32話 闘争
「奴隷……いなくなったと思ったら、黒の魔術師に加担したらしいなァ……」
ルイは肩を震わせた。
「その、なんと言いますか、成り行きで……」
「成り行きで裏切りが許されるとでも思ったか?」
ハンスの圧に、ルイはとうとう涙目になった。
「お前はこれが終わったら粛清だ。覚悟をしておくことだな」
「ど、どうしましょう、アルト……!」
アルトは動揺するルイをわき目に、剣の切先をハンスに向けた。
「忘れてもらっては困るな、指輪を取り返せば、お前たちに粛清をすることはできない」
「取り返す……本気で、そんなことができるとでも思ってんのか……?」
ハンスは眉を顰め、無謀な蛮勇を見せる愚か者でも見るかもような目を向けた。
「やってみなきゃ、分からないだろ?」
その言葉が皮切りとなったのか、ハンスは顔色を変えた。
そして、命令する。
「やれ」
ハンスの命令が五人を突き動かす。
ルイの前に、アルトは立った。
上段の構えで猛攻を迎え打つ。
「——っ!」
四人の剣士が、一人の白魔術師による強化を受け襲いかかってくる。
アルトは正面からそれを弾き、柄を持ち替えた。
「すまない、でも、こうするしかないんだ……!」
「大人しく斬られてくれ……!」
一波を凌いだところで、攻撃の手が止むことはない。
次々と斬撃が降りかかってくる。
それは圧倒的人数差が生み出す不可侵の連続攻撃。
何人にもこれを打ち崩すことは不可能。
故に、確信する勝利。
だが、不運があったとすれば、その人数差は質を持ってすれば覆せる範疇であったということ。
「——おい、何ぐずぐずしてやがる! さっさとそいつを始末しろ!」
しばらくしてもアルトが倒れないのを見て、ハンスは苛立ちを覚えた。
「す、すみません!」
「でも、こいつ、なかなか隙を見せなくて——なッ!?」
よそ見をした剣士が隙を突かれる。
地面に転がる剣士。同時に、ハンスは瞬時に剣を抜き縮地を繰り出した。
——火花が散る。
ハンスの剣戟が、アルトの額三センチ前で受け止められる。
「使えねえ奴らだ……もういい、俺がやる——お前らは、俺に合わせろ」
四人が持っていた隙を埋めるように前へ出るハンス。
これで一対五の構図になる。さらにそこへ投下される白魔術師のエンチャント。
数的に見れば圧倒的不利。しかもハンスは手練れの剣士ときた。
ルイは絶望に顔を真っ青にする。
(ここは一回、撤退した方が——)
口を開こうとするも、それよりも先に剣戟の激しさが増す。
もうすでに後には引き返すことができないと悟った。
上唇を噛み締める。
なら、ここで自分がするべきこととは何か。
ルイは思考を切り替えた。
『付与魔法……』
白の光がアルトを包む。
付与魔法による強化。これで戦力差は少しだが縮まる。
時間を稼ぎ、戦況を見極め、勝機を探る。これ以外に勝ち筋はない。
ルイは杖を握った。
しかし、アルトの視線が自分を制止させる。
「心配はいらない。ゆっくり構えて見ていろ」
「——何よそ見してやがる」
再び刀身が振り上げられ、木剣とかち合う。
ルイは額に汗を流した。
何が心配はいらない、なのか。到底安堵できるような状況ではなかった。
果たしてアルトの言葉は何を根拠にしたものなのか。
見守る最中、やがてルイは目を見張った。
一合が交わされ、二合が交わされ、互いの剣術が鎬をけずる。
「どうたよ、防戦一方じゃねえか!」
常人であれば三振りもすればバテてしまうような重さの真剣を、最も容易く振り回し追撃を重ねていく。
アルトはそのことごとくを受け止めていたが、反撃には転じなかった。
ハンスは嗤った。
それは敗者に送る嘲だった。
実力差を見せつける剣術。それが容赦なくアルトを襲った。
袈裟斬りが降りかかる。
木剣がそれを正面から受け流した。
しかしその時、ハンスの脳裏に一筋の違和感がよぎった。
「ようやく気づいたか」
「あ?」
アルトは目線で奥を指した。
「後ろを見てみろ」
横目でその先を目にし、ハンスは瞠目した。
「ハッ……ハッ……」
「ゼェ……ハァ……」
そこには、地面に膝をつく剣士たち。
「お前ら、何くたばってやがる……?」
「す、すみません……」
しかし、立てない。
もう彼らに体力は残っていなかった。
当然だ、すでに何十もの剣を交わした。並の剣士では限界がくる。
「すまないな、巻き込まれただけの生徒を傷つける訳にはいかなかったんだ」
アルトは前に足を踏み出し、剣の切先を向けた。
「——ここからは、全力を出せる」
「ほざけッ、何を——」
ハンスは向き直り、口をつぐんだ。
体が硬直する。
まるで、下手に動けば即座に斬られると警告を告げているかのように。
出来損ないだった筈の相手に、ハンスの本能は警鐘を鳴らしていた。
(なんだ……何が起きている……?)
構えが、今までと全く違う。
まるで、別人のようだった。
咄嗟に剣の柄を前に持ってくる。
ギイイイン! と、一際激しい火花が散った。
——違う。
ハンスは悟った。
何もかもが違う。
剣の質、技、力、全てが違う。
もはや一人の出来損ないの剣術ではない。
ハンスは知っていた。それは、限られた強者のみが放つことの出来る剣だった。
何故? どうして?
そんな疑問符を解消するよりも先に、反撃が飛んでくる。
「っ、ぐ!」
しかしそれでも、同年代ではトップレベルの剣士。どうにか一撃を受け止める。
だが、それでは足りない。受け止めるだけでは、勝つことはできない。
ジン、と腕に籠る熱を追い出すように、ハンスは剣を振り回した。
「クソがッ! 調子に乗るなよ、出来損ない風情が……ッ!」
剣戟が空振りにすかされる。
二撃三撃と続く打ち込みがいなされる。
まぐれじゃない。偶然でもない。確固たる実力が、剣の撃ち合いに現れていた。
汗が滴る。
それはハンスの焦りの証拠であり、畏怖の表れだった。
本来なら、本気を出すまでもなく御せる相手。それに手こずるどころか、逆に追い詰められようとしている現状に、ハンスは恐怖にも等しい感情を抱いていた。
「——ッ!」
木剣が頬を掠める。
ツ、と血液が滴った。
瞬間、脳裏をよぎる敗北の文字。
「——!」
それは、ハンスに言葉にならない苛立ちをもたらした。
許すものか、認めるものか。
決して自分はこんな脇役のような目に遭うために剣を極めてきたわけではないのだと、高く積み上がったプライドが敗北を否定した。
「らアアアアアアアアアッ!」
縮地を繰り出し、トップスピードで距離を詰める。
そして、真一文字に必殺の一撃を繰り出した。
「ハァ……ハァ……」
動かない。
手も、足も、気づけば限界が訪れていた。
——俺は、負けたのか……?
ハンスは呼吸を浅く繰り返した。
「す、ごい……」
ルイは言葉を失った。
その剣戟に、戦慄した。
果たして彼は何者なのか、それはルイの知るところではなかったが、ただ果てしない努力をその剣筋に覚えた。
「アルト……君は一体、どのようにその剣術を——」
「待てよ……」
木剣を納めようとしていたアルトの腕が止まる。
「先には、行かせねえ……」
「もう、勝負はついたも同然だと思うが」
アルトが言うと、ハンスは嗤った。
「同然じゃ、意味ねえ……剣士としての矜持があんなら、ちゃんと止めを刺しやがれ……」
ハンスは震える腕で、剣を持ち上げた。
ここまで来て、まだ動く気力があるというのか。
ルイは瞠目した。
「分かった、付き合ってやる」
再び、木剣が刀身を見せる。
一対の剣の切先が、互いに向き合った。