禁じられた旋律 4/憂慮
「倫道、用意はできたか?」
翡翠島防衛任務の命を受け、俺たちはその準備に勤しんでいた。
宿舎の部屋で堂上久重が装備を整え、手に持った背嚢を「よっこらしょ」なんて言いながらベッド前の床に下ろす。
「おっさん臭いぞ」
「うるせぇ」
顔を見上げて軽口を叩くと、笑いながら俺の座っているベッドへ久重も腰を下ろした。
不意に声をかけられ、準備をしていたはずの自分の手が止まっていた事に気がつく。
どうやら安倍清十郎と氷川龍士は準備を整えて、既にこの狭い4人部屋を出て行った後の様だ。
俺だけがモタモタとしているのを見兼ねて声をかけてくれたんだろう。
「早くしねぇと、また怒られるぜ」
「ああ、分かってる。先に行っててもいいぞ」
「んぁ? 待ってるよ」
「そうか? 悪いな」
「いいって」
止まっていた手を動かし、自分の背嚢にベッドの上に広げた着替えや装備を決まった場所へ押し込んでいく。
「なあ…… デルグレーネさんの様子はどうだ?」
「うん…… あの日からそう変わらないな…… どこかピリピリしてて……」
「やっぱりそうだよな」
「ああ」
俺は久重と視線を合わせると同意の頷きをして、それを思い出す。
◇
あの日―― 俺たちが特務魔道部隊に配属された日。
基地の一室にて研究所の沢渡さんから伝えられた思いも掛けない話を聞き、彼女の雰囲気が一変していた。
『彼、バーリ・グランフェルト中尉は、赴任直後の帰宅途中、事故に遭われて亡くなったわ』
耳を疑う内容に俺たちは絶句した。
何度も聞き返したが、沢渡さんも詳しい話は分からないと言う。
数日前まであんなに元気で優しい笑顔を振りまいていたバーリさんが死んだ⁈
頭の中が真っ白になり、雷に打たれた程の衝撃で呆然となる。
世界がグニャリと曲がり目の前がぼやけている中、ドサドサと物が落ちる音で俺の視界は戻った。手にしていた荷物を落としたデルグレーネさんに焦点はあった。
「はっ⁈……」
金色の瞳を目一杯に大きく見開き、唇は開いたまま硬直している。
明らかに彼女が凄まじくショックを受けていたのは明白だった。
しばらく固まっていた彼女は、やおら首を傾げると金髪を靡かせ大股で沢渡さんに近づく。
「もう一度言って……」
お互いの胸がぶつかるほどの近距離まで迫り、無表情のデルグレーネさんが震える声を絞り出す。
「もう一度言ってみて…… バーリ・グランフェルトがどうしたって?」
「えっと、先ほどから言った様に彼は事故で亡くなっ―― 痛っ⁈」
「はっ⁈ どういうこと?」
「ですから―― ちょっ、デルグレーネさん、落ち着いて!」
沢渡さんの両肩をがっしりと掴み顔を覗き込むレーネさん。
彼女の掛けている眼鏡にぶつかるほどの距離だ。
沢渡さんの華奢な両肩には指が食い込んでおり、その痛みに彼女は顔を歪める。
「レーネ! 落ち着きなさい!」
彼女たち2人の間にカタリーナさんが自分の体ごと割って入り、沢渡さんは解放された。
フルフルと震え、目尻に涙を溜め、恐怖で顔色は蒼白となっている。
そんな姿を見た為か、レーネさんの瞳は脳震盪から覚めた様に光を戻した。
「ごめん…… なさい……」
落ち着きなく小刻みに頭を揺らしながらレーネさんは頭を下げた。
装備を受け取る順番も俺たちが最後ということもあり、部屋には俺たちしかいない。それが幸いし、大きな騒ぎとはならなかった。
静まり返る空気の中、静寂を破ったのはカタリーナさんだった。
「涼子、怪我はない? 驚かせて悪かったわね」
「いえ、大丈夫です。こちらこそレーネさんの気持ちも考えずに軽はずみに伝えてしまいました…… 同国の方ですものね」
「そう、良かった」
「お知り合いの方でしたか」
「えっ⁈ うん、まあ、そうね。レーネがちょっとね」
「やはりそうでしたか。申し訳ありません」
「貴女は事実を伝えたまでよ。気にしないで」
大きく膨らむ胸に手を当て、軽く深呼吸をすると沢渡さんは謝罪をし頭を下げた。
それに対しカタリーナさんは、両手のひらを胸の前で2、3度軽く振ると透明な水色の瞳を弓形に曲げて少し悲しげに微笑む。
その後ろではデルグレーネさんが俯いたまま微動だにしていなかった。
「皆んな、驚かせてごめんなさいね。ちょっと席を外すから柳田の所へ先に行ってて」
カタリーナさんは、俺たちにそう告げると、床に落ちていた荷物を拾い上げる。
そして、未だ固まったままのデルグレーネさんの肩を抱くと抱える様にして部屋を後にした。
俺たちはただ黙ってその背中を眺めていた。
◇
「あの日から数週間は経ったっていうのにな」
「まあ、俺だって未だにショックが残ってるんだ。デルグレーネさんが塞ぎ込んでもしょうがないんじゃないか」
「俺だってそうだぜ」
「やっぱり…… 元恋人とか……」
俺がポツリと呟くと、久重が大袈裟に頭を振った。
「いや、リーナさんが言うには唯の同郷ってだけだと」
「うん、そうだよな」
なぜかホッとする俺に、久重がニヤリと笑う。
その生暖かい笑顔に抗議しようとした瞬間、彼は眉間に皺を寄せ呟いた。
「ただ…… 悲しんでいると言うより…… レーネさんの場合は、なんていうか、こう……」
久重が言葉に詰まる。
彼の言いたい事はなんとなく分かる。
あの日を境に、デルグレーネ・リーグさんはどこか変わった様に思う。
いや、変わったと言うより、よそよそしいというか、距離を置いているというか……。
元々、饒舌な彼女ではなかったが、より一層と話をする機会が少なくなった。
それ以上に――
彼女の纏う雰囲気が変わったのだ。
ピリピリとした緊張感、どことなく漂う冷たい空気。
そして時折顔を覗かせる刃の様な殺気。
合宿所でたまに見せていた輝く様な笑顔は鳴りを潜めてしまったのだ。
あの日以来、特務魔道部隊に配属され数週間の間に、俺たちは2つの作戦をこなしてきた。
詳細は知らされていないが、重要人物の護衛と、戦線の情報収集。
どちらもバックアップとしての立ち位置であり、特に俺たち第5分隊はさらにその補助としての役割だけだが。
そこでデルグレーネさんとは行動を共にする機会が多かったが、彼女は絶えず気を張り続けていた。
それは他人から見ても分かるほど緊張感を持っていたのだ。
「彼女たちの事だ。俺たちがいくら心配しても解決はできない」
俺は大きく開いた背嚢の荷室口をキツく縛り上げ閉じると、準備を完了する。
雨蓋の大きく垂れ下がった布をポンと叩くと、ベットから立ち上がり背中に背負い込んだ。
「待たせたな久重、さあ行こう」
「ああ、行きたくねぇけど行くか」
「そんな言葉、柳田副長に聞かれたらぶん殴られるぞ」
「ははは、違いねぇな! ふぁ〜あ、眠い……」
久重も重い背嚢を勢いをつけて背負うと、大きな欠伸をして首をコキコキと鳴らした。
眠いのはしょうがない。俺もそうだ。
今日はいつもより早朝に叩き起こされ、緊急のブリーフィングを行ったから。
「さあ、気持ちを切り替えていかないとな」
「そうだな。気合い入れて行かないと俺たちが死んじまうぜ」
そう、俺たちは他人の心配をしている場合じゃない。
先ほど告げられたのは戦線への特務魔道部隊の投入。
いよいよ俺たちは戦場の最前線へと赴くのだ。
俺たちは装備が当たらない様に狭い扉を1人ずつ潜り抜け、廊下に出た。
他の隊員も何人か同様にして自室から荷物を背負って出てきている。
「なあ、久重」
「んあ? なんだよ」
「帰ってきたらレーネさん連れて皆んなで美味いもの食べに行こう」
「全然切り替えられてねーじゃねえかよ」
「はは、そうだな」
「まあ良いけどよ。確かにレーネさんは美味い料理を食べたら機嫌も良くなるかもな」
「だろ?」
「だけどお前、俺たちを誘うより2人で行けよ」
「ん? いや…… そ…… 皆んなで行ったほうが楽しいだろ?」
「だから…… まあいっか」
なぜか久重の目が呆れたものを見る様に感じる。
彼の視線が痛く汗が込み上げてきた時、後方から声がかかった。
「おい! 神室! 堂上! 新人がチンタラ歩いてんじゃねぇ!」
「「はい!」」
先輩の声に俺たちは廊下を走り抜け、階段を飛び降りると駆け足で集合場所へ急いで走った。




