闇に沈む真実 3/暴走
時は少し遡り、研究所の地下に貯蔵されている魔素の暴走にて、地震のような振動が起こる直前。
薄暗い廊下を、肩を怒らせ足早に闊歩する男がいた。翡翠島研究所の所長、笹岡哲治その人である。
「マズイ、マズイ。マズイ〜〜〜。敵国がこれほど大規模に、これほど速く進行してくるとは…… 本局は一体何をしているんだ!」
50代後半の初老の男性、笹岡哲治。平均的な身長ながらも恰幅の良い体躯は、異様な重圧を放つ。
短く刈り込まれた白髪、薄くなった額、鋭い目つきは常に周囲を睨みつけるようであり、薄い唇は固く結ばれていた。
時折響く砲撃音や銃声が、彼の顔に深く刻まれた皺を、より一層深く歪ませる。
「ヒィィ…… 全ての実験体を持ち出す事はできない…… このままではいずれ…… その前に」
笹岡は、焦燥と保身の狭間で葛藤していた。実験体、即ち自身の研究成果こそが、彼の存在意義そのもの。
しかし、この状況下では、全てを持ち出すことは不可能だと悟っていた。
乱暴にボタン式の鍵へ暗証番号を叩きつけると、重い鉄製の扉を押し開け、その身を滑り込ませた。
部屋の中央には巨大な操作盤があり、その周囲には複雑な配線と機械が絡み合っている。
異臭が漂う部屋には古い血痕や補修された跡が刻まれ、長年にわたる非人道的な実験の痕跡が、否応なしに目に飛び込んでくる。
非常用照明となった薄暗い中でも、笹岡は躊躇なくその足を進め、部屋中央部のコの字型をしたデスクへ着くと、ボタンを押して機器を起動させた。
まるで戦艦の艦橋さながらに、無数に並ぶ計器やボタン、ダイヤルが光り、笹岡の顔を怪しく浮かび上がらせる。
光と同時にブゥーンと鈍い音が耳孔に響き、壁際の大きなガラス管へも薄らと灯りが灯る。
琥珀色をした液体が充満する、合成妖魔の培養装置であった。
「ヒヒヒっ…… 他に道はない。この判断も後々――」
「いや、お前に残された道は無い」
「ヒッ――‼︎」
突如として声をかけられた笹岡は、飛び上がるほど驚くと、驚愕の表情を貼り付けたまま声の主へ振り返る。
そこにいたのは、冷たい殺気を纏った氷川龍士だった。
「だっ、誰だ! ここは非常事態時でも入ってはならぬ!」
「…………」
龍士は無言のまま、ゆっくりと歩み寄る。
思わず後ずさる笹岡の腰に、制御装置がその先へ進むのを阻む。
「誰だと聞いている⁈ まさか、もう敵兵が――」
「…………」
2人の距離は、お互いの息遣いが感じられるほどに近づく。
身長は同程度だが、怯えて腰が引けた笹岡は、龍士を見上げる格好となる。
ガタガタと震える笹岡へ、龍士はさらに顔を近づけると、感情を押し殺した低い声で語りかけた。
「翡翠島研究所所長、笹岡哲治だな……」
「――⁈ 何故、私の名を」
自分の名前を呼ばれ、一瞬キョトンと惚けた表情を浮かべた笹岡だったが、すぐに情けない笑顔に表情を変えると、大きく息を吐き出した。
「そうかそうか! 君は帝都の本局から来たのだな。そういえば軍服も帝国のものじゃないか。 ……全く! 遅いから肝を冷やしたぞ! まあいい、少し待ってくれ」
味方、それも研究のことを知っている者が自分たちを保護しに来たと安心したのか、笹岡は龍士に背を向け、制御装置の操作を始めた。
「……それがお前たちの研究成果とやらか?」
「ヒヒヒッ、その通り。この4体の合成妖魔は我らの最高傑作じゃ。もう実戦に出せるレベルまで調教済みじゃ」
「こいつらを作るため、どれほどの人間を使った?」
「ヒヒッ、そんなもん覚えとらんわい。魔力の高い人間というだけでは適合は難しい。妖魔とその人間の魔素同調率が高くないと、拒絶反応が出てしまうでの。ヒヒヒッ、何十、何百と繰り返したわな。そんな話は後でしてやる。今は作業をさせろ」
「……その被験者たちの名簿はどこにある?」
「おい! いい加減にしろ! 作業がすす――」
苛立ち、抗議のため体ごと振り向いた笹岡。
その顔に、龍士の右手が覆いかぶさると、そのまま制御装置に叩きつけられた。
「ギィヤァアアア――⁈」
笹岡の悲鳴が、張り詰めた静寂を切り裂き、室内にけたたましく木霊した。
白髪の後頭部が、滲むように赤く染まっていく。
激痛に顔を歪ませる笹岡を、龍士は容赦なく床へと押し付けた。
「いいか? 二度と言わん。被験者の名簿はどこだ?」
「いっ、痛い――」
「早くしろ!」
「――そ、そ、その棚に……」
笹岡は、震える指で後方の書棚を指し示した。
龍士は鋭い眼光でその場所を確認すると、まるで用済みになったボロ切れのように笹岡を投げ捨て、大股で書棚へと近づいた。
厳重に鍵のかかった書棚を、龍士専用の魔道具である霜結棍で叩きつける。重厚な扉は、まるで紙細工のようにあっけなく破壊された。
ギッシリと並ぶ、分厚いファイル。その背表紙には、整然と番号と年号が記載されている。
龍士はその中の一冊を手に取ると、ページをパラパラと捲り始めた。
巻末まで丹念に確認し終えると、ファイルを無造作に床に投げ捨て、別のファイルを手に取る。そして同じようにページを捲っていく。
「チッ、多すぎるな……」
2目のファイルを投げ捨てた龍士の顔には、焦燥の色が滲み始めていた。
目の前に積み上げられたファイルの多さに、苛立ちを隠せない。
舌打ちをしながら次のファイルに手を伸ばした瞬間、轟音とともに大きな爆発が起こり、書棚からは大量の書物が床に散乱した。
「なっ――⁈」
龍士は咄嗟に後ろを振り返る。
そこにいたのは、頭から血を流し、白衣を深紅に染めた笹岡だった。狂気を宿した笑顔を浮かべ、まるで悪鬼のように笑っていた。
「笹岡――! 何をした⁈」
龍士は疾風のごとく笹岡に飛びかかり、一瞬にしてその襟首を締め上げた。
苦痛に顔を歪ませながらも、笹岡は腹の底から絞り出すような笑い声を響かせた。
「ヒッヒヒヒ〜〜。お前は協力者ではないな。ならば、ここはもう終わりだ」
「なんだと⁈」
「もう終わりと言ったんだ。そう、この研究所は無に返る。研究の事実も無くなる」
「――まさか⁈」
「そう。ヒヒヒッ、この研究所自体を吹き飛ばす。この地下に大量に貯めてある魔素を暴走させる。辺り一面は跡形も無くなるだろうな」
「テメェ!!」
爆発音が立て続けに鳴り響く。
悲鳴の様に軋む建屋。バラバラと天井から物が落ち、床を這うような振動が、笹岡の言葉が真実であることを雄弁に物語っていた。
「早く逃げないとお前も爆発に巻き込まれるか、良くて生き埋めだ。さあ早く手を離せ。私を殺せば、ここから逃げる道が分からなくなる」
「…………」
「ヒヒッ、早くしないとお前も死ぬぞ! 離せ!」
「……もとより、死など怖くない」
「なにっ⁈」
龍士の手に、より一層の力がこもる。笹岡の襟首が、ギシリと音を立てた。
「俺は真実を知るために此処へ来た。お前は蘭花…… いや、隅田葵を知っているな!」
龍士の口から飛び出した名前に、笹岡は目を見開いた。そしてすぐに、嫌らしい笑みを浮かべる。
喉の奥で声にならない笑いを発し、合点がいったという顔をする。
「そうか、お前……」
◇
倫道は荒い息をつきながら、暗く冷たい廊下を駆け抜けていた。
翡翠島の研究所の地下は、まるで迷宮のように複雑に入り組んでおり、無数の扉が彼の行く手を阻む。しかし、彼を導く不思議な感覚が、迷うことなく最奥の部屋へと誘った。
少しだけ開いている扉を勢いよく開け放つと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「貴様〜! 早く答えろ‼︎」
「ぐっ、あ゛ぁ…… な、なんの…… ことだ」
「惚けるな! このまま締め殺すぞ!」
「げっ、え゛え゛っ…… やって…… みろ…… 私が死ねば…… 全て…… 闇の…… 中だ」
「ふざけるな――!」
白衣を着た研究者の襟首を掴み上げ、怒りに顔を歪ませて怒鳴り散らす龍士。
研究者の白衣は血に染まり、顔は青ざめ、今にも息が絶えそうな状態だ。
倫道は直感した。
彼こそが龍士の探していた、この研究所の所長である笹岡という人物なのだと。
ギリリと音がするほど締め上げる龍士の形相に、倫道は息を呑んだ。しかし、笹岡の口から泡が吹き出すのを見た瞬間、彼の体は反射的に動いた。
「止めろ龍士! 一体どうしたんだ⁈」
先ほど清十郎にされたように、龍士の背後から抱きつき、羽交い締めにする。
「五月蝿い! 離せ!」
「落ち着け龍士!」
「お前には関係ない! いいから離せ!」
「だめだ! お前が離すんだ!」
獣の様に暴れる龍士を必死に止めようとする倫道。
全体重を乗せて倒そうとするが、龍士の力は想像を遥かに超えていた。びくともしないその力に、倫道は驚愕する。
「りゅう――」
制御盤に足をかけ、強引に笹岡から引き離そうとした瞬間、倫道の横っ面に凄まじい衝撃が走った。
「がっ――⁈」
龍士の肘鉄が炸裂したのだ。
その衝撃で倫道は、椅子を吹き飛ばし、床を転がる。
頭の中に火花が散り、意識が飛びかけるが、歯を食いしばり頭を振る。
ぼやけていた視界がクリアになると、龍士が息を切らし、興奮した様子で倫道を見下ろしている。
その横では、機器に背中を預け、首に手を当てた笹岡が苦しそうに咳き込んでいた。
「神室、お前は早く脱出しろ。こいつが自爆装置を起動した。まもなくこの建物は吹き飛ぶ」
「――じゃあ! 早く一緒に行こう」
「……一緒には行けない」
「どうしたんだ? 龍士!」
「…………」
一瞬の沈黙。龍士が視線を逸らすと、場に似つかわしくない乾いた笑い声が響く。
「ヒッ、ヒヒヒヒヒッ! こいつは一緒には行けんよ」
笹岡が顔を歪め、大声で叫んだ。
「こいつの正体は、華陽人民共和国のスパイだからな!」




