5話 入学試験
目を開くと、そこは森林の最奥だった。
さっきまで建物の中にいたのに、不思議な感覚だ。
「ここは、どこだろう……」
俺が篭っていたあの樹海とは、また全然違う。
一見自然豊かな人気のない場所に見えるが、そこかしこに人間の気配が遺っている。
すると間も無く、空から小鳥が飛んできて肩に止まった。
足には紙が巻き付けられている。
それを取って開くと、文字が書かれていた。
『試験課題——森の湖を発見し帰還せよ』
どうやらこれが、俺の果たさなければならない課題らしい。
これをクリアしつつ、戦闘能力を示せば合格判定に近づく。
つまり、相応の危険が用意されているというのは考えるまでもない。
逆に言えばその危険とやらをいくつか潜り抜けてやれば、試験官のお眼鏡にかなうと言い換えることもできよう。
名門の学院って、こんな手の込んだことするんだな……
そこそこの魔物一匹でも狩ればいいだろうか。
ともかく、標的を探さないことには始まらない。
「行こう」
まずは周辺探索だ。
『グギャ!?』
ゴブリンが呻き声をあげて倒れる。
俺は抜き出した木刀を納めた。
あれから小一時間ほど探索をしてみたが、いくらか魔物とエンカウントした。
と言っても、ゴブリンとかスライムとか、下級の魔物ばかりで特に苦戦を強いられることはなかった。
これで本当に、人の実力が測れるのだろうか。
……いや、受験者がしゃしゃり出るべきではないな。
——しかし、いまさらになって一つ問題があることを思い出した。
よく考えてみてほしい。
ここは魔剣学院の入学試験会場。そして、俺は剣術の名家の生まれ。
当然、俺の過去を知っているやつが居る。間違いなく、確実にだ。
俺はさっきからこちらに向けられる視線の方を向いた。
と、同時に物陰から岩が飛んできた。
「おっと」
咄嗟に避けると、岩は後ろにあった木を貫通し三本目でようやく止まった。
これは、明確な殺意を向けられているな。
「——俺の岩魔法を避けやがったか、運がいいな」
振り返ると、金髪の男が視界に入った。
そいつは嬉々として、俺の前に仁王立ちで立ちはだかった。
同時に、口を開く。
「……お前、どこかで会ったことがあるな」
「さて、気のせいでは?」
なんて言うが、気のせいなんかではない。
俺は知っている。こいつの名前を——
やがて彼は思い出したように手を叩いた。
上級貴族の剣士”ハンス・エルンスト”は口元を歪めて言った。
「そうだ、アルト・アストレアだ」
マズイ、思い出されてしまった。
「出来損ないのアルト……まさか、また顔を見れるなんて思わなかったぜ」
そういえば、俺は巷じゃちょっとした有名人だった。悪い意味で。
「ひ、久しぶりだな……ハンス」
歯切れ悪く返事する。
ハンス・エルンストは、上級貴族のエルンスト家に生まれた剣術の申し子。
同年代の中では突出した剣技を持っていて、剣術大会でも必ず上位十名に入っていたのを覚えている。
無論、俺も何度か戦ったことがある。
その全てで、完膚なきまでに叩きのめされたが。
この時点で、分かったことが二つある。
一つは、これから非常に高確率で面倒な目に遭うということ。
もう一つは、開始早々にこんな輩に付け狙われる今日の俺は、最高に運が悪いということ。
ハンスは声高らかにこう告げた。
「アルト——俺と、戦え」
ほら、言った通り。
俺は苦虫を潰したような顔を浮かべた。
「ええと、どうして今に限ってそんなことを?」
「どうしてだァ? んなもん分かりきってんだろ、他の受験者を蹴落とせば、必然的に俺の合格する確率が上がるからだ」
出た、ハンスの短気な性分。
こいつは剣術ができるだけに、何でも剣で決めようとするのだ。
なんとも血生臭い思考である。
しかしこんな横暴が許されるのかと言えば……
試験官が介入しないのを見るに、許されるのだろう。
確かに、ハンスが言っていることにも一理ある。一応は、筋が通っているとも言えるか。
「どうせお前の剣じゃ不合格確定だ。無駄な努力をする前に、俺がここで叩き潰してやるよ」
そう言って、ハンスは剣を抜き出した。
なるほど。
……どうやら、剣を抜く他に道は無いみたいだ。
ならば、仕方がない。
「かかってこいよ、出来損ない。六年ぶりに相手してやる」
木剣を抜き放つ。
そして俺は、それを宙に放り投げた。
「……あ?」
ハンスが瞠目する。
木剣がクルクルと回って、地面にカランと落ちた。
両手を挙げて、無害を主張する。
「……降参だ」
「は? お前、何言ってんだ?」
「だから、降参する。戦うのはやめにしよう」
手のひらをひらひらとする。
俺の信条として、確信していることが一つある。
それは、避けられる面倒ごとであれば、いかなる手段を用いてでも避けるべきであるということだ。
故に、俺にプライドなどというものはない。当然、張り合おうだなんて気概もない。
「つくづく見下げた野郎だ……矜持ってもんがねえ」
「命に比べれば、語るにも値しないね」
そう言うと、ハンスはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。
「それは、戦士として三流以下の言葉だ。まさかこの試験場に、そんなことをのたまう奴がいるとはな……失望させられたもんだ」
それから続けて、こう言った。
「興が削がれた。お前は俺の剣で貫いてやる価値もない」
すると、ハンスは背を向けた。
「せいぜい、弱者なりに生き延びる努力をすることだ。そうすれば、英雄が栄華を極める様を、指を咥えながら眺めるくらいはできるかもしれない」
……去っていった。
どうやら、俺は見逃されたようだ。
安堵のため息をつく。これも不幸中の幸いというやつなのだろうか。
せっかく気合いを入れてのぞみにきたというのに、早速先行きが不安だ……
しかしそれはそうとして、俺は課題のクリアに向かわなければならない。
どこへ向かえばいいだろうか。思案してみる。
課題は湖を見つけること。
課題にするぐらいだから、分かりやすいところにあるとは考えづらい。
おそらくがむしゃらに探しても見つからない。
となれば、川を探すべきか。
そこから元を辿り、湖に辿りつけるか試してみよう。
ひとまず、感覚を研ぎ澄ませて水の流れる音の方へ向かってみる。
川を見つけた。
しゃがんで、水質を確認してみる。
濁りがない、綺麗な水だ。
魚が泳いでいる。おそらくは良質な真水だろう。
ここで水分を補給しつつ、湖まで道を辿る。
まさしく一石二鳥だ。
あとは、魔獣の有無。
条件によっては、川沿いから奇襲を狙ってくる魔獣も存在する。そこも確認しておかなければならないだろう。
手を水面に近づけて、魔力を探知する。
ここで引っかかってくる魔獣がいれば、返り討ちにする。
——ゴポ。
微かに音が鳴る。
警戒意識を高める。
——ゴポゴポ。
音が近づいてくる。
木剣の柄に触れる。
やがて目にしたのは——手だった。
いや……手?
水面から、人間の手が突き出ている。
溺れているのか、ゴポゴポと水泡が立ち上っていた。
——助けなければ。
咄嗟の判断で、手を伸ばす。
瞬間。
水底から魔獣が現れた。
水飛沫と共に、植物型の魔獣が顔をのぞかせる。
その中心の針が、俺の額を狙う。
一瞬の間。
射出された針を——首を傾けて躱した。
『……!?』
驚愕する魔獣の首元から、刀身が軌道を描いた。
真っ二つに断頭され、魔獣の頭部は空中をきりもみした。
絶命する魔獣を確認して、溺れていた人のことを思い出す。
すると、沿岸に手が突き出されていた。
「ケホッ……ケホッ……!」
咳き込んでいるのが聞こえる。
陸まで引き込んであげようと覗き込んで……瞠目した。
ただ一点、黒い髪が目を引いた。
彼女は密かに目を閉じ、口元を押さえていた。
まるで、無色透明の水の中に落とされた一滴の墨のような存在感は、見る人が見れば一目瞭然と言えるほど異質だ。
——黒の魔術師。
決して思い出すまいと忘れていた記憶が、一気にぶり返す。
絶望と恐怖の匂いがした。
かつて俺に超えられない壁を見せつけた元凶が、今まさに目前にいた。