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崩壊の序曲 1/影の矛先

 月は雲に覆われ、星すら光を失った夜。

 木々は風に揺れ、土の匂いが濃く沈む。森に抱かれた巨大な構造物――魔道研究所本局は、闇と一体化したように静まり返っていた。


 その静寂を乱すことなく、五つの影が柵を越え、警戒線をくぐり、外郭へと近づいていく。


 彼らはユナイタス合衆国が誇る魔法特殊部隊、ノヴス・オルド・セクロールム。その中でも屈指の精鋭――|アルカナ・シャドウズ《Arkana Shadows》。

 この夜、極秘任務として大日帝国の研究施設への潜入を敢行していたのは、わずか五名だった。


 先頭を行くのは作戦指揮官ジェイコブ・ストーム。

 短い金髪に黒革の戦闘外套を纏い、腰には魔力装填式の拳銃を下げている。

 深い湖のような蒼い瞳に映るのは、前方十メートルほどを哨戒する敵警備兵二名。

 右掌を後方に掲げて停止の合図を送ると、兵が通路の奥に消えるのを待ち、音もなく闇へと進み出た。


 その背に従うのは副官エヴリン・スカーレット、通称タイムウィスパー。

 時間干渉魔術を得意とし、冷静な思考で作戦立案も担う。

 胸元の砂時計型ペンダントを握りしめ、敬愛する隊長の後を追った。


 さらに、近接戦の達人デビッド、火力支援のアンソニー、そして緊張に顔をこわばらせた新兵ダスト。

 五名は厳重なセキュリティを突破しながら、一歩ずつ目的へと近づいていく。


 残る部隊員たちは後方の森に待機し、状況に応じて重火器で外部支援を行う構えだ。


 彼らの任務は、“合成妖魔キメラ”の存在を突き止めること。

 証拠を確保し、可能なら捕獲――困難なら施設破壊も辞さない。


「搬入口、視認」


 エヴリンが呟き、懐から真鍮の盤面を取り出す。

 魔力結界を読み取る特製魔道器――水晶の針が淡く震え、扉に刻まれた封印の波形を示した。


「三重構造ね。外殻は旧型……でも内層に仕掛けがある。迂回より解除のほうが早いわ」


「任せる。アンソニー」


 ジェイコブの指示に、アンソニーは肩越しに小型の擲弾発射器(てきだんはっしゃき)を下ろし、無音結界【サイレンス】を展開。

 薄青の光が扉を包むと、世界は完全な静寂に沈んだ。

 その中で、エヴリンの指が素早く魔法文字をなぞる。


 カチ、カチリ――と、機械と魔術が組み合わされた複合錠のロックが順に外れていく。


「……開いた。今よ」


 金属扉が、ほとんど音を立てずに開いた。

 ジェイコブを先頭に、五人は滑り込むように中へ入る。


 中の空気は冷たく、まるで何かが潜んでいると告げるように周囲を警戒する各々の肌を粟立たせた。


「入る。注意を――ここからが本番だ」


 ジェイコブの声に続き、他の四人も警戒を強める。


 通路はコンクリートと鋼で組まれた無機質な構造。

 天井や壁には魔力流路が無数に走り、壁際のランタン型照明がぼうっと黄白色の光を灯していた。


「……陰気な場所だな。情報どおり狂った実験があってもおかしくねぇ」


 デビッドが吐き捨て、アンソニーが低く制した。


「声を落とせ。共鳴結界があるかもしれん」


 その間、二人に挟まれたダストは必死に動きに合わせる。

 足取りはぎこちなく、呼吸は浅く、額には汗がにじんでいた。


「ダスト、落ち着け。訓練と変わらん。平常心だ」


 ジェイコブが肩越しに声をかけるとダストは唾を飲み込みながら頷いた。


「大丈夫。あなたが冷静でいてくれれば、私たちは必ず守れるから」


 エヴリンが柔らかく囁き、ジェイコブの言葉を補う。


「……Yes Sir(はい)!」


 まだ緊張の色は残るが、その瞳には安堵が宿っていた。

 五人はゆっくりと、慎重に通路を進む。


「セキュリティが過剰すぎる……これは“何か”を守っている証拠ね」


 エヴリンが周囲の魔力を探り、ジェイコブは彼女の広げた研究所の地図を覗き込む。


 「最奥が今回の目的地だ。地下フロアG、封鎖領域に向かう。……行くぞ」


 ジェイコブの命令とともに、一行は再び沈黙の廊下を滑るように進んでいった。


    ◇


 ジェイコブを先頭に、五名の影は研究所の最奥――地下フロアGを目指し、静かに階を降りていく。

 物音を立てず、風のように薄暗い廊下へと溶け込む。


 しかし、不自然な静けさが破られるのは数分後だった。


 角を曲がった先――巡回する警備兵の足音に全員が停止する。

 その瞬間、後方にいたダストがよろめき、壁に肩をぶつけてしまった。


 幸い音は極小さく、警備兵は気づかない。

 だが次の瞬間、目の前の扉から赤い光がにじみ出した。


 結界が反応している。


「っ……バレたか!」


 ジェイコブが即座に判断し、身を低くして警備兵へ疾走。

 刹那、施設全体に警報が鳴り響いた。


 ――《侵入者発見。コードC2、全警備兵は迎撃に備えよ》


 赤色灯が通路を塗り替え、低くうねる魔力サイレンが響く。

 サイレンと同時に、ジェイコブの刃が閃き、二人の警備兵は無力化されていた。


「ッち……! なんでこんな早えんだ!」


 デビッドが舌打ちし、壁際に飛び込みながら機関銃の安全装置を外す。


「非常事態宣言が出てるな。昼間に何かあった」


 アンソニーが冷静に応じる。


「外部支援に陽動命令。南壁を狙わせろ」


 ジェイコブの命令に、エヴリンが頷き通信器を展開する。

 懐から取り出した半球状の金属装置。その水晶に魔力を注ぎ込む。


「《ライトブレイカー》、こちら《シャドウワン》。状況変更。南側防壁を攻撃開始せよ」


 通信の数秒後――


 ――ゴゴゴゴンッ!


 地響きが遠方から伝わり、天井の砂塵が舞った。

 壁の照明が揺れ、研究所全体が低く唸る。


 「よし……今のうちに突き進むぞ! ここから先は敵兵を見つけ次第に排除する」


「了解ッ!」


 ジェイコブの号令とともに、隊員たちは即座に隊列を整え、閉まっていく扉へ駆け出す。

 デビッドが先頭で火線を引き、アンソニーが炸裂弾を構える。ダストが後衛を固め、エヴリンが遮蔽結界を一時的に強めた。


「最奥へ! 地下フロアGを押さえる!」


 “合成妖魔”はまだ確認されていない。

 証拠もまだ掴んでいない。


 だが、この先に“何か”がある――その確信だけは揺るがなかった。


 彼らは今、“真実”の闇に、足を踏み入れたのだった。


    ◇


 ――炸裂音。


 重く鈍い衝撃が空気を震わせ、鉄とコンクリートで造られた研究所の外壁が揺れる。

 天井の蛍光灯が一瞬だけ明滅し、埃がパラパラと舞い落ちた。


「いまのは……っ!」


 デルグレーネが振り返り、カタリーナもすぐに建物の外を確認するため、エントランスへ駆け出した。


 真夜中の空に、赤い光が揺れている。

 研究所の南端――高くそびえる外壁の一角が炎に包まれていた。

 続けて耳をつんざくような警報が鳴り響く。


「まさか……私たち以外にも侵入者が?」


 カタリーナの瞳に警戒の色が浮かぶ。


「……でも、チャンスかもしれない」


 デルグレーネは静かに呟き、すぐに職員用入口へ戻った。


 そこでは、まだ入場の許可を得られずに沢渡が所在なげに立ち尽くしていた。

 警備兵たちは爆発に驚きながらも、非常事態対応として入口から連なる防壁を降ろそうと大声で指示を飛ばしている。


「カタリーナ、彼らを――!」


「ええ――了解」


 カタリーナは走りながら、小さく詠唱を囁く。


「彼の者たちを拘束せよ【アース・バインド】!」


 詠唱が空気に溶け、次の瞬間、五名の守衛が地面から隆起した土とコンクリートに絡め取られた。

 シャッターを下ろそうとしていた兵士は全身を固められ、驚きと恐怖の声をあげる。


「ごめんなさい! 一時的に拘束するだけよ。すぐに術は解けるから、その時は皆で避難して!」


 通り抜けざま、カタリーナは大声で言い残した。

 眠らせたり気絶させなかったのは、調律者(ハーモナイザー)としての矜持――彼女なりの責任だった。

 意識を残せば、後の混乱に彼ら自身が対応できると信じて。


「急いで。時間がないわ」


 デルグレーネとカタリーナは受付カウンターを越え、警備室の内部へ滑り込む。。


「ねえ、涼子。倫道たちがどこにいるか、わかる?」


 デルグレーネが壁のフロア地図を見ながら問うと、沢渡は一瞬驚いた表情を浮かべたが、周囲を見渡してからすぐに足元を見てしゃがみこんだ。


「……あった、出入記録帳」


 床に落ちていた厚手の帳面を拾い上げる。中には各時間帯の出入りが手書きで記されていた。


「ここ……朝方に五名の魔道兵が入局。連れて行かれたのは――地下第六封鎖区画、第13観察室」


 沢渡は指でページをなぞりながら読み上げる。


 デルグレーネとカタリーナは視線を交わし、頷き合った。


「そこに……倫道たちがいる」


「よし、行きましょう」


 デルグレーネは踵を返し、カタリーナと共に廊下を駆け出す。

 沢渡もわずかに逡巡したのち、意を決したようにその背を追った。


 警報はなお鳴り響いていた。

 だが、それをかき消すように、三人の足音が施設の奥へと伸びていく。


 ――侵入者、囚われた者たち、そして明かされぬ闇の真相。


 すべてが、いま交錯しようとしていた。

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