4話 ルドリンク魔剣学院
ルドリンクへの道のりは約二日の時間を要した。
無論、移動方法は歩き、というより走りである。
鍛錬に身を捧げる者は、片時たりとも体をしごく機会を放棄してはならないのだ。
長時間走るためには、コツがいる。
そのコツとは、呼吸法。
息の流れを完璧に操作し、体内の魔力循環と掛け合わせれば、三時間の間走り続けることなど造作もない。
これで街を五つは越えることができるので、二日もあればルドリンクに辿り着くことができた。
しかし、と立ち尽くす。
「人が、多すぎやしないか……」
道を埋め尽くす人だかり。
建物はどれも天高く聳え立ち、摩天楼を作り上げている。
これが、都会。
うぷ、と吐き気がしてくる。
いかん、こんなところで粗相をしてしまったら、それこそ一生物のトラウマだ。
俺、これからこんなに人がいるところで生活するんだよな?
絶対に、無理じゃないか?
ネガティブな思考が加速する。
いや、ダメだ、そんな後ろ向きな考え方じゃ。
受け入れたものは、それきりで割り切る。それが真に強い心を作り上げるのだと、師匠が言っていたのだ。
ひとまず、学院に行くよりも先にやらなければならないことがある。
学費の調達だ。
——冒険者ギルド。
それは世の冒険者たちが日々出入りし、成果を換金するための公共施設。
以前に何度か利用したことがあって、会員にもなっているため面倒な手続きは不要だ。
「すみません、魔石の換金をお願いできますか」
俺はカウンターに魔石の入った袋を突き出した。
中には、例の件で大量に手に入ったブルート・ベアーの魔石が入っている。
「なかなか、多いですね……」
受付の人の顔が引き攣っていた。
「——ブルート・ベアー三十体分の報酬です。ご確認ください」
換金が終わった。
その総額を見て、俺は思わず声をあげそうになった。
この額があれば、都心の屋敷を買って一年は暮らせるぞ……
こんな大金、初めて目にした。
俺はそそくさと金をしまい込んだ。
なんだかソワソワして居づらくなったため、俺は礼を言って早々にギルドを出た。
——その後。
アルトが去った後を見て、ギルド職員は呆然と呟いた。
「それにしても、すごい数だったな……」
討伐難度B級のブルート・ベアー。
普通はパーティを組んで挑む相手だが、それを単騎で三十体なんて、見たことも聞いたこともなかった。
「——どうだね、調子は?」
「あ、ギルドマスター」
上司が様子を見に来たので、ついでにこの一件のことを話した。
ギルドマスターは、ほうと唸ると魔石に目を向けた。
同時に、顔色を変える。
「いや、待て……この魔石の計算、間違っているぞ……!」
「いやいや、間違ってませんよ。ちゃんと魔力量通り換金しました」
「違う! よくこの魔石を見てみろ、魔力の質が普通とは全く違うだろう!」
見れば、魔石には通常無い黄色の光が湛えられている。
「これは特質な環境でしか現れない魔獣が持つ魔石だ。討伐難度も普通の比にならず、魔石の価値も通常の数倍になる……!」
「ええっ!? そんなの聞いてませんよ!?」
当然だ。こんなのは、異例中の異例。
「この換金では訴えられてもおかしくない。今すぐ謝罪を——」
「いや、換金した人、満足して行っちゃいました」
「……へ?」
「だから、満足して行っちゃいました」
「えぇ……」
ギルドマスターは、ここ数年出したことのないような困惑の声を漏らした。
=====
目的地は、セントラルを外れた郊外に正門を構えていた。
ルドリンク魔剣士学院。
一つの市街地とも言えるほどの土地を有し、校舎、居住地、医療等、あらゆる施設を一つにまとめた、最先端の学園都市。
年間の総受験者数は一万を超えると言われ、世界中から剣と魔法を極めようとする者たちがこぞってこの場に集う。
まさしく、正真正銘の名門。
「…………」
「あ、あの、どうされました……?」
「——入学試験!」
開口一番、特大の声を漏らして、俺は思わず口を塞いだ。
踏ん張って声を出そうとしたら、思ったより大くなってしまった。
「その、あの、入学試験の受付を、お願いします……」
受付の人は、苦笑いをしていた。
人と話すのって、こんなに難しかっただろうか。
対人の会話が久しぶりすぎて、今にも絶望してしまいそうだ。
学院の試験会場は、これまた巨大な敷地の、荘厳な建物にあった。
正門をくぐるときなんて、厳格さのあまり朝食を戻しそうになったくらいだ。
「部屋番号は……ここか」
受験票を手に、いざ参らんと扉を開け放つ。
そこは、何もない、簡素な部屋だった。
奥の壇上から、自分のいる扉まで、ざっと百人くらいがひしめき合っている。おそらくは、俺と同じ受験生だろう。
俺は堂々と真ん中に居座る——なんてことは当然せず、端っこの方にちょこんと座った。
受験生の中には、知り合いで参加している輩もいるらしい。
試験前に、堂々と世間話に花を咲かせている。
俺も誰かに話しかけるべきだろうか……
……いや、やめておこう。ロクなことが起きる気がしない。
何も最優秀の成績を収める必要はないのだ。
ひっそり、目立たず、そこそこの結果を出せばいい。
——と、思っていたその時。
「やあ、隣、いいかい?」
金髪の優男だ。
そいつは、俺に手を振りながら、友好的な笑みを浮かべていた。
「急に悪いね。ボクはハルト。君は見るに、今回初参加だね?」
「は、はい……」
ど、どうしよう……人に話しかけられてしまった。
「分かる分かる、初めてって緊張するよね!
——よかったら、友好の印に情報提供でもしてあげようか?」
「え、えと、それは別に良い——」
「まあまあそんなこと言わずに!」
すると、ハルトは顔を近づけて囁いてきた。
こちらに決定権はないようだ。
「いいかい。受験で大事なのは対戦相手を知ることだ。
ってなわけで、あそこのアイツ、見えるかい? アイツはロックマンって奴で、高度な岩属性魔法を撃ってくる。要注意人物だ」
コワモテの男が、静かに瞑想している。確かに、強者の部類の雰囲気を感じる。
「そんで、向こうにいるのが、アリア・フィグラルツ」
一回り幼さを感じる、赤髪の少女だ。
表情は自信に溢れていて、整った容姿も相まって人を惹きつけるようなオーラを感じる。
「奴は今回が初参加。剣の名家フィグラルツ家の次女で、十五歳にして皆伝にたどり着いた正真正銘の天才だ。
しかも、噂によると剣だけじゃなく魔法まで使う両刀型ときた。極力関わらないのが吉だねえ」
それから、ハルトはフードを被った老爺を指さした。
「アイツは……よくわからない。名前はジョニーと名乗ってるらしいが、本名かは定かじゃない。
だが、俺の勘がアイツはヤバイって言ってるぜ。こういう、裏に何があるかわからない奴ほど危険なんだ」
以降、ハルトは注意した方がいい人物を何人か取り上げて、情報をくれた。
「——ざっとまあだいたい紹介してきたが、最後にこれだけ伝えておく」
すると、ハルトは一際声を小さくして、こう言った。
「今年の試験、『黒の魔術師』が参加するらしい」
瞬間、ドク、と心臓が震えた。
じんわりと滲み出す、敗北の味。
「それは、本当か?」
「おそらく、ほぼ確実だ。試験区域で鉢合わせる確率は、高くはないと思うけど」
黒の魔術師。
久しぶりに聞く名前だ。
そのことをハルトに伝えると、なるほどと頷いた。
「黒の魔術師といえば、最近じゃ素行不良の噂をよく聞くな。暴力なんてのはまだ序の口で、禁忌の魔術研究にも手を出したことがあるらしい。
噂じゃ、去年の試験で試験官を瀕死まで追い詰めて、一発退場させられたみたいだ」
なんと、そんなことが。
「それはまた、どうして……」
「さあ? 試験結果で揉めたとか言われてるけど、黒髪の呪い子ならどんな後ろ暗い理由があってもおかしくないと思わないか?」
黒髪の呪い子……
彼女が冷徹な黒の魔術師と呼ばれる原因の一つだ。
「ま、そーゆー訳で、アイツも関わらない方がいい人間の一人だな。
——そんでさ、最後に君にこれを渡しておきたいんだ」
そう言って、ハルトは手のひらくらいの袋を持たせてきた。
どうやら、中には粉状のものが入っているみたいだ。
「そいつは、幸運を呼ぶ奇跡の粉見たいなもんだ。ま、気軽に使ってくれて構わない。期待のルーキーへのプレゼントさ」
「ど、どうも」
「そんじゃ、お互いの武運を祈ってる!」
そうして、彼は去っていってしまった。
嵐のような人だったな……
やがて、それからしばらくした頃。
突然室内に風が吹いた。
「——ご機嫌よう、皆の衆」
気づけば、誰もいなかったはずの壇上にローブの男が立っていた。
手には杖を持ち、クマのできた目元はいささかの疲労を湛えている。
「此度の受験を総括させていただく、パトリックと申す。
では早速だが、受験の説明を始めよう」
パトリックはこの場にいることすら面倒といった具合で、早々に本題へと切り込んだ。
「これより貴殿等は、転移魔法でランダムな受験会場へ飛ばされる。
そこからは自由だ。単独で行動するもよし、徒党を組むもよし、好きにするといい」
そして、と言葉を続ける。
「試験目標は二つ。一つは個人ごとに与えられた特別課題をクリアすること。二つは、一定以上の戦闘能力を示すこと。以上だ」
「……」
「我々は影から貴殿等を入学に足るかどうか評価するが、無干渉であることを誓おう。つまり、貴殿等が瀕死に追い詰められようが、助けを求めようが、こちらから何かすることはない、ということだ」
パトリックは受験者を見渡して、一人として表情を変えないのを見てため息をついた。
「では、念の為聞いておくとする。
——試験を辞退したい者がいれば、退出を許す。即刻、この部屋から去るといい」
流れる沈黙。
受験者は誰一人として、背を向けようとはしなかった。
「……では、貴殿等の幸運を祈っている」
杖が振り上げられた。
直後、地面に魔法陣が展開される。光が視界を満たして、やがて地面の感覚が遠のいていった。