崩壊の序曲 2/沈む決意
――爆炎。砕ける外壁。響く警報。
研究所の南側が炎に包まれた頃、山崎剛は第三警戒区画をゆっくりと歩いていた。
足音を忍ばせるでもなく、あえて重さを感じさせない一定のリズムで。
その後方には、無言で従う十二名の兵士。
研究所防衛に配属され、山崎の指揮下に置かれた者たちだった。
「……外からの攻撃は陽動。本命は内部か」
誰に言うでもなく呟く声は、冷静そのものだった。怒りも焦りもなく、ただ“判断”だけ。
――感情というものが、最近の自分から離れていっている。
山崎はそれを、うすうす自覚していた。
爆発の音。建物の揺れ。警報の残響。部下の足音。
すべてが遠く感じられる。耳には届いているのに、心にはまるで響かない。
まるでガラス越しの世界に立っているかのような感覚だった。
今朝のことを思い出す。
御堂雄一郎――特務魔道部隊の創設者にして司令官。
自らの命を預け、従ってきたただ一人の主。
その男を、己の手で討った。
(……あれが背信というのなら、俺は卑劣な裏切り者か……)
そう思っても、不思議なほど胸は騒がない。
発表では、御堂は禁忌を犯し軍部に混乱を与えた罪で逮捕され、緋村中将の監督下で拘束中に自死を選んだとされた。
“全責任を負ったうえでの自害”。それが公式の処理。
もちろん、すべてでっちあげだった。
司令の命を絶った直後、緋村は待っていたかのように動き出した。
参謀本部を掌握し、御堂派の将校を排除。自らに従う将官を次々と要職に据えていった。
それは、ほとんどクーデターのように軍部上層部を侵食していった。
山崎は、それを止めなかった。
いや――止めようとすらしなかった。
精力的に動き出した緋村を横目にみて、山崎は、あらかたの報告を終えると魔道研究所に向かった。
そこで拘束された柳田たちに会い、そして……伝えたのは捻じ曲げられた事実だけ。
まるで、それが当然であるかのように。
柳田たちに御堂司令の死を伝えたときも、胸にこみ上げるものはなかった。
涙も流れなかった。
代わりにあったのは、ただひたすらに冷たく、粘りつくような沈黙だけだ。
(なぜ泣けない? 俺は、あの人を信じ、あの人に命を預けていたはずだ……)
思考をしていると頭の中に靄がかかる。
言葉の輪郭が曖昧になり、記憶が薄まり感情や感覚が鈍化していく感覚。
(……考えるな)
脳のどこかが囁いた気がした。
代わりに浮かぶのは、ただ一つの感情。
「……俺がやるべきことは決まっている」
ぼそりと呟いたその声には、自身に言い聞かせるような硬さがあった。
大日帝国のため。
この国の秩序と未来のため。
そして――部下たちの命を守るため。
その“使命”だけは、確かに胸に刻まれていた。
いや、そう思い込んでいた。
(……けれど、本当にこれは……)
微かな“違和感”が、心の奥で疼く。
だが、それもすぐに霧のように消えていった。
思考が鈍い。
感情が動かない。
一つのことしか、考えられない。
(……いや、それでいい。迷いがないというのは強さだ)
そう断じることで、山崎は再び心を固定する。
その瞳には、もはや光はなかった。ただ、曇りなく研ぎ澄まされた鋼のような無機質さだけがあった。
「地下だ。侵入者は最奥を目指している。先回りするぞ」
彼はそう言うと、部下たちに手振りで命じ、コートの裾を翻す。
歩くたびに、靴底が硬い床を叩く音が廊下に響いた。
その音だけが、奇妙に生々しい。
確信と疑念を携えながら――山崎剛は闇の底へゆっくりと進んでいく。
何かを、深く失いながら。
◇
研究所内は、まさに混乱の渦中にあった。
遠くで再び爆音が響き、封印区画の天井から砂埃が降る。赤い警報灯が明滅し、サイレンが反響する中、避難する職員や技術者が右往左往していた。
だが、その流れに逆らい、デルグレーネ、カタリーナ、そして沢渡の三人は封鎖区画の深部へと急いでいた。
「こちらで間違いないはず……出入記録にあった観察室はこの通路の先です」
沢渡が息を整えながら声を発したその時――
「止まれ! ここは立ち入り禁止区域だ!」
通路の曲がり角を曲がった瞬間、二人の衛兵が突如として前に立ちふさがった。
防弾マントを纏い、銃剣付きの長銃を構える。
「わ、私は主任の沢渡です! この二人は国外からの協力魔道士。緊急対応で封鎖区画に――」
沢渡がすぐさま声を張るが、衛兵たちは聞く耳を持たない。
「嘘をつけ! そんな連絡は来ていない。それに、 通行証も許可もない! 手を挙げろ、今すぐだ!」
銃口が沢渡に向けられ、引き金に指がかかる。
「ひっ……!」
沢渡の身体がこわばった。冷たい鉄の黒光が目の前に迫る。
「……仕方ない」
デルグレーネが小さく呟き、静かに一歩前に出る。
その気配が変わった。まるで魔力とは別種の、静かだが鋭い刃のような圧。
「動くな!」
近づく彼女へ衛兵が叫ぶが――銃を構えるより早く、デルグレーネの影が揺れた。
一瞬。
デルグレーネの体が一瞬にして消えた。
踏み込みと同時に懐へ滑り込み、脇腹へ掌底一閃。
そのまま背中を掴んで重心を崩し、音もなく地面へ倒す。呼吸を奪い、意識を飛ばすことなく動けなくする技だった。
「なっ……!?」
もう一人が銃を振り上げた瞬間、カタリーナが舞うように回り込む。
足首を払いつつ肩へ肘打ち。体勢を崩した相手を抱え込むようにして床へ倒す。――見事な制圧術だった。
「ふう……大丈夫。呼吸は正常、すぐ動けるようになるわ」
カタリーナは、慎重に相手の身体を横向きに寝かせ、呼吸を妨げない体勢に整える。
「ごめんね……」
デルグレーネは表情を変えず一瞥を送り、静かに呟いた。
殺気も、怒りもない。ただ、淡々と邪魔者を排除しただけだ。
「……すごい」
沢渡が息を呑む。
デルグレーネは淡く笑い、カタリーナは頷いて沢渡の背を押した。
「さあ時間がないわ。倫道たちを迎えに行くわよ」
カタリーナは落ち着いた声で言うと、転がっている衛兵のベルトから金属製のカードキーを数枚抜き取り、沢渡に渡す。
彼女はそのうちの一枚を二人の眼前にかざした。
「この部屋の番号で間違いありません。急ぎましょう!」
沢渡が再び走り出し、三人は奥の扉へ向かう。
通路の先、鉄製の重厚な扉には封印の魔導刻印が刻まれていた。
横のパネルには“第13観察室”の文字。ここが間違いない。
「ここね!」
沢渡がカードキーをスロットに差し込むと、わずかな魔力の波動とともに刻印が順に消えていく。
ゴォン――と、低く響く解錠音。
数秒後、錠が完全に外れた。
デルグレーネは真っ先に扉へ手をかける。
重い鉄扉を押し開くと――そこにいたのは、驚きで目を見開く倫道たちだった。
「倫道!」
その声に倫道は我に返り、彼女の姿を確かに見据える。
驚きと安堵が入り混じった表情が浮かんだ。
次の瞬間、再び爆発音が轟く。
研究所は、崩壊へと向けて確実に動き始めていた。




