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黒の魔女  作者: 希望無人
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29話 殲滅

 血飛沫をあげて、犬が吹き飛ぶ。

 俺は地面に着地しつつ、ブラッド・ハウンドを睨みつけた。


 背後の彼女は、どうやら気絶してしまったらしい。


 怪しいと思って後をつけてきたが……まさかこんなところに誘われるとは思いもしなかった。


『ヴルルルルルルゥ……』

 

 B級の魔物、か……

 学院の地下にこんなものが隠されていたとは、末恐ろしい。


 あるいは、学院すら想定にしていない事態がこの場に起こっているのか。

 どちらにせよ、こいつらを処理しなければならないことに変わりはない。


 仲間をやられてか、ブラッド・ハウンドは警戒しながらこちらを睨んでいる。


 このままやりあってもいいのだが、それでは魔術師の彼女が巻き込まれてしまうかも知れない。

 一度安全な場所に運んだほうがいいだろう。


 寝込んでいる少女を抱き上げ、物陰に遮られるように移動させてやる。

 必然的に俺は背を向け、敵に隙を晒す形となる。


 相手からすれば、絶好の機会。


 三匹の犬が、飛びかかってきた。


「——っ!」


 俺は木剣の柄を掴み取り、抜刀と同時に回転の威力を活かした斬撃を放った。

 再び鮮血の血を撒き散らし、三匹が空中で細切れになる。


 肉塊が地面に落ちる音が室内に鳴り響いた。


 人を狩る猟犬。

 しかしそれらは、自分が狩られる側に回ることを考えたことがあるのだろうか。


「久しぶりの魔物狩りだな……」


 殲滅を、始めるとしよう。




 基本的に多数の敵を相手にする場合は、引きながら擬似的な一対一の状況を作り出すことが定石とされている。


 一匹を相手し、それが終われば一度身を引いて次の敵が仕掛けるのを待つ。

 それの繰り返しをすれば、事実上の数の有利をある程度無視できるというわけだ。


 しかし、ブラッド・ハウンドはそれを許さなかった。

 何せその数五十匹。ヒットアンドアウェイをするよりも先に、余裕で包囲される。


 だが、それでいい。

 こちらも、もとよりそのつもりだ。


 無論選択は、前進。

 敵陣の中央へと堂々斬り込む。


「——フゥッ!」


 一閃。

 剣戟に巻き込まれた五匹がきりもみしながら宙を舞う。


 斬り、躱し、もう一度斬る。

 その間にも視線を周囲に巡らせ、戦況の把握に神経を注ぎ続ける。


 そして、見つけた。


「……アンタがボスか」


 猟犬たちの中でも、一際図体のデカいやつが後方でふんぞり返っている。

 あれがこの軍勢の頭領。アイツを屠ることができたら、この犬たちはもう苗床を繁栄させることができなくなる。


 狙いは定まった。

 あとは、剣を届かせるだけだ。


『——ヴラアアアアアアアアアッ!』


 ブラッド・ハウンドが唾を飛ばしながら威嚇してくる。


 お前を決して通しはしないと。

 ボスまでその剣をとどかせはしないと。


 捨て身で、決死で、飛びかかってくる。


 俺は瞬時に剣を持ち直し、標的に狙いを定めた。

 腰を落とし、剣は右手に、左手は対極の位置に構え体幹のバランスを取る。


 動作は柔らかく、流麗に。

 しかし基礎は忘れず、堅実に。


 思考を巡らし、感覚を研ぎ澄ませ、最適を突き詰める。

 やがて時は、動き出した。


 ——刀身が軌道を描く。


 刹那の内に放たれた斬撃は、猟犬を両断した。

 舞い散る血飛沫に溶け込み、追撃に転じる。


 縦、横、斜め。

 あらゆる角度から剣戟を打ち込み、斬撃の雨を降らせる。


 悲鳴すらあげない。

 自分が斬られたことすら認識させない。


 ただ冷静に、ただ着実に、圧倒的質量の斬撃を叩き込み続ける。


 切り裂き、蹴散らし、犬の群れは血の海に溺れる。

 そこにただ一匹、哀れな頭領が残されるまで。


「アンタで最後だ、デカいの」


 ボスはあり得ない光景を前にして、その双眸に()()を湛えた。




「何が、起きてるっていうの……?」


 気絶から立ち直った時、リゼは目前に広がる光景に瞠目した。


 五十いたはずのブラッド・ハウンドの大群。

 それが、たった一人の男によって細切れにされていく。


 一つ剣を振れば三匹の犬が血を吐き、身を少し撚れば三つの攻撃が空振りに終わる。


 その鬼神の如き様は、一人の人間が成していいものではない。

 もはやこれは、天災だ。


 何人も逆らうことのできない天災が、無慈悲に犬たちを巻き込んでいるのだ。


「彼って、確か……」


 記憶から、金髪の剣士の姿を思い起こす。


 そうだ、エルフィだ。

 あの時、エルフィと一緒にいた剣士だ。


 特に覇気を感じることもなく、把握している情報的にも、脅威にはなり得ないとして意識から外していた。

 だが、なんだこの様は。


 こんなの、たった一人だけで——自分たちの陣営を蹴散らせてしまうのではないか。


 そんな思考が、脳内をよぎった。

 それほどに、彼を倒せるビジョンが見えなかった。


 危なげ一つも見せない、汗の一粒もかかない。

 ただ無表情で剣を振るう彼にとって、五十の猟犬を相手にすることは、ただの作業でしかない。


 これを敵にしなければならないのか。


 そんな絶望感とは裏腹に、今はどうしようもない安堵を覚えていた。


 やがてアルトは子犬を全て片付け、最後の一匹と対峙した。

 『ブラッド・ウルフ』——ハウンドの上位種にして、準A級の脅威度を誇る難敵。


 しかしそれを前にして、その剣士が負ける気配など一切なかった。

 それどころか、ブラッド・ウルフが自ら敗北を悟り、後退りを始めている。


「悪く思うな……ここで逃したら、どこでまた繁殖されるかわからないからな」


 アルトは縮地を繰り出し踏み込んだ。

 一瞬で間合いを詰める。


『ヴルアアアアアア!』


 決死の抵抗で放たれた爪撃。

 しかし、それはアルトに届くよりも先に腕の根本から切断される。


 飛び散る鮮血。

 ブラッド・ウルフの顔が驚愕に歪む。


「——ッ!」


 獲物を追い詰める剣戟は止まることを知らない。

 息をつかせる間も無く、回転斬りに肉が切り裂かれる。


 斬る、斬る、斬る。

 ただ一方的に理不尽な暴力を押し付ける。


 膂力で凌駕し、スピードで手玉に取り、技術で翻弄する。

 

 やがてブラッド・ウルフは、その猛攻に地面に伏した。


「終わった……」


 苗床は壊滅。今やこの空間に息のある猟犬は残っていない。

 アルトは剣を収め、目を細めた。


「——いいかげん、隠れてないで出てきたらどうだ」


(ヤバい、気絶してないの気づかれた!?)


 リゼが冷や汗を流したのも束の間、出てきたのは予想だにしない人物だった。


「いや、覗き見するみたいになっちゃって、申し訳ないね。そんなつもりはなかったんだけど」

 

 やがて、一人の男が姿を現す。

 あれは——


「ニコラス・フィールド……?」


 =====

 

 どうしてあの人がこんなところに?

 疑問は色々浮かんだが、何よりも疑問だったのは、彼の目に好奇の色が浮かんでいたことだった。


「この苗床を探して三日、結局手柄を取られてしまったね」


 ブラッド・ハウンドの作る血溜まりを見て、ニコラスはアルトの方を向き直った。


「見事な戦いぶりだったよ、アルト・アストレア」


「俺の名前、知ってるんですね」


「もちろんだとも、入学試験十位の剣士さん」


 ニコラスの言葉に、アルトは心底面倒な表情を浮かべた。


「個人情報を掴まれてるとは思いませんでした。身の危険を覚えたので今日のところは帰らせていただきます」


「まあ、待ってくれよ」


 制止させられる。

 ニコラスは探りを入れるような目線をアルトに向けた。


「君のことについていくつか調べさせてもらった。そしたら興味深いことが見つかってね。君——六年前に家出をしたそうじゃないか」


「ええ、そうですよ。でも、特段珍しいことじゃないでしょう」


「普通ならそうだ。しかし君についての情報がそこから忽然と途絶えている。経歴の追跡も不可能。かつて出来損ないだった剣士が突如としてこの成績……いくらなんでも、不可解が過ぎると思わないかい?」


 確かに、それは側から見れば不可解な話である。

 ニコラスがアルトに興味を持つ十分な理由にもなり得る。


 黙ったままのアルトを見て、ニコラスは仕方がない、と言葉を続けた。

 

「ただ一つ、調べる中である名前が出てきたんだ。それは——元騎士団長オスカー」


 アルトは微かにその単語に反応した。


 オスカーという名は、リゼにとって馴染みのないものだった。

 しかし対照的に、二人の間にはその人物の重要性が共有されているようだった。


「君は、彼の剣を学んだのか?」


「…………」


「否定しないということは、そういうことのようだね」


「だったら、何だって言うんですか」


 アルトは眉を寄せ、怪訝に尋ねた。


 ニコラスは答えるよりも先に、腰元に佩いた剣に手をかけた。


「俺は、自分に匹敵する人間をずっと探していた。彼の剣なら、相手にとって不足なしだ」


 眼光が鋭くなる。

 学園の英雄は、闘志をむき出しにして剣の刀身を顕にした。


「もしかして、あなたって変人ですか?」


「心外だな。でも、的を得ている。俺は結構変態なんだ」


戦闘狂(バトルジャンキー)が……」


 アルトは悪態をついた。


「さあ、いざ尋常に——」


「いいんですか? このままだと後悔しますよ?」


 その言葉に、ニコラスは動きを止めた。


「……どういうことだ?」


「あなたを相手にするには、木剣(これ)では少し役不足みたいでしてね。あいにくと真剣は手元にないんです」


 両手をあげてアルトは続ける。


「どうせなら、()()でやりたいでしょう? 武人ってのは、そういうものだ」


 しばらくすると、ニコラスは納得したのか剣を納めた。


「……確かに、君の言うことにも一理ある。残念だけど、今日は引くしかないみたいだね」


 口ではそう言いつつも渋々といった感じだった。

 アルトはひっそりと息を吐いた。


「となれば、もうここに居る意味もないか……俺は失礼するよ。爺さんに報告もしなくちゃいけないんだ」


 ニコラスは背を向け、颯爽と去っていった。


「……よし、面倒なのが行ったな」


 アルトは早々に切り替えると、リゼの方を向き直った。


(こ、こっちくる……!)


 リゼは慌てて気絶したフリに戻る。


(それにしても、あの剣士は一体何なの……? 学院の英雄が絡んでくるのもよく分からないし、そもそもどういう関係?)


 分からないことが多過ぎる。予想だにしない情報の応酬で、頭がパンクしそうだった。

 ひとまず、今は何も聞いていなかったフリをしよう……




 アルトは魔術師の少女を見て、微かに唸った。


(これ、起きてるよな……)


 本人は気絶しているつもりなのだろうか。だとしたら演技が下手すぎる。

 別に、聞かれて困る話ではなかったのだが……


 しかしここは彼女の名誉のためにも、こちらも気づかないフリをしておくというのが最善か。

 ただ、そうなれば俺は彼女を運んで帰らなければならない。


 少し悩んだ後、結局俺は少女を腕に抱いた。


「——っ!」


 ビクッ、と体が震える。

 お願いだから大人しくしていてくれないか。気づかないフリをしているこっちまで気まずくなってくる。


 はあ、とため息を一つ。


「帰り道、聞くの忘れた……」


 結局地下を出る頃には日が暮れていた。

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