16話 アリア・フィグラルツ
センターホールを少し離れた、仄暗い裏路地。ここならば、誰の目にもつかないだろう。
直後、殺気が一気に膨れ上がった。
分かりやすいほどの、攻撃の合図。
——来る。
俺は木剣を抜刀した。
瞬間、火花が散った。
「——エルフィ・イリネー、迎えにきてあげたわ」
真紅の髪が揺れる。
その少女は、剣を鍔迫り合いさせたままエルフィを睨みつけた。
俺が受け止めているというのに、まるで俺に意識を割いていない。
「アルト、もういいわ。ただの威嚇みたいなものだから」
「分かった」
剣を振り払うと、相手もおとなしくバックステップで距離を取った。
改めて、襲撃してきた少女の姿を目に収める。
分かりやすいくらいに高貴さを感じる手入れされた髪。それから、ままならない眼光を秘めた橙の瞳。なかなか一癖も二癖もありそうな人間だということがわかる。
というか、彼女をどこかで見たような……
「アリア、随分と久しぶりね」
「エルフィ、無駄な御託は結構よ」
二人が言葉を交わしている傍ら、記憶の奥底を探る。
確か、試験会場で見かけたはずなのだ。ハルトはなんて言ってたか……
『——そんで、あそこにいるのがアリア……』
アリア……なんだっけ?
フ、フ……
ああ、そうだ。
「アリア・フェグラルツとか言ったか」
「アルト、それを言うならフィグラルツよ」
エルフィはツボに入ったのか、ちょっと笑いが漏れている。
「一体何の冗談? ふざけるのも大概にして欲しいんだけど」
当のアリア・フィグラルツは、怒り心頭で声を荒げた。さもありなん。
「て言うか、アンタ誰? アタシの剣を防ぐなんて、傲慢よ」
ようやく俺の方に意識を割いてくれたらしい。
「彼はアルト。私の友達よ」
エルフィが言うと、アリアは面食らったような顔をした。
「アンタに友達……? 飛んだお笑いね。通りで碌でもない奴だと思ったわ」
初対面だと言うのに、随分な言いようだ。
俺は早くここから離れたいの意を込めた視線をエルフィに送った。
「アルト、私も気持ちは同じよ。もう少しだけ我慢してちょうだい」
「はい……」
さて、状況は一旦落ち着いたが、相手の魂胆が見えない。
ましてや、ただ奇襲をするためだけにちょっかいをかけてきたわけではないだろう。
そこには、何か訳があるはずである。
「エルフィ、今日はアンタに勝負を申し込みにきたわ」
出てきたのは、想像の斜め上を行く言葉だった。
「また勝負……?」
しかし、エルフィにとってはそうでなかったようである。
それどころか、予想通りも予想通りといった様子。
「エルフィ、これはどういうことなんだ?」
「見ての通りよ。彼女、私に会うたびに勝負を申し込んでくるの」
まさか、そんな奇特な奴がいたのか。
しかし当のお相手は本気のようだ。
「私は今回の入学試験、十一位だったんだけど、そっちの順位は?」
「九位だったわ」
「……そう」
アリアは不機嫌そうに顔を歪めた。
なるほど、確かに勝負だ。まるで、子供がテストの点数を競うような幼稚なものではあるが、おそらくはそういうプライドを賭けることに重きを置いているのだろう。
俺は穏健派なので、無論こういった争いごとは勘弁である。
「ちなみに彼は十位よ」
なぜ巻き込む……っ!
「は? このパッとしない男が十位?」
俺は頭を抱えた。
「ええと、こっちの彼女が助けてくれたもんで……」
「やっぱりね。そんなところだと思ったわ。全くこの学院はダメね。採点基準が成ってない。こんなまやかしの点数じゃ、背比べにもならない」
どうにか納得してもらえたようである。
エルフィは不満そうな目でこちらを見ていたが……
「——まあいいわ。ただ、アンタたち二人とも、たかだか入学試験の点数で図に乗らないことね」
自分から仕掛けてきた割になかなかな言いがかりだ。
すると、アリアは手から何かを弾き出した。
金色の賞牌のような形のそれは、カランと音を立てて地面に転がった。
「……これ、何?」
さきほど投げつけられたコインのようなものを拾い上げた。
その表面には、剣と杖が中心で交わった紋章が描かれている。
「決闘紋だな」
「アルトは知ってるの?」
「何度か使ったことがある。決闘をする時の必需品だ」
昔は貴族間で手袋を投げて決闘の意を示す、なんて風習があったらしいが、片方が土壇場でバックれるなんて事態が多発するようになってから、こういうアイテムが作られるようになった。
「魔力を込めてこの決闘紋を突き返せば、その瞬間決闘の契約が成立する。そして、契約は必ず順守される」
何があろうと、どんな事情を抱えようと、である。
「アタシは、決闘を申し込むわ」
アリアは言った。
決闘……
何かを賭けて、本気で争う騎士の戦い。
例え命を賭けていなかろうと、決して決闘は生半可な気持ちで挑むような甘いものではない。
つまり、今彼女は相当な覚悟を以て啖呵を切ったということになる。
「期日は一ヶ月後。それまでに、何を賭けるか決めておいて」
そう言って、アリアは背を向ける。
「良い返事がもらえることを期待してるから。アタシが伝えたかったのはそれだけ」
やがて、赤髪の少女は毅然として去っていった。
去っていく彼女の背中を見送る。
それはそうと、決闘紋まで渡されてしまってはもはや疑う余地もない。
相手は、本気だ。
一体天才と騒がれる彼女をここまで焚き付けるとは、どんな事情があるのやら。
「彼女とは、どういう関係なんだ?」
「説明するのも難しいけど……一言で言えば、幼馴染よ」
幼馴染ときたか。
エルフィは備え付けられた大理石に腰をかけると、腕組みをした。
「私の家と、フィグラルツ家には元々浅くない関係があったの。盟友、とでも言えば良いかしら。伯爵家が主催したパーティで何度も顔を合わせる内に、気づけば知り合い以上の関係になっていたわ」
なるほど、それで昔馴染みということか。
しかし、それでは少し疑問が残る。
「それにしては、あまり仲が良いようには見えなかったが」
すると、エルフィは口をへの字に曲げた。
「そこが難しいところよ。フィグラルツ家は、代々黒髪を忌み嫌ってきた擬古派の一族なの。あらゆる名家の中でも、特にね。だから、彼女にとって私は倒さなくちゃいけない敵で、絶対に負けてはならない相手だった」
「その言いようだと、一悶着あった訳だな」
「一悶着どころじゃないわね」
頭を振って否定する。
「……私の家が所属する地区では、毎月のように武闘大会が開かれていたの。当然、私はその全てで決勝に上り詰めたわ。そして、毎回決まって決勝で当たるのは、彼女だった」
「それで、どっちが勝ったんだ?」
そう聞いて、それが愚問であることに気づいた。
「全戦全勝。私が優勝を逃したことは、一度として無いわ」
無慈悲とも言える一言だ。
しかし、ようやくことの真相が見えてきた。
「それ以降、アリアはことあるごとに私と争うようになった。今回の一件も、その一つというわけね」
一位の座を欲したが故の、決闘。
晩年二番手ともなれば、あるいはそうなるのも当然の帰結か。
「それなら、この決闘は受けるのか?」
「受けないわ」
意外な言葉が返ってきた。
この語り草からしたら、「仕方ないから受けてやる」くらい言うと思ったのだが。
「意外に思った?」
俺は頷いた。
「深い理由は無いわ。君に言わせれば、面倒臭いというやつね」
「なるほど、それは尤もな理由だな」
エルフィは決闘紋を懐にしまうと、ヒョイと立ち上がった。
「この決闘紋は頃合いになったらつき返そうと思うわ」
それが良いだろう。
学内で決闘、それも相手は実力派のルーキーともなれば、大勢が話題にするのは日を見るより明らか。
そんな注目を浴びるなんて、俺はごめんだ。
「ところで、一つ聞いてもいいか?」
「何かしら?」
「もし、この決闘を受けていたら、結果はどうなっていた?」
つまり、あの少女とエルフィの間には、今現在でどれほどの実力差があるのか。
ふと、疑問に思った。
エルフィは考える素振りすら見せずに、こう答えた。
「それこそ愚問ね。彼女が私に執着している限り——彼女が勝つことは無いわ」