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黒の魔女  作者: 希望無人
25/32

25話 あの日

 しばらくして、路地裏には俺たち三人だけとなった。

 瞬間、地面に膝をつく音が鳴った。


 ——終わった、と。


 そうふ抜けた声を漏らすのは、ルイだった。


「……馬鹿、なんですか……? あなたは大馬鹿なんですか、イリネー侯爵令嬢!?」


「何が? 私は至ってまともよ」


 ふるふるとルイは頭を振る。


「無理だ……勝てるわけがない……っ、あなたは今、必ず負ける勝負を挑んだんですよ!?」


 その顔を二文字で表すのなら、「絶望」以外にはないだろう。


「四人の上級貴族と、三十人以上の取り巻き……いくらあなたが凄い魔法使いであっても、多勢に無勢が過ぎます!」


 数が多い方が勝つ。

 白兵戦の基本だ。


 量は質をも凌駕する。

 しかも、向こうの(ボス)はAクラスの魔法剣士。量だけでなく、質も一級品ときた。


 普通なら、どちらに軍配が上がるかなんて分かり切ったこと。

 もしこの勝負で賭け事をするのなら、一〇〇対〇で賭けが成り立たないだろう。


 しかし、それは「普通」の場合である。


 そして、彼女は「普通」ではない。


「それなら、君の力を貸してもらおうかしら」


「……へ?」


 エルフィはルイの方を向き直った。


「君が私たちの編成(パーティ)に加われば、私たちの戦力は一増えて、向こうの戦力は一減る。合わせて二の戦力差が埋められるなんて、とても効率的ね……!」


「やっぱり、ボク、向こうの方に行き——ひえ!?」


 言葉を言い切るよりも先に、首根っこを掴まれるルイ。

 可哀想に。彼女の魔の手から逃れることはできないのである。


「うわあああああ! いやだあああああ! 連れて行かないでえええええ!」


 行き場のない絶叫が、学園都市の中に消えていった。


 =====





 ——ずっと、前のこと。




 ——彼女が家を旅立つよりも、ずっと前のこと。




 エルフィは覚えている。

 疎ましい目で見てくる兄弟の視線も、表面では愛想良くしてくれていたメイドの陰口も、鮮明に覚えている。


 けれど、最も記憶に苛烈に残っているのは、あの日のことだった。


 初めての武闘大会だった。

 あらゆる貴族の家が、自分の子の実力を見せびらかすために開かれた、新星のための大会。


 そこでエルフィは圧倒的な実力を見せつけ、決勝戦にまで登り詰めた。

 決して手加減はしなかった。それが相手への侮辱だと知っていたから。


 やがて、迎えた決勝戦。

 誰もが固唾を呑んで見守る中。

 

 エルフィは、相手を完膚なきまでに叩きのめした。


 何度も立ち上がって襲いかかってくる敵に対して、その度に魔術を振るった。


 炎で焼き、雷で貫き、水で押し流す。

 まだ六歳にも満たない子供が地面に伏して動けなくなるまで、圧倒的な絶望を刻みつけ続けた。


「——勝者、エルフィ・イリネー」

 

 ついに勝利が確実なものになった時、エルフィに向けられたのは歓声ではなく、蔑む視線だった。


「やりすぎだ」「子供だというのに」「黒髪だ」「黒の魔女の生まれ変わりだ」


 あらゆる侮蔑の声が聞こえてきた。

 

 エルフィは分かっていた。

 どうせこんなことになることを、知っていた。

 でも、もしかしたら、なんて期待も、ないわけじゃなかった。


 杖を握りしめて、ふと気を抜けばこぼれ落ちそうになる涙を堪える彼女を、憐れもうとする人間は一人もいなかった。




 試合が終わって闘技場を歩いていると、泣き声が聞こえてきた。


 それは柱の裏、ちょうど誰からも見えない死角から聞こえてくるものだった。


「ひっ、ぐう……っ!」


 裏を覗き込むと、赤い頭髪が見えた。

 あまりにも泣くのに集中しているのか、自分がそばに立ってもまるで気づく気配がない。


「アリア・フィグラルツ……」


「っ、誰!?」


 名前を呼ぶとようやく気づいたようで、飛び跳ねるように後ずさった。


「イリネーのところの……何よ、何しにきたのよ! 敗者のアタシを、煽りに来たっていうの……っうぅ……!」


 自分を見るや否や、たちまち号泣を再開する。

 まるで土砂降りの雨みたいに、涙の粒がポタポタと地面に垂れた。


「どうして、泣いているの?」


 エルフィには分からなかった。

 たかだか、数ある大会の中の一つ。


 決闘でもなければ、本気でもない。

 単なる遊興。それだけのことでしかない。


 しかし、目の前の少女は泣いている。

 本気で、心底悔しそうに、泣いている。


「アンタには、負けられなかった……っ、黒髪のアンタだけには負けちゃだめだって、お母様が言ってた……でも、負けちゃった……ッ!!」


「…………」


「アンタのせいよ……アンタのせいでアタシ、またお母様に怒られる……っ」


 初めて向けられた、侮蔑以外の感情だった。


 蔑むわけでもない、非難するでもない。

 言葉の表面では自分を責めていても、その内面にある本心はもっと別のところにある。


 感じたことのない、向けられたことのない激情に晒され、エルフィは当惑した。


「ご、ごめんなさい……」


「謝るな……っ! アタシを憐れむな……っ! ……こっちに、くるな」


 いやだ。

 そう思った。


 くるなと拒否されようが、近づく。そうするべきだと思った。


 懐のハンカチを広げて、彼女の目元を拭う。


「……え?」


「泣いていいよ。好きなだけ」


 そう言うと、彼女は思い出したかのように引っ込めていた涙を溢れさせた。


 さんさんと泣いた。

 身体中の水分がどこか行って、干からびてしまうのではないかと心配になるほど泣いていた。


 やがて涙が止まると、彼女は気まずそうにどこか後ろめたさそうな表情を浮かべた。


「アリア……」


 水浸しになった布を見せる。


「流石に泣き過ぎだわ。私のハンカチが使い物にならなくなっちゃった」


「わ、悪かったわね! こんな泣き虫で!」

 

 アリアの目元は真っ赤に腫れていた。


「……それで、何の用よ。話しかけたなら、何か用があるんでしょ」


 ムスッと、しかし堂々と問われる。

 エルフィは「あ」と声を漏らし、目を泳がせた。


「その、あなたのことが気になった、から……」


「気になった……?」


 みんな、そうだった。


 自分に向けてくるのは、蔑みか、憎しみか——恐怖。


 どうせ勝てないからいいや。

 気に食わないけど、しょうがないや。

 事前に自分を戦いぶりを見ていた相手は、みんなそういった諦念を抱いていた。


 でも、


「あなただけは、勝とうとしていた」


 本気で、勝ちに来ていた。


 何度地面に叩きつけられても、最後までその瞳の熱が冷めることはなかった。


「バカね。最初から負けるつもりで勝負を挑む奴が、どこにいるのよ」


 腕を組んで、フンと鼻を鳴らしながら言い張るアリア。


「もしそんなやつがいたとしたら、そいつは戦士じゃないわ」


 やっぱり、違う。

 この子は、他とどこか違う。


 だから、もっと知りたいと思った。


「その、アリア……」


「な、何よ、急に気持ち悪いわね」


 これから言おうとすることを考えて、エルフィはもじもじと手をこねた。


「私、今まで人と仲良くしたことがなくて……メイドはよくしてくれるけど、裏では陰口とかされるし、兄弟も、同じで……だから、あなたみたいな人は初めてで……つ、つまり、どういうことかというと——」


 ぎゅっとローブの裾を握りしめ、頭を下げる。


「私の、友達になってください……!」


 一世一代の告白だった。

 あわよくば、もしかするかもしれないと思った。


 しかし——


「無理ね。アンタとは、友達になんかなりたくない」


「そ、そうよね。変なこと言って、ごめんなさ——」


「でも」


 と、アリアはこう言った。


好敵手(ライバル)にならなってあげる」


 好敵手(ライバル)

 家族でも友達でもない、全く別の関係。


 しかしどうしてか、ストンと胸に落ちるような、心地よい響きがその言葉にはあった。


「今日は負けたけど、いつか必ず、アンタのこと倒して見せるから」


 宣言する。

 堂々と、臆することなく、真っ直ぐに。


 その時彼女が見せた、くもり一つない瞳。

 エルフィはそれが嫌いじゃなかった。


 =====


 ——例の件から一日後。


 センターホール併設の会議室にて。

 アルト、エルフィ、ルイの三人は集まっていた。


「……エルフィ?」


 どこか上の空な彼女を見て、アルトは珍しいと思った。


「ごめんなさい、考え事をしていたわ」


 軽く息を吐き、二人の方に向き直る。

 さて、と机に手をつきエルフィは言った。


「——これより、第一回緊急試験会議を始めるわ」

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