもりなんだ?」
「安全な場所まで送るわ。それから、棄権もさせる」
——ふざけるな、と。声を震わせたのは少年だった。
「な、何の権限でボクを棄権させる気だ……そうか、このゲスめ、腹いせでボクをおとしめる腹づもりだな!」
「その魔力残量で、どうやって戦う気?」
「っ」
少年は顔を歪めた。
おそらく、奴隷商とやり合った際に魔力を使い果たしたのだろう。
「クソ、クソ、クソ……! 醜い魔女の生まれ変わりめ、ボクが制裁を加えてやったというのに……あの時死んでしまえば良かったんだ——っ!?」
言葉が途切れる。
俺が首根っこを掴んだからだ。
そのまま体を木の幹に押し付けてやると、少年は苦悶の表情を浮かべた。
「お前、助けられた立場なんだぞ——なのに、その態度は何だ? 例え誰が相手でも、言っちゃいけないことってあるだろう」
「お前は、誰だ……ショボそうな剣を持った、いかにもショボそうな剣士だなあ……」
「俺が実力の無い剣士なら、お前はさしずめ魔力のない置き物魔術師だな」
俺は木剣を鞘から抜いた。
「こいつはダメだ。救いようがない。……ここなら誰の目にもつかないだろう、希望とあれば、俺は剣を振る」
もし黒の魔術師がゲスだというのなら、こいつは助けられておいて礼の一つも言えないゲス以下だ。
やがて少年は、恐怖に顎をガタガタ鳴らした。
「もう、ダメだ……終わりだ……」
それどころか、声を震わせて錯乱し始める。
「黒髪の呪い子に殺されるくらいなら、ボクは……ボクは舌を噛んで、死ぬ……!」
「おい、待て——」
グリ、と肉を挟む音が小気味悪く鳴った。
しかしそれは少年が舌を噛み切る音ではなく、エルフィの手が間に入ったことによる音だった。
「——っ」
エルフィは僅かに顔を顰め、少年は大きく目を見開いた。
「ゲホッ、ゲホッ……! お前、何してくれてんだ——」
「それはこっちの台詞よ。お願いだから、どうか落ち着いて」
「……っ」
「……アルトも、気持ちは嬉しけれど、私のせいで誰かが傷つくのはイヤなの。どうか、その剣を収めてくれる?」
意外だと思った。
彼女は、優しく真っ直ぐな目をしていたから。
俺は大人しく、剣を鞘に収めた。
エルフィは少年に向き直る。
「私について、憎むのも恐れるのも君の自由よ。でも、少なくとも協力はしてくれないと、助けるに助けられないの……ごめんなさい、この通りよ」
エルフィは手を胸に当て、腰を深く折り曲げた。
いつか見た、貴族における最上位の敬礼である。
その所作の一つ一つが洗練していることに、俺は彼女が間違いなく貴族であることを痛感した。
それは、俺の知らなかった彼女の一面だった。
決して冷酷な魔術師ではない。今の彼女は、愚直に真摯に、相手と対話をしようとしている一人の少女だった。
果たして、その敬礼が通じたのか、少年は平静を取り戻した。
こうして問題はひとまず、解決への道を辿るかと思われたその時。
——ヒュン、と空気を切り裂く音がした。
それはエルフィのすぐ横を通り過ぎて、木の幹に鋭く突き刺さった。
同時に彼女の頬から、ツ、と血が滴る。
それは、一本の矢だった。明確な攻撃の意思を見せた、命を刈り取るための矢である。
そして矢が放たれたのであれば、当然、そこには射手がいる。
「チッ、外した……」
茂みの中から、弓使いの男が姿を見せた。
「お前は、黒髪のエルフィ・イリネーと見受ける。今すぐに、その子を解放するんだ」
ちらっとエルフィを見ると、面倒くさそうにため息を吐いていた。
「そっちこそ、せめて名を名乗るくらいのことはして欲しいのだけど」
「お前と同じ受験者とだけ言っておく。お前に名乗る名など無いからな」
そして、弓使いは矢をつがえてこちらに向けた。
「お前の魂胆は知れてる。どうせ、その子を使って禁忌の人体実験でもするつもりなんだろう。だが、お前の好きにはさせない。俺の正義が、お前を裁く……!」
禁忌の人体実験……
そういえば、エルフィの噂の一つに、禁忌の魔術に手を染めているなんてものもあったか。
「勘違いも甚だしいわね……」
エルフィは眉を下げて、再びため息をついた。
このままでは、もしかしたらマズいかも知れない。ここは、俺が間に入るべきだろう。
故に、ここで俺が取るべき行動とは何か。
それすなわち、弓使いの意識を俺に向けさせるために、彼の正面に陣取る。
必然、エルフィを庇う形で、鏃の先が俺の前に来る。
「お前、何者だ……部外者はすっこんでいてもらおうか」
「お前に名乗る名なんてない。お前と同じ理由でな」
「……ハッ、意趣返しでもしたつもりかよ」
弓使いは口元を引き攣らせた。恐らくは、自信の無さの現れか。
奇襲ならばいざ知らず、真正面から人を射抜く勇気は彼には無いということである。
しかし、放たれないと分かっていても、武器を向けられて機嫌を良くしていられる人間など存在しない。
「——退いてくれ。そうしてもらわないと、打てない」
「退かない。打ってほしくないからな」
そうしてやがて降着状態が続くと、
エルフィが徐にこう言った。
「もう良いわ。アルト、この子を引き渡しましょう」
「……良いのか?」
聞き返すと、彼女は頷いた。
それからエルフィは、少年を促した。
「よしよし、怖かったろう。もう大丈夫、俺が守ってあげるから」
弓使いは、少年を自分の後ろに下がらせた。
「黒髪の女、今日のところは見逃してやる。だが、これで終わりだと思うなよ……」
そう言い残して、彼は背を向けた。
嵐が去った後には、平和が訪れる。
再び二人だけの空間が戻ってきた。
「あんた、本当に皆から嫌われてるんだな」
「それは君も十分知っていたことでしょう」
全くもってその通りだ。
「俺は……あんたに対して何か勘違いをしていた気がするよ」
その言葉に、エルフィは「そう」とだけ返した。
不意に、彼女の頬に血が垂れているのが見えた。
俺は衣服の一部を破き、そこに当てがった。
「そこまでしてくれなくても良いのに……」
予想外の行動だったのか、視線を泳がせるエルフィ。
「俺たちは、曲がりなりにも協力関係を結んだ仲だ。あんたに傷を受けたのは、前衛である俺の責任だ」
乗り気だったかそうでないかは関係ない。
協力を結ぶことに頷いたのだから、俺は持てる力を以て彼女を守るべきだ。
「君ほど律儀な人、初めて見たかも」
「褒めても何も出ないぞ」
何せ俺は、田舎から出てきたばかりの貧乏人なのだ。