20話 行動操作
「本日の授業は一時中断する! 皆、退出するように!」
ややあって、剣術の授業は中途中止する流れとなった。
「さて、俺も行くか——」
「貴様は残れ、アストレア」
レイマンに一瞥される。
俺は内心苦い顔をして、指示に従った。
「……君の事なかれ主義には、一周回って呆れてしまうわね」
「エルフィ、俺は俺の平穏のためなら、この身を粉にすることも厭わないだけだ」
彼女は腕組みをして、「馬鹿なのか」と言わんばかりの顔を浮かべた。
どうやらエルフィは、俺が舐め腐るが如き手抜きをしていたことに気づいているらしい。
「君のこと、待ってあげてもいいけれど」
「心配なら不要だ。次の授業の準備でもしててくれ」
そう言うと、エルフィは渋々納得したのか、頷いてくれた。
やがて黒髪の彼女が去り、訓練室には俺とレイマンの二人だけとなる。
レイマンは重いため息をついて、俺の方を向き直った。
「すまないな、例年のDクラスは毎度のことこんな風なんだ」
特段気にするところではないが、毎年ハンスみたいな奴が入学してきているのか、と半ば呆れのような感情が湧いてくる。
「少し待っていてくれ。医療用具を取ってくる」
そう言ってしばらくすると、教室に備え付けられていた救急箱から包帯やら傷薬やらが出てきた。
「別に、そこまでしてもらわなくても……」
「これも教師の役目だ。どれ、傷を見せてくれ」
そう言われてしまっては、拒否することもできまい。
俺は上着を脱いで、肌を晒した。
「……ふむ」
数箇所できているあざを見て、レイマンは唸った。
「どうかしましたか、教官?」
「——見事に急所を避けているな」
やべ、と思うのも束の間。教官の鋭い視線が向けられる。
「は、ハンスが手加減でもしてくれたんですかねー、奴も、案外優しいところがあるもんですね」
「思えば、おかしいと思うところはいくつかあった」
マズイ、ごまかしがまるで通用しない……
「一方的に攻め込まれているのに、貴様の目は冷静に敵の穴を追い続けていた。しかも、剣の持ち方に一切のブレがない。まるで、わざと力を押さえ込んでいるようにすら見えた」
「こじつけもいいところですね」
「おそらく貴様は奴が剣を一振りする間に、三回は意識を刈り取ることができたんじゃないか?」
これ以上しらを切るのは無理か……
「……気付いてたんですね」
「そうでなければ、お前たちにあそこまで打ち合わせたりはしない」
疑念は確信へ。
この教官は、俺が舐め腐った手抜きをしていることを見破った。
「——時に、剣士の間では行動操作という概念が存在する」
「……」
知っている。
行動操作。ある程度の実力をつければ、いかなる流派でもその概念を教え伝える。
「剣の構え方、体勢、視線、ありとあらゆる動作を巧妙に配置することで、敵に自分が思い描いた通りの行動をさせる。つまり、相手は貴様の隙をついているように見えて、貴様の意思通りの箇所に攻撃をさせられたわけだ」
別に、あれくらいの攻撃なら急所を撃たれたところで、どうということはなかった。
しかし、受ける消耗を減らせるのならそれに越したことはない。その方がより綺麗で、より美しい。
「——問題は、行動操作が発生するには、双方の実力が三段階以上離れていなければならないと言われていることだ」
レイマンは何か面白いものでも見るかのような視線で、俺を見据えた。
「エルンストだって別に並の剣士ではなかったはずだ。貴様、一体その体の内にどれほどの実力を秘めている?」
「買い被りすぎです。俺はそんなに大した人間じゃない」
そう言ったところで、納得してはもらえないだろうが。
レイマンは「まあいい」と、ひとまずは追及から逃してくれる様子だった。
「……ところで、俺、面倒なことに駆り出されたりしませんよね?」
——お前の実力は民衆のために役立てるべきだ!
とか言って、ボランティア同然の仕事をやらされたりなんかしたくない。
「そこは貴様の案ずるところではない」
そんな毒にも薬にもならない言葉を言って、教官は背を向けた。
「傷は応急処置をしておいたが、念のため医務室に行くといい。今後の活躍を期待しているぞ、アルト・アストレア」
そうして、教官が去ったのちに俺は一人となった。
彼が去った方向を眺めながら、徐に呟く。
「国家剣士……案外食えない輩だな」
=====
それからの学園生活は、比較的平和に過ぎ去っていった。
一日目の激動の展開が嘘だったみたいに、ハンスも大人しくしているし、Dクラスの面々も少なからず暴力沙汰を起こすような気配は無くなった。
みんな、なんだかんだで平和な学園生活を楽しみたいのだろう。
いい兆候だ。僥倖であるとも言える。
魔術を学び、剣術を磨き、一日が過ぎ、二日が過去の日と消え行く。
そうしてやがて、入学から二週間が経った。
「アルト、君があくびをすると、まるでデザート・ピッポタスみたいね」
ふぁ? とあくびをおさめながらエルフィの方を向く。
「デザート、なんだって……?」
エルフィは無言で生物辞典の一ページを見せてきた。
どうせロクでもないんだろうなと思いながら、目を通す。
……本当にロクでもなかった。
「馬鹿にしてるのか?」
「人によっては、そう捉えられてもおかしくはないでしょうね」
ヒヒヒ、とさながら魔女のごとき笑みを浮かべる魔術師。
最近軽口が増えてきた。対応するこちらの身にもなってほしいものだ。
「でも私、個人的にデザート・ヒッポタスは魔物の中でも可愛い方だと思うの」
俺は魔物と同格だったらしい。
エルフィはひとしきり俺の反応に満足げな表情を浮かべると、再び読書に戻った。
近頃はずっとこんな調子である。
俺も孤独至上主義を掲げている手前、学園には当分馴染めないだろうと思っていたが……
一度事が始まってしまえば、案外慣れるものである。住めば都というのは、こういうことを言うのだろう。
しかし、決定的に他とは違う事が一つある。
それは、エルフィとの関わり。
ルドリンク魔剣学院は、至上の自由と平等の学舎。
貴族も平民も一緒くたに、ありとあらゆる人間が平等に扱われる。
人種、性別、身分、これらをはじめとした差別は決して許されない。
無論、それは黒髪をして同じである。
そのため、エルフィが公に暴言を吐かれたり、暴力行為に巻き込まれたりなんてことはない。——あくまで「公には」と言う言葉が前提にはなるが。
そういうわけで、クラスからの総評的なエルフィへの態度は、一言で言えば「うっすら嫌われている」である。
不本意ではあるが、民意ではあるが、一度入学が成り立ってしまった手前、徒党を組んで糾弾するなんてことはできない。
当然、席は離すし、話は無視するし、裏で陰口を叩くくらいのことはする。
ただ、それはエルフィも承知の上だったようで、むしろ「これだけで済んでいるのなら儲け物」とまで言いそうな具合だ。
もちろん、それに付き合っている俺をしても同じだ。
例えまやかしでも、平和は平和だ。
偽りの平和を噛み締めていれるのなら、それでいい。
そういうこともあり、俺はついあくびが出てしまうほどの平穏を楽しんでいた。
……しかし、平穏な時というのはそう長くは続かない。
凶報は唐突に、まさに青天の霹靂のように舞い込んでくる。
「——みんな、大変だ!」
男子生徒が教室のドアを乱暴に開けて入ってくる。
「緊急試験が……緊急試験の詳細が、発表された!」
瞬間、一気に引き締まる空気。
予想外の一報に、ハンスは笑みを浮かべ、エルフィは静かに目を閉じた。
ざわめきで満たされる教室。
動乱の予感が、漂っていた。