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鼓動する陰謀 12/真実の共有

 白く、無機質な空間だった。

 だが「牢獄」と呼ぶには、あまりにも明るすぎる。天井から壁、床板に至るまで、日常ではまず目にすることのない不思議な素材で造られている部屋。

 よく目を凝らせば、そこかしこに文字のような紋様が細かく刻まれていた。


 部屋の広さは一辺がおよそ十メートル、天井の高さも同じほど。

 正面の壁には、5メートルほどの高さにガラス張りの窓が突き出し、まるで彼らを監視するために設けられているかのようだった。

 ――それ以外には、何ひとつない。


「ここは、魔道研究所の本局だ。俺たちみたいな魔法士を拘束するには、うってつけの施設だな!」


 柳田の周りで車座になっていた神室倫道、十条五十鈴、堂上久重、安倍清十郎も、改めて辺りを見回し、自分たちの置かれた状況を認識した。

 

「……ここが、わかるんですか?」


「ああ。昔、山崎(ヤマ)さんたちと視察に来たことがある。ここは本局の観察室――いや、『実験室』って言った方が分かりやすいか」


 『実験室』という言葉に、倫道はふいに翡翠島の地下室を思い出した。

 胸の奥に重苦しいものがこみ上げかけたその時、隣の久重が無言で彼の背を軽く叩いた。

 その様子を横目に見て、清十郎が疑問を口にする。


「魔法士を拘束するのにうってつけ……って、どういう意味ですか?」


「ああ? 理由は簡単だ。試しに魔法を使ってみろ」


 柳田の挑発めいた言葉に、四人はそれぞれ魔力を巡らせ、発動を試みる。

 だが――


「――⁉︎ 魔法が……発動しない⁉︎」


 黒姫を呼び出そうとした倫道が、驚愕の表情で自らの右手を見つめた。

 同じように五十鈴も、久重も、清十郎も、次々と目を見開く。


「そういうこった。この部屋は、たとえ魔法が暴走しても制御できるよう設計されてる。つまり、魔法封じの結界で覆われた“特注品”ってわけだ」


 柳田は天井を指差しながら、無造作に続ける。


「見ろ。壁や床、天井にうっすら浮かんでるだろ? あの紋様全体が封印の陣を形成してる。で、今は絶賛稼働中ってわけだ」


 五十鈴がふと、昨日の悪夢を思い出したのか、顔を青ざめさせる。


「それって……昨日、妖魔が使ってた……」


「まあな。あいつらの仕組みまでは分からねぇが、魔法を封じるって点じゃ同じだ」


 柳田の言葉に、誰もが無意識に息を呑んだ。


「なるほど……連動しているのか……」


 清十郎がぽつりとつぶやき、興味深そうに膝をついて床に手を当てた。

 浮かび上がる紋様を、伝統ある安倍家の魔法士らしい鋭い眼差しでじっと観察する。

 魔法を家業としてきた者にとって、この結界の仕組みは好奇心を強烈に刺激するのだ。


「本来、魔法封じってのはな、こういう専用の施設や周到な準備があって初めて成り立つ。なのに昨日の合成妖魔(ヴァリゲーター)は……」


 柳田は拳を握りしめ、忌々しげに床を叩きつけた。

 昨日の戦いで命を落とした仲間たちの姿が脳裏をよぎり、感情をあらわにしたのだ。

 数秒ののち、無理やり明るい声を作る。


「壁も床も堅牢で、魔法も封じられる。言った通りだろ、魔法士を閉じ込めるには最高の牢獄ってわけだ。――まいったな、わはははは!」


 声は陽気に響くが、柳田の顔には笑みなど一片もない。

 憤怒に歪んだ表情が、その怒りの深さを雄弁に物語っていた。

 久重と清十郎は思わず背筋に冷たい汗を滲ませる。

 

 だが――


 倫道だけは、そんな空気をものともせず、何かを考え込むように、先ほどから小さく呟き続けていた。


「倫道、どうかした?」


 隣にいた五十鈴が心配そうに声をかける。

 倫道は、はっと我に返ったように目を見開き、慌てた様子で狼狽した。


「んあ⁉︎ い、いや。なにもないぞ!」


 挙動不審な態度に、柳田がじろりと鋭い視線を送る。


「……おい、なに隠してんだ?」


 言うが早いか、柳田はあぐらをかいた倫道の頭に拳をぐりぐり押しつけた。

 

「いだ―― いだだだだっ!」


 悲鳴を上げる倫道。だが、柳田は容赦しない。


 ――倫道の脳裏には、託された約束がよみがえっていた。


 龍士が「蘭花を探してほしい」と託した願い。

 翡翠島に配属され消息を絶った、墨田葵――蘭花(ランファ)

 その行方が、この魔道研究所本局に繋がっている可能性があることを。


 ここが、手がかりにたどり着ける場所かもしれない――。


 思わず胸が高鳴った。だが、現状を見ればどうすることもできない。

 自分たちもまた捕らえられた身。焦燥だけが募り、身動きが取れない。


 そんな倫道の変化を見逃さなかった柳田が、真面目な顔で低く命じる。


「いいから話せ。今すぐだ」


 厳しい声音に、倫道は観念した。逡巡の末、龍士のことを打ち明け始める。


 ――龍士が軍に入った目的は、行方不明になった幼なじみ、墨田葵を探すためだったこと。

 そして彼女は翡翠島で消息を絶ち、その後、研究所所長の笹岡によって魔道研究所本局へ移送されたという情報を掴んでいたこと。

 それを、龍士が倫道に託したこと。


 倫道はそこまでを話した。

 しかし――最後まで、龍士がスパイだった事実だけは口にできなかった。


 沈黙のなか、仲間たちは倫道の言葉を静かに噛み締めた。

 五十鈴も、久重も、清十郎も、それぞれ無言で拳を握る。

 胸に去来したのは怒りや戸惑いではなく、家族と仲間のために必死だった龍士の思いを受け止める、静かな共感だった。


 だが――柳田だけは違う。

 

「ふん……お前、まだ何か隠してやがるな?」


 低く鋭い声。柳田は倫道を見据え、口元だけでにやりと笑う。


「そうだな……氷川の正体は――さしずめ華陽人民共和国のスパイってとこか?」


 ――ッ!


 あまりにも鋭い指摘に、倫道は目に見えて動揺した。


「な、なっ……何を……い、いったい何を仰っているのでしょうか、自分には――!」


 しどろもどろに否定する倫道を、柳田は鼻で笑い、一蹴する。


「バーカ。カマかけただけで、簡単にボロ出しやがって」


 ぱしん、と軽く平手で頭を叩く。

 倫道はガクリと肩を落とし、あぐらを正座に改め、深々と頭を下げた。


 ――すぐに、横から仲間たちの責める声が飛ぶ。


「倫道、俺たちにも黙ってたのかよ!」

 

「そんな大事なこと、一人で抱え込んで……」

 

「倫道……あなたって人は……!」


 次々と投げかけられる驚きと困惑の声に、倫道はうつむき、肩を震わせる。

 だが、その空気は長く続かなかった。


「……水くさいぜ、倫道! 俺たちが龍士を誤解するとでも思ったか?」


 久重が、明るく笑いながら拳で倫道の肩を小突いた。


「まったくだ。確かに氷川には問題はあるが……俺たちは同じ教練を受けた仲間だろ」


 清十郎も、軽くため息をつきながら続ける。


「そうよ。龍士くんにはちゃんと謝ってもらわなきゃね。……黙ってたあなたも一緒にね、倫道」


 五十鈴が微笑みながら言った。


 ――倫道が恐れていた、仲間たちの龍士への誤解。

 けれど、それは杞憂にすぎなかった。


 久重たちの温かい言葉に、倫道は堪えきれず、ぽろぽろと涙をこぼす。


「龍士は……スパイだったかもしれないけど……!」


 震える声で、必死に言葉をつむぐ。


「でも……決して、俺たちの敵じゃなかったんだ」


 その訴えに、誰もがそっと目を閉じた。

 ――仲間を信じる想いが、確かにそこにあった。

 

 ほのかな温もりに包まれるなか、ふと五十鈴が声を上げた。


「でも、柳田副長はいつ気がついていたのですか?」


 素朴な疑問に、柳田は深くため息を吐き、髪をくしゃくしゃと掻いた。


「なに、俺も神室の話を聞いたから気が付いただけさ。あいつの経歴は完璧だった。少なくとも表向きはな。じゃなきゃ軍になんて入れねぇし、まして特務魔道部隊なんざ選ばれっこない」


 そこまで言うと、柳田は遠くを見るような目をした。


「――ただ、訓練や実戦の時、あいつが時折見せる体術が気になってた。大陸の流派だって聞かされちゃいたがな…… 俺も、山崎(ヤマ)さんも覚えがあったのよ」


 声を低め、さらに続ける。


「華陽の特殊部隊と戦ったとき……やつらが使ってた技とよく似てたんだ」


 皆が思わず息を呑み、互いに顔を見合わせる。


「……なるほど」


 誰かの小さなつぶやきが、沈黙に響いた。


「それにな――その幼馴染の墨田葵だっけか? そいつが行方不明になったって話、どこで仕入れた?」


 柳田の声には、鋭い刃のようなものが混じる。


「魔道研究所は、部外者なんざ絶対に入れねぇ。そんな情報を知ってるのは、軍の限られた人間か、内通者ぐらいのもんだ。……まあ、俺も確信があったわけじゃねぇがな」


 肩をすくめる柳田に、自然と「ほぉ〜っ」と感心の吐息が漏れた。


「いやぁ……副長がそこまで頭を使ってたなんて、驚きです!」


 久重が調子よく誉めた、その瞬間だった。


 にこやかな笑顔を浮かべた柳田が、座ったままの体勢から、見事な勢いで久重を蹴り上げた。


「ぐぼぁっ!」


 悲鳴を上げて転がる久重。


 それを見て倫道は戦慄する。――満面の笑顔なのに、薄く開いた瞳の奥で怒りを滲ませた光が怪しく揺れていた。


「面白れぇこと言うな、堂上……ちょこっと、可愛がってやろうか?」


「すっ、すみませんでしたぁああッ!」


 久重は勢いよく土下座し、額を床に擦り付ける勢いで謝り倒す。

 五十鈴と清十郎は顔を引きつらせながら、苦笑いを浮かべた。


 柳田は大きく、重たいため息をつく。

 そして、再び真剣な眼差しで倫道を見据えた。


「――まだあるよな。隠してることが」


 低く、確実に逃さぬ声。

 その一言に、倫道の心臓が一際大きく跳ねた。


 ――わかっている。すぐに思い当たった。


 ラウラ(デルグレーネ)のことだ。


 翡翠島の闇に閉ざされた地下空間。そこで倫道は、彼女と再会した。

 すべては、彼女と視線を交わしたその刹那――

 閉ざされていた記憶が奔流のように溢れ出し、眠り続けた想いが烈火のごとく甦ったことを。


 倫道は柳田と視線を数秒交わし、ゆっくりと瞼を閉じる。

 ――そして、心の中で覚悟を決めた。

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