28話 禁書庫
時は遡ること一日前。
アリアは幹部格の上級貴族三人を召集し、作戦会議を行なっていた。
「良い? まずはエルフィを徹底的に潰すこと。これが第一目標よ」
「アリア、その話もう散々聞いたぜ。いくら何でも殺気立ちすぎじゃねえか?」
ハンスは肩をすくめながら諌めた。
「認識が甘い。アタシはアイツが下手に回っているところを見たことがない。だから全戦力を上げて潰しに行く。分かった?」
「お、おう……わかってるって」
流石のハンスも、アリアの鋭い目つきに睨まれてしまっては、いつもの調子を発揮できない。
それほどに、今回の一件についてアリアは熱を上げていた。
それに対し、その魔術師は軽く絶望を覚えていた。
(私、立ち回り方間違えたかなあ……)
リゼ・シェーラー。
Bクラスの魔術師にして、博学な智者。
この陣営では、参謀という位置付けになっている。
——最初こそ、気分も上がったものだった。
稀代の剣士であるアリアに実力を買われ、勢力の中でも幹部レベルの地位につけた。
言うなれば将来安泰。黄金の街道に足を踏み入れているという自覚すらあった。
しかし蓋を開けてみれば、この様。
コンプレックスに取り憑かれているお嬢様と、彼女の言うことしか聞かない側近。それから、貴族のくせに低俗を地でいく下品な剣士。
このメンバーをまとめ上げられる賢者など、この世界のどこを探してもいないだろう。
個々の力は突出しているが、いかんせん人間性が終わっている。ここで身を粉にしなければならないと考えると、めまいすらしてきそうだった。
「リゼ、話聞いてた?」
「ええ、聞いてましたよ。エルフィ・イリネーを一網打尽にするという話でしょう」
内心はため息をつきながらも、冷静に返す。
「それなら、アンタが情報収集をしなさい」
「残念ながら、現時点で集められる情報はほとんど集めているはずです」
これでも潜入なり賄賂を渡すなりして、敵の情報を集めているのだ。
大抵は黒髪に対する私的な悪評ばかりだったが……
他勢力の動向もほとんど把握しているし、この陣営が持っている情報量は十分潤沢だ。
しかし、アリアは表情ひとつ変えずにこんなことを口走った。
「いいや、まだあるはずよ。——禁書庫なら」
「……へ?」
こんな腑抜けた声を出したのは、いつぶりだったろうか。
「禁書庫……? 一体、何の冗談ですか?」
「冗談でも何でもないわ。今の情報ではまるで足りない。受験地の地形から、個人情報まで、あらゆる情報を入手しないと、勝ちは確実にならない」
おそらく、彼女の言っていることは正しいのかもしれない。
だが、それはルール違反だ。足を踏み入れてはならない領域だ。
もはや、卑怯なんて枠組みには収まらなくなる。
事が発覚すれば——懲罰が下る。
退学の二文字が、リゼの脳裏をよぎった。
「流石に、そんなことできるわけ——」
「できない、と言うの?」
「……っ」
出来ない、と言ったら彼女はどんな反応をするのだろうか。
想像もしたくなかった。
「……分かり、ました」
「期日は明日まで。それまでに禁書庫に潜入して、情報を抜き取ってきなさい」
かくして、リゼは禁書庫まで足を運ぶこととなった。
(誰も、見てないよね……)
しきりに辺りを見回す。
一応、人影はない。
『この先立ち入り禁止区域』
掲示板に赤の文字で書かれている。
自分は今から、この中に入らなければならない。
吐き気にフラっときてしまいそうだったが、精神の総力を上げて堪える。
扉には鍵がかかっていた。
当然、これを解除するところから始める。
魔錠の解除は、パズルと同じようなものだ。
欠けている部分、入れ替わっている部分を埋めていき、完成させる。
知恵と知識、それから集中力を問われる作業だが、リゼにとっては造作もないことだ。
しばらくすれば、音を立てて魔錠が解除された。
それから、十数分。
建物内に入り、目的を果たすために探索を進める。
(それにしても、奇妙な場所ね……)
煌びやかなセンターホール付近とは違って、随分と無機質な空間だ。
奥まで続く本棚の列には、魔導書をはじめとした書籍が立ち並んでいる。
「ここね……」
ようやく、お目当ての場所にたどり着いた。
禁書庫、機密情報場と書かれている。
その扉には、また別の魔錠がかけられていた。
もう一度同じ作業をしなければならないらしい。
額に汗を浮かべながら、解除に取り掛かる。
(なんだ、別に大したことないじゃない)
一つ目の魔錠に比べればいくらか難しくなっているが、それでも応用を効かせれば対応できるレベル。
かの魔法学院のセキュリティも、案外脆いものだ。
かちゃかちゃと操作すること数分。
パズルの最後のピースがハマった。
「よし、これで……!」
謎解きの答案を確定した、その瞬間——
『不正解、解錠を拒否します』
「は——!?」
確かに、正しい手順を踏んだはずだ。
何も間違いはなかったはず。
もう一度、思考を初期化して最初から考え直す。
すると、齟齬が見つかった。
それも巧妙に分かりづらい箇所に。
今度こそ。
再び回答を入力する。
『——不正解、解錠を拒否します』
「……っ!」
不意に感じる、苛立ち。
パズルゲームで二度も不正解をさせられるなど、いつぶりだろうか。
胸の底で、なけなしのプライドが微かに蠢く。
半分躍起になって、リゼは回答を続けた。
『不正解、解錠を拒否します』
——回答を、入力。
『不正解、解錠を拒否します』
——回答を、入力……!
『不正解——』
違う。
リゼは唐突に、不安を覚えた。
千通りのパターンを考え尽くした。
しかし、それでも抜けが生じる。まるで挑戦者を嘲るように、どこかしらで齟齬が生じる。
一見簡単そうに見えるこの設問の裏には、一体何通りの可能性が隠されていると言うのだ。
一万通り? 十万? もしくは、それ以上……
そこまで考えた時、背筋に冷や汗が流れた。
もしかして、自分は手を出してはいけないものに、手を出してしまったのではないかと。
つ、と鼻筋に違和感を覚える。
触ると、手に血がついていた。
思考負荷限界値。
脳が許容範囲をオーバーしたのだ。
「か、回答を——」
瞬間。
『回答可能回数を超過しました。不法侵入者とみなし、警報を発動します』
サイレンが、ジリジリとこだました。
室内が赤いランプで点滅し、警鐘を鳴らし始める。
キィン、と耳鳴りがした。
「ど、どうしよう……これ、どうすれば……っ」
とにかく、逃げないと。
逃げないと、捕まってしまう。
入り口の方はダメだ。
とっくに塞がれて、行けば逆に逃げ道を失うことになる。
だから、逃げるなら奥の方。
せり上がってくる吐き気に切迫感を覚える中、頭が冷静にすべき行動を導き出す。
やがて心を決めた魔術師は、奥の方へ、闇の中へと足を踏み入れた。
——汗が垂れて、床に落ちる。
呼吸が浅い。
息が苦しい。
ここまでずっと走ってきた。
もう体力も尽きて、心臓がバクバクと脈を打っているのがわかる。
床に膝をつくと、ひんやりとして寒気がした。
「それにしても、ここ、どこだろう……」
石造の無機質な空間が、ずっと先まで続いている。
ところどころに檻が設置されていて、中には何かが生活をした跡がある。
地下牢、なんて単語が頭に浮かび上がった。
今まで知らなかった学院の裏の姿。
薄寒い悪寒がして、リゼは身震いを抑えられなかった。
その時、何かの気配が正面を横切った。
「だ、誰!?」
問うも、答えは返ってこない。
しかし、明確に感じる。
そこには得体の知れない、何かがいる。
魔杖を抱き寄せて、後退りする。
それは狡猾に、確実に、獲物を追い詰めるべく距離を詰める。
気配は五つ。いや、六つ。
足音を隠し、あるいはわざと鳴らし、獲物の反応を確かめ、優位な状況を作り出す。
狩猟の本能がなせる無慈悲な”狩り”を前に、彼女はついに脚をへたりこませた。
やがてそいつらは、姿を顕にする。
「ブラッド・ハウンド……」
なぜこんなところにいるのか。
疑問を抱いている場合ではない。
ブラッド・ハウンドまでの距離は歩幅にして約六歩分。
目と鼻の先だ。
額には不気味な目が取り付けられ、舐めなすような視線でこちらを見ている。
最悪、四匹までなら対処のしようはあった。
しかし、敵は六匹。前衛が居ない今、自分の適う相手ではない。
このままだと、死ぬ——!
「……っ、『パラライズ・スパーク』!」
行動を起こすまで、約三秒。
閃光が煌めいて、犬どもを痺れさせた。
同時に、踵を返して逃走を始める。
逃げるなら、今……!
リゼは全力で疾走した。
足が攣りそうになっていたのも忘れて、必死になって手足を動かした。
間も無く、背後から追ってくる気配が迫ってくる。
必ずこの身を喰らい尽くそうと、鋭利な牙を剥き出しにして。
直線上の追いかけっこでは、どう足掻いても勝てない。
リゼは角を曲がり、どうにか距離をつけようと足掻いた。
走る、走る、走る。
目眩がするくらいに、ただひたすらに。
——ああ、神様、私は何か罪を犯してしまったのでしょうか。
もしそうだったら、謝るから、すぐに悔い改めるから。
今だけは、この瞬間だけは……!
瞬間、視界に映る降下口。
あそこに入ることができれば、振り切れる——!
最後の可能性に縋るように、リゼはその穴へと飛び込んだ。
同時に、体のあちこちを壁にぶつけながら、重力に引っ張られるがままに下へと降りていく。
やがて転げ落ちるようにして、下層へと飛び出した。
「やった、逃げ切れた……!」
もう背後に気配はない。
安堵感が込み上げてくる。
そうして頭を上げようとして、
『グゥ、ルルルル——』
絶望を、目にした。
『グラァアアアアアアアアアッ!』
咆哮。
犬の唾液が、頬を掠めた。
なぜ、圧倒的速さの有利を持つブラッド・ハウンドから逃げることができたのか。
答えは簡単。
——獲物を罠に嵌めるためだったから。
「いや……違う……そうじゃ、ないでしょ……」
四方八方から威圧してくる唸り声。
その数およそ五十。
空間中を埋め尽くす飢えた猛犬は、リゼを嘲笑うように遠吠えをあげた。
苗床だ。
犬たちの温床に、自分は誘い込まれたのだ。
「やだ……もうやだよ、こんなの……」
膝を折って、その場に座り込む。
涙で視界がぼやけて滲んだ。
自分はここで死ぬのだ。
そういう運命だったのだ。
不思議と、状況を飲み込んだら諦めがついた。
この場で魔法を使っても、最後には制圧されると脳が冷静な分析を下したからだろう。
ブラッド・ハウンドが近づいてくる。
その爪で肉を切り裂こうと、その牙で骨を砕こうと。
リゼは力を抜いて、身を預けた。
引き伸ばされる時間。跳躍する狂犬。遠くなっていく意識。
その爪牙が喉元を貫こうとした、
——その時。
木剣が牙を、弾いた。
舞うように飛び降りる金髪の青年。
気を失う寸前、彼女は一切の揺らぎを見せないその後ろ姿を見た。