鼓動する陰謀 14/揺らぐ忠誠
真っ白な壁と天井に、幾重にも刻まれた魔力吸収の紋様。
天井高く広がるがらんどうの部屋に、ひとつの言葉が落とされた瞬間、空気は凍りついた。
「……司令は、自決なされた。今朝、正式に発表された」
高所から突き出た観察窓の奥――
ガラス越しに立つ特務魔道部隊の山崎隊長。
その冷静すぎる声が、倫道たちのいる部屋を無慈悲に突き刺す。
「はあ? 御堂司令が……自決……?」
柳田の顔から、みるみる血の気が引いていく。
青白くなった唇がわななき、しがみつくように声を絞り出した。
「山崎さん…… あんた、何を言って……」
だが山崎は黙して語らず、ただ無表情のまま彼らを見下ろしていた。
「なあ! 黙ってないで、何か言ってくださいよ!」
柳田の叫びは怒号のように部屋を震わせる。
張り詰めた空気に、誰も動けなかった。
やがて、スピーカーが不穏なノイズを立てる。
山崎の感情を欠いた機械のような声が、再び響いた。
「御堂司令は、軍に対し明確な背任行為があると見なされ、身柄の拘束を命じられた。それを拒絶し、自ら命を絶った」
「はぁー⁉︎」
柳田の怒声が炸裂する。
「背任行為だって⁉︎ 御堂司令が!? そんな馬鹿なことあるかよッ!」
拳を握りしめ、柳田は怒りを堪えきれずガラス越しの山崎を睨みつける。
「山崎さん、あんたも分かってるはずだろッ!? 司令がそんな人じゃないって! なんでそんな涼しい顔してんだよ!? それに“背任”って……司令が何をしたっていうんだ!」
その問いに、山崎はわずかに間を置き、またも無感情な声で答えた。
「参謀本部の上層部に対し、虚偽の情報を用いた煽動を行い、組織転覆を図るクーデター計画に関与していた。軍規を脅かす、明確な反逆行為と判断された」
静かに語る言葉が、冷気を伴い不気味な残響をもたらした。
倫道たちは言葉を奪われ、ただ茫然と山崎を見上げる。
沈黙を破ったのは柳田だった。
息を震わせながら、窓へ一歩、また一歩と近づいていく。
「……あんた……何言ってやがる……それは俺たちが……司令と一緒に追ってた案件だぞ……!」
柳田の目が、ある“気づき”に静かに見開かれる。
「緋村中将……俺たちは奴の背後にある疑惑を追ってた。翡翠島での醜悪な実験、その証拠を掴んで帰ってきたんだ。あの非道を暴こうとしてた……! それなのにこのタイミングで……おかしいじゃねぇか! 御堂司令は俺たちの先頭に立ち、正義を貫こうとしてた……それを!」
怒りに任せて叫ぶ柳田の拳は、今にも血が出そうなほど強く握りしめられていた。
「――なんで、司令が捕まって……あんたがこうして外に立ってるんだよ。おかしいだろッ……!」
鋭く突き刺すような視線が山崎を射抜く。
そしてついに――
「……山崎さん…… あんた……司令を……俺たちを裏切ったのか!!」
柳田の絶叫が、部屋の空気を震わせた。
「「「「⁉︎」」」」
倫道、久重、五十鈴、清十郎――
四人は心の奥を切り裂かれたかのように、悲鳴に似た声を漏らしながら山崎を見上げる。
その視線の先。
山崎剛は、やはり一切の感情を見せず、ただ沈黙の中で彼らを見下ろしていた。
◇
とっぷりと日が沈み、辺りは濃い闇に包まれていた。
その闇を裂くように、一台の車が砂埃を巻き上げて疾走する。
ヘッドライトの白い光が、立ち並ぶ木々とその周囲の影を鋭く照らし出した。
運転席にいる沢渡は、ハンドルを握る手にじんわりと汗を感じ、何度もスカートでそれを拭う。
助手席にはカタリーナ、後部座席にはデルグレーネを乗せて――彼女は今、この大日帝国の“闇”へと踏み込もうとしていた。
沢渡の緊張は隠しきれず、二人にも伝わっていた。
やがて暗闇の中から鉄製の柵がぼんやりと浮かび上がる。
車が門の前で静かに止まると、詰所から警備兵が現れ、ヘッドライトに目を細めながら近づいてきた。
「身分証をお願いします」
運転席側の窓越しに、事務的な声が投げかけられる。
「はい、こちらです」
沢渡は慌てて窓を下げ、胸元から身分証を取り出して差し出した。
警備兵は懐中電灯で身分証を照らしながら目を走らせ、その後ちらりと車内に視線を移す。
「……同乗者の方々は?」
「ゲルヴァニア国より派遣された魔道兵です。今回の研究に協力するよう要請を受けています」
「こんな時間に?」
「ええ、まったく……研究者ってのは、昼夜関係ないんですよ」
肩をすくめて困ったように笑う沢渡。
その表情は自然に見えたが、隣のカタリーナには、どこか作られた印象がわずかに残った。
警備兵はやれやれといった表情で身分証を返す。
「それはご苦労なことです。……どうぞ、お通りください」
「ありがとうございます。お疲れ様です」
重厚な鉄パイプ製の門が、ぎい、と不気味な音を立てて開かれる。
沢渡は小さくお辞儀をしてからアクセルを踏み、舗装のされていない砂利道を静かに進んでいった。
この外門から研究施設本局までは、約一キロの距離がある。
車は闇に沈む森のような小道を抜けていく。周囲には電灯もなく、ヘッドライトが照らす道以外は、まるで闇の海を進むかのようだった。
やがて、森がぱっと開ける。
前方に、いくつもの無機質な建物が並ぶ光景が現れた。
その一角にある広場のような駐車スペースに車を停めると、三人はゆっくりと車を降りた。
未舗装の駐車場から研究所の近くへ向かうと、足元は綺麗に舗装されたアスファルトへと変わる。靴音が乾いた反響を残し、それは闇に吸い込まれていった。
辺りは静まり返っていたが――デルグレーネは微かな違和感を覚える。
皮膚を刺すような、重く張り詰めた“空気”。
それは単なる夜の冷気ではない。まるで何者かに見据えられているかのような、得体の知れない胸騒ぎだった。
「……何だか、嫌な感じがする」
デルグレーネがぽつりと呟く。
その言葉に、隣のカタリーナも周囲を見回しながら頷いた。
「今朝の参謀本部の件の影響が、こちらにも及んでいるのかもしれませんね」
沢渡は、不安げに周囲を見渡しながら、二人の前に立つ。
「こちらが本局です。関係者が使う裏口ですが、ご案内します」
見上げた建物は十階以上はあるだろう。
無機質なコンクリートに覆われ、横幅は闇に溶けるほど広い。まるで巨大な要塞――それも、翡翠島の研究所とは比べものにならないほど禍々しい気配を纏っていた。
「こちらです」
沢渡が壁際を進みながら誘導する先には、搬入用の大きな両開きの鉄扉。その横に、関係者用の小さなドアが設けられていた。
沢渡がそのドアを開け、三人は中へと入る。
室内に足を踏み入れると、すぐ目の前に受付カウンターがあり、その奥のガラス窓の向こうに二人の警備兵の姿があった。
「身分証をお願いします」
一人の警備兵がすぐに出てきて声をかける。
「はい。こちらです」
沢渡はすぐに身分証を提示しながら、後ろの二人を指し示した。
「後ろの二人はゲルヴァニア国から派遣された魔道兵です。本日の実験に立ち会ってもらいます」
その言葉に反応して、もう一人の小太りな警備兵が台帳を手に、首を傾げながらこちらへやってくる。
「……そのような申請は出ていないようですが……?」
沢渡は微笑を絶やさず、肩をすくめる。
「あら? おかしいですね。急な要請でしたから、手配が間に合わなかったのかもしれません。ですが、私は主任ですから、私の同行者として入場の権限があるはずですが?」
だが小太りの警備兵は、困ったようにこめかみを掻き、渋い顔をする。
「本日の昼前から、警備体制の強化が通達されておりまして……。現在は、ほぼ非常事態に近い状況です。そのため、正式な入場許可証のない方は、中にお通しすることができません」
「ええっ⁉︎ そんな馬鹿な……!」
沢渡の抗議にも、警備兵は頭を下げるしかなかった。
「申し訳ありません。……帝都の参謀本部で何やら事件が起きたとかで……」
――その時だった。
ドォン。
遠くから、地響きを伴う爆発音が鳴り響いた。
直後、床がビリビリと震え、天井から細かな埃がパラパラと舞い落ちる。
「っ⁉︎」
全員が反射的に顔を上げた、その瞬間――
――ドォォンッ!
先ほどよりも大きな爆発が轟いた。
「何ごと……⁉︎」
デルグレーネとカタリーナは即座に身を翻し、来た道を戻って外へと駆け出す。
緊迫した空気の中、建物の外に出て辺りを見渡した二人の目に映ったのは――
夜闇を赤々と焦がす炎だった。
それは、今まさに彼女たちが訪れた研究所の一角。
巨大な建物の端が、炎と煙に包まれていた。
◇
「……山崎さん…… あんた…… 司令を…… 俺たちを裏切ったのか!!」
柳田の叫びが、部屋に鋭く響く。
それは怒りに満ちた叫びであると同時に、信じていた者に裏切られた男の――哀しみの声だった。
倫道も、久重も、五十鈴も、清十郎も……誰一人として言葉を返せない。
ただ、あまりに変わり果てた尊敬する特務魔道部隊の隊長――“山崎剛”の姿を、目を見開いたまま見つめていた。
その視線を、山崎は真っ直ぐに受け止めた。
わずかに目を伏せ、そして冷ややかに言い放つ。
「……司令は、約束を守れなかった。だから私が、その責務を果たす」
「約束って……? 責務って何なんだよ、山崎さん!」
柳田の声には、怒りと焦り、そして“まだ信じていたい”という想いが滲んでいた。
しかしその時――
――ドンッ!
突如として研究所全体が激しく揺れた。
低く重い爆発音が空気を震わせ、床の下から突き上げるような振動が走る。
「なっ……何だっ⁉︎」
「きゃあっ!」
五十鈴が悲鳴を上げ、倫道が咄嗟に身体を支える。
直後に、再び――
――ドォンッ!!
二度目の爆発。壁が軋み、照明が一瞬だけ明滅した。
山崎はガラス越しに見下ろしたまま、静かに口を開く。
「……お前たちは、ここで大人しくしていてくれ。すべてが終わったら、出してやる」
その言葉には、不思議なほど優しい響きがあった。
まるで、かつての“山崎隊長”が一瞬だけ顔を覗かせたかのように――。
だが次の瞬間、その瞳の奥から光がすっと消えた。
残ったのは、冷酷な決意と、何かを覚悟した男の眼差し。
「ちょっと待てよ! 山崎さん! 山崎ッ‼︎」
柳田が、引き止めるように叫ぶ。
その声には、怒りよりも悲しみの色が濃かった。
だが山崎は応えることなく、静かに背を向けた。
ガラス窓の向こう、その足取りは迷いもなく――
やがて数歩で、彼の姿は見えなくなった。
「山崎さぁああああんッ!!」
最後の叫びが、虚しく部屋にこだまする。
しかし、その背中にはもう――何も届いていなかった。




