19話 初日の敗北
ハンスは金髪を梳きながら、獲物を見つけた、と言わんばかりの表情を浮かべた。
「アルト、せっかくの機会だ。俺が本物の剣術とは何か、見せてやるよ」
クイクイ、と指で挑発される。
実に、面倒だ。
できることならハンスとは距離をとっておきたかったのだが、ここまで詰められてしまってはどうすることもできない。
すでに他の生徒たちもペアを組み終えているようで、どうやら俺は退路を失ってしまったようだ。
「……分かった」
「——双方、構え!」
訓練用の木剣を引き抜いて、構える。
あまり腰を入れずに、半ば棒立ちになる形で刀身を向ける。
つまり、最大級に舐め腐った体勢だ。
「あん時からなんも変わってねえのな、そのヌルすぎる構え。——俺が叩き直してやる」
ハンスが剣を構えた。
同時に、一対一の構図に意識が没入する。
「……始めッ!」
合図と同時に、一気に距離が縮まる。
ハンスは己が出せる最大の速度で、縮地を繰り出した。
間合いもへったくれもない、開幕ノーガードの先行ダイブ。
通常なら悪手極まりない一手だが、それは同格相手であればの話。
格下を潰すのであれば、究極に近い一手だ。
「もらったっ!」
豪速で刀身が振るわれる。
俺はそれを真正面から剣で受けた。
——ガンッ! と木剣から鳴ってはいけない音が散って、体が吹き飛ばされる。
地面が遠のいて、世界が二転三転する。
ゴロゴロと何度か転がったところで、俺は受け身を取った。
「今ので剣を離さないか……根性だけはあるみてェだな——!」
どうやらハンスは一息でもつかせるつもりはないらしい。
一度大きく体勢を崩した相手に向かって、大きく跳躍した。
のそのそと立ち上がって、再び剣を構える。
その間に、すでに剣戟は目前に。
破裂音が鳴った。
それはハンスが俺の剣を弾き、強引に隙を作り出した音だった。
ついに、刀身が身体に触れようと接近する。
防ごうにも、剣は宙ぶらりんになって帰ってこない。
半身になって回避行動に移る。
しかしあと一歩、あと一拍、避けるには遅かった。
刀身が、左肩に直撃した。
「フン、終わりだな」
俺は肩を抑えるふりをして、地面に膝をついた。
剣の切っ先を向けられる。
「……降参だ」
両手をあげて、抵抗の意思が無いことを示す。
「あっけねえ。情けないくらいにあっけないぜ、アルト」
ハンスは心の底から嘲笑するように、そう言った。
「試験をクリアしたくらいなら、多少は骨のある剣士になってと思ったが——お前は雑魚のままだ」
「…………」
「——そこまで!」
制止の声が響く。
同時に、試合中だった生徒たちは一斉に構えを解いた。
「アルト、もう一戦だ」
しかし、この男はとんでもないことを言い出した。
「は?」と疑問符を提示するよりも先に、聴衆が集まってくる。
「おい、あのハンスがもう一戦やるってよ!」
「マジ? ハンスって、確か中級剣士の国家資格持ってたよな!」
剣士の国家資格は、初級に始まり特級まで順につならる。
初級で一人前の剣士として見なされ、中級はさらにその上の次元を行く。ハンスはすでにDクラスの中でもトップクラスの実力と称号を所持していて、
——つまり、生徒たちからすれば見逃すわけにはいかないマッチアップとなる。
「立てよ、アルト。今度は大衆の前で醜態を晒して見せろ」
完全に、獲物としてロックオンされている。
こいつは骨の髄まで俺をしゃぶり尽くして、悦楽の糧にしようとしているのだ。
「ハンス・エルンスト、勝手な行動は謹んでいただきたい……即刻武器を下ろしなさい!」
しかし、そんな横暴を教師が許すはずもない。
レイマンの声が室内にこだました。
これで、問題は解決……するように思われた。
しかし、
「やれぇ! ハンス!」
「いいぞ、俺たちにお前の剣術を見せてくれ!」
観衆のボルテージは高まり続け、収まることを知らない。
熱狂が熱狂へと伝播し、野次馬たちは教師ですら手をつけられないほどの暴徒と化していた。
「剣を取れ、アルト・アストレア。それだけの時間は、待ってやる」
ハンスが嗤った。
俺は、地面に転がっていた木剣を見て、それから聴衆の様子を伺う。
気づけば聴衆はハンスと俺を中心に円形に広がり、擬似的な決闘場を作り上げていた。
もはや選択肢は無い、か……
立ち上がり、剣を取る。
俺はハンスと対峙した。
構えを取る。さっきと同じ、舐め腐った構えを。
ハンスは半身を引きつつも、剣先はこちらに向けたまま。
——かかってこい、ということらしい。
ならば、大人しく相手の意図に乗っかってやるまでの話。
開始の合図はなかった。
あるいは、双方の目線が重なった瞬間、聴衆が手を叩いた瞬間、それが開始の合図だった。
俺は足を放り投げるようにして踏み込んだ。
剣を持ち上げ、さながら鈍器のように叩きつけにいく。
「品のねえ剣だ」
無論、受け止められる。
いや、受け流される。
するりと刀身の表面を滑り落ちて、体勢は駄々崩れ。
致命的な隙を敵前に晒す。
しかし、ハンスは剣の柄で腹を殴ると、俺に距離を取らせた。
あくまでも、この戦いを楽しむらしい。
獲物を痛ぶり尽くすまで、終わらせるつもりはないのだろう。
俺は再び、剣で殴りつけに行った。
それも、さっきと全く同じ太刀筋で。
「丸分かりだ、ボケが」
再び、いなされる。
二撃、三撃、続け様に打ち込みにいく。
しかしその度に受けられる。いなされる。
そうして隙を晒すごとに、いやらしくねちっこいハンスの剣が体に傷をつけていく。
致命傷には至らない。しかし、着実にダメージとして蓄積する傷は、挑戦者を痛ぶり無慈悲に消耗させていく。
見よ、これが絶望だと言わんばかりの「実力差を見せつけるための剣術」
正直、見事と言わざるを得ない。こんなに悦楽に浸かりきった剣術は初めて見た。
それから、どれだけの剣戟を交えただろうか。
俺は数十を超える刺突を喰らい、対するハンスは無傷。もはやどちらがこの勝負を制するかなど、日を見るより分かりきったことだった。
俺は息を吐いて、どう決着をつけるべきか思案した。
今から急に倒れるふりをするというのも不自然だし、試合を放棄して丸腰になるというのも聴衆からすれば納得いかないだろう。かといって、ハンスも致命の一撃を与えるつもりはない。
相手も聴衆も、違和感なく納得させられるような幕引きにするには、どうしたらいいものか。
実のところ、俺を一番悩ませているのはこの一点だった。
しかし、決着の時は唐突に訪れた。それも、向こうの方から。
「そろそろか……」
ハンスが何かを呟くと、急に攻勢の構えへと移った。
一気に距離が縮まり、剣戟が降り注ぐ。
しかし、妙に攻撃に鋭さがない。
受け止められないこともないので、剣で防ぐ。
そうして一度守りの手番を終えたら、次は攻めの手番。
剣術の定石的に仕方がないので、一撃お返しする。
すると、ハンスの剣が浮いた。
——こちらの一撃によって、浮かされたのだ。
瞬間、俺は気づいた。
相手の右腹部。肩から脇腹にかけてのスペースが、完全にガラ空きであることに。
それは、絶望の淵から見える希望の光。
餓死を目前にした獣に与えられる、一匹の獲物。
攻めて攻めて攻められ続けた挑戦者に、突如舞い降りた最大の好機。
これを逃すのはあり得ない、か……
剣を振りかぶり、相手の脇腹目掛けて一撃を浴びせに行く。
必中に思われた反転の一手。しかしそれは——浮かされていたはずの剣によって防がれた。
「マヌケが。それは罠だ」
当人から告げられる種明かし。
全てはこの一瞬のために仕組まれていた。
浮かされていた、かのように見えたハンスの剣は、反動を生かして瞬きをするよりも早くカウンターの構えに入る。
晒されていた隙も、好機かのように思えたあの一瞬も、全部釣り餌。
まさしく、この瞬間、アルト・アストレアはハンスの掌の上で踊らされたのだ。
弾かれる刀身。
隙を晒す胴体。
すでにハンスはトドメの一撃を打ち込む体勢に入っている。
さっきまでとは比にならない。本気で剣士としての命を刈り取る、文字通りの致命傷を刻み付けるつもりだ。
……流石に、ちょっと衝撃に備えないといけないな。
受け身を素早く取る体勢に入る。
「——っ!!」
カッとハンスの瞳が見開かれ、衝撃が訪れようとしたその瞬間——
「双方、止めッ!!」
怒号にも等しい、鋭い声が響いた。
レイマンの一声によって、ハンスが攻撃の手を止める。
「エルンスト、自重しなさい」
観衆たちを押し除けて、レイマンはハンスを見下げた。
流石の観衆たちも、予想外の凄みに頭が冷えたのか反応がたじたじだ。
「ハッ、運が良かったな、アルト……」
金髪の剣士は、目の前の雑魚から興味を失ったように背を向けた。
これにて、勝負あり。
勝者はハンス。対する俺は、敗北。
こうして、俺は入学早々、敗者の称号を手に入れた。