禁じられた旋律 1/禁忌(1)
天上の世界、アースガルズ。神々の住まう神聖な領域。
巨大な『世界樹』を中心に神の住居となる宮殿が並ぶ。
そのうちの1つ、女神フレイヤの宮殿『黄金宮グリトニル』は、厳粛ではあるが穏やかな空気が流れる場所である。
この宮殿は多くの管理者たちが集い、調和の守護者を使い、己が管理を任された世界の調和を保つための施策を講じる場所でもあるのだが……。
いつもは静謐な宮殿内が、1つの事件によって乱された。
「何をする! ええい! 離せ! 離せというのだ! 離せ――!」
大回廊からつながる一室、『豊穣の間』から男性の大声が響き、大理石の床と高い天井で反響を繰り返していく。
閑静な神殿内でも、多くの管理者たちが行き交う中央の大回廊は多少の喧騒がある。
しかし、今日はいつもとは質の違う騒がしさに、多くの管理者が足を止めてその原因に注視していた。
「この大騒ぎは、一体何事ですか?」
「い、いや、私も今来たばかりで……」
「ふむ……」
フォルセティは足を止めて見物している管理者に声をかけるも期待した答えは貰えなかった。
軽く首を傾げて、多くの管理者の後ろから声のする一室を覗き込む。
そこには部屋の前を封鎖する様に、銀色に輝く甲冑を身に纏った衛兵が5人ほどで扉の前を固めている。
部屋の中にもいるのだろう。声色の違う多くの声が聞こえていた。
「やあ、フォルセティ。何があったか聞きたいかい?」
「……エディット」
首を亀の如く長く伸ばして覗き込んでいたフォルセティに声をかけたのは管理者エディットである。
(相変わらず…… 人の噂や、この様な騒ぎには人一倍鼻が効きますね)
胸の内で軽いため息を吐くが顔には出さない。
わざわざフォルセティの真横に近寄り、話したくてウズウズしている同僚へ期待通りの言葉をかけた。
「一体、この騒ぎはなんですか? 何があったのです?」
フォルセティは抱えていた書物を小脇に抱え、同じ白色の修道服を着たエディットに尋ねた。
彼は、「やれやれ…… ここだけの話だぜ」と前置きをしつつ嬉々として話し出した。
「ほら、あの『豊穣の間』を使用している管理者の1人、メルキオールを知っているかい?」
「まあ…… 懇意にはしていませんが、挨拶くらいには」
「そうかい、まあいい。そのメルキオールが禁忌を犯した事が露見して衛兵が身柄を拘束に来たんだ」
「……禁忌を」
「そう。管理者としての大原則は、勿論知っているよな?」
「ええ。まあ、多くありますが、一番分かりやすいのは、管理する世界への過度な干渉を極力避けること…… でしょうか」
「うん、そうだな。では過度な干渉とは?」
「自然の流れを断ち切り、こちら側から意図を持った世界操作……」
「その通り。絶対の禁則事項だ」
「ではメルキオールは……」
「彼は受け持ちの世界に私欲を持って過度に世界へ介入していた。それが露見したってわけさ」
いつの間にかフォルセティとエディットの会話に他の管理者も聞き入っていた。
皆の注目に気分を良くしたエディットは、ことさら話し声を大きくしてメルキオールの人柄などを口にする。
皆の興味が彼へと集まり出した時、それを塗りつぶすほど大きな怒号が響き渡る。
「私に触るな! 君たちは大いに間違っている!」
「いえ、管理者メルキオール。間違いを犯したのは貴方です」
メルキオールが彼の部屋の中で、自分を捕えに来た衛兵と激しい口論を再開したのだ。
彼は自らの行動が正義であり、新しい世界の調和をもたらすための必要な介入だったと主張し、逮捕を頑なに拒否していた。
「私の研究は、私たちが永遠に追い求めてきた究極の調和への鍵だ。あなたたちはそれを理解していない!」と彼は力強く訴えた。
その様子を皮肉な笑みを浮かべ眺めているエディットは、フォルセティにやや茶化すような口調にて耳元で囁いた。
「メルキオール、彼は自分が正しいと信じて疑わないからね。衛兵たちに話す彼は、まるで哲学者が無知の群衆に説教している様だよ。『私は新しい世界を見た!』と叫びながらね」
エディットは、事態の深刻さを理解しつつも、メルキオールの独特な行動や表現について軽く笑いを交えて語った。
このエディットの話し方は、彼ら管理者間の緊張を和らげる一方で、メルキオールの孤独な立場と彼が追求したものの大きさを際立たせた。
フォルセティはエディットの話に眉をひそめつつ、心の中ではメルキオールが置かれた状況と彼の信念の深さについて深く考え込んでいた。
「フォルセティ……」
いつの間にかザイオンとアフロディアが彼の後ろで不機嫌そうに立っていた。
「ああ、ザイオン、アフロディア…… 居たのですか」
「まあね。これだけの騒ぎだもの」
「…………」
声をかけてきたアフロディアは、小首を傾げながら肩をすくめると苦々しく笑う。
フォルセティの横にいるエディットを一瞥した後、興味がなさそうに自分の指の爪を眺め出した。
ザイオンは終始無言を貫いている。
彼らに気がついたエディットは、そそくさとフォルセティの近くから離れ、部屋の中が一番見える最前列まで移動した。
「ふん! 奴は相変わらずだな」
ザイオンが吐き捨てる様に呟き、鋭い視線を遠ざかる同僚の後ろ姿に送る。
アフロディアは特に気にする様子は見せないが、一度だけ冷たい視線を投げかけた。
エディットは如何やらザイオンとアフロディアが苦手らしい。
そして、二人もまた彼を嫌っている様だ。
以前、ザイオンとアフロディアが揉めた際に、尾鰭をつけて面白おかしく話し回っていたのが原因だろう。
二人には大分お灸を据えられたらしく、それ以来、彼らには近付かないでいる。
そうこうしていると、『豊穣の間』から大荷物を抱えた数名の衛兵と、両脇を抱えられたメルキオールが姿を現した。
彼は依然として大声で喚き散らしながら、遠巻きに見ている他の管理者に言葉をぶつけた!
「私は間違っていない! そうだ、皆もそう思うだろ? 私たちの仕事は何だ? ただ観察し記録するだけか? 違う! 断じて違う! 神もそれを願っている! そもそも調和の取れた世界など――」
口の端から粟粒の様な唾を撒き散らし、熱に浮かされた子供の様に瞳を潤ませて喋り続ける。
そして最後には、高笑いを残し連行されていった。
眺めていた他の管理者たちも彼の背中が曲がり角で見えなくなると、この場から一人二人と消えていった。
「……私たちも戻りましょう」
フォルセティは二人に告げると首を振りながら小さくため息を吐いた。




