鼓動する陰謀 10/再会と疑惑の狭間
デルグレーネとカタリーナは、郊外にあった調和の守護者の拠点を後にし、御堂を頼って帝都東光の中心にそびえる陸軍参謀本部まで辿り着いていた。
元々はゲルヴァニア国から派遣された魔道兵として、特務魔道部隊に配属されていた二人である。ゆえに、関係者としてならば敷地内に入ることもできただろう。
だが、彼女たちは翡翠島で部隊を無許可で離脱した、いわば脱走兵である。そんな身で、この軍中枢に正面から入れるはずがない。
しかも白金色とオレンジ色の髪をなびかせる異邦人――その容姿は隠そうとしても目立ってしまう。
結果、彼女たちは参謀本部を遠巻きに眺められるビルの陰に身を潜めていた。
頭にはスカーフ、軍服の上からは薄手のコートを羽織り、さらに大きめのサングラスで顔を覆う。
しかし、どこか「目立たぬための格好が逆に目立ってしまっている」二人は、路地裏に繋がる小道へと身を引き、正門へ視線を送った。
「ねえ、そのサングラスって、エヴァンのでしょ? 持ってきたの?」
「うん…… 何となく」
「ふ〜ん。でも、そのサングラスって…… まあいいわ」
デルグレーネの小さな顔には少し大きすぎるエヴァンのサングラス。
カタリーナは、不思議そうに見上げる彼女に微笑み、首を横に振った。
「ここまで来たのはいいけど…… さてさて、どうしましょうかね?」
カタリーナは腕を組み、参謀本部を見据えながら難しい顔をする。
「魔法でどうにかならない?」
「うーん…… 流石にここは難しいかな」
通常の建物なら、カタリーナの認識阻害魔法で容易に潜入できる。しかし、ここは大日帝国の軍中枢――陸軍参謀本部。警備も魔法対策も徹底しており、軽々しく侵入できるはずがない。
調律者である二人にとっても、危険が大きすぎた。
どう動くべきかと迷ううちに、彼女たちは内部の異変に気付く。
次々と車両が門をくぐり、降り立った軍人たちは険しい表情を浮かべ、慌ただしく駆け込んでいく。
先ほどから多くの車が各方面より参謀本部の門をくぐって行く。そして、到着した多くの人間が険しい顔をしながら騒然としている。
「何か…… 中であったのかしら? どう?」
カタリーナが、サングラスの中で薄い透明な水色の瞳を細め、頑丈な門扉の中を凝視する。
「うん…… 発砲事件? そんな話が聞こえる」
デルグレーネは瞼を閉じ、魔物としての能力を解放して聴力を研ぎ澄ませた。
通常の人間の数倍の聴覚で断片的な会話を拾う。
「乱心? 誰かが撃たれた? いや、自決……?」
「この中で⁉︎ 詳しいことは分かる? 名前は?」
「……これ以上は無理」
彼女は首を振り、肩を竦める。カタリーナは軽くその肩を叩き、ため息を吐いた。
「あっちもこっちも、随分と物騒だこと。一体どうなってるのよ!」
拠点は襲撃され、御堂を頼った参謀本部すら混迷の只中。苛立ちを隠せぬように小石を蹴り飛ばす。
「あっ……」
デルグレーネが不意に声を上げた。
彼女の視線の先、黒塗りの車が一台、参謀本部の敷地から出てくる。その運転席には女性がひとり――。
その姿を見た瞬間、デルグレーネの身体がかすかに硬直する。
サングラスの奥で白金色の瞳が一瞬揺れ、彼女は無意識に唾を飲み込んだ。
「――あら? 沢渡さんじゃないの」
カタリーナはデルグレーネの視線を追うと、運転席の沢渡女史に気がつき笑みを浮かべた。
彼女は瞬時に考えを巡らすと、ぷっくりとした唇を三日月状にし、湖のような透明な瞳を細めて、ニンマリと笑う。
そのままデルグレーネへ軽く耳打ちすると、彼女もまた軽く頷いた。
そして、二人の影は、路地裏から一瞬にして消えた。
◇
石畳の道に乾いた風が吹き抜け、巻き上げられた砂塵が、西に傾きかけた太陽の光を浴びて薄く金色にきらめく。
帝都東光の街を縫うように走る路面電車が、ガタンゴトンという騒がしい音を立てながら行き過ぎていく。
軒先に吊るされた赤提灯は所在なげに揺れ、行き交う人々の表情には、拭いきれない不安と焦燥の色が滲んでいた。
街の壁という壁には、勇ましい兵士の姿と戦意高揚のポスターが貼られ、人々の目に否応なく飛び込んでくる。
ラジオからは勇ましい軍歌が高らかに流れ、街の喧騒に混じりながら、人々の心をざわつかせるようだった。
そんな物々しい雰囲気の中、一台の黒塗りの乗用車が、路面電車の通過を待って停車していた。
運転席の沢渡涼子は、両手でしっかりとハンドルを握りながら、どこか上の空で街の喧騒を眺めている。
魔法研究所の研究官である彼女の表情には、疲労の色が濃く滲んでいた。
やがて、けたたましい音を立てながら路面電車が通り過ぎると、周囲の車が一斉に動き出す。
沢渡もアクセルを踏もうとしたその瞬間、助手席と後部座席のドアが不意に開き、見知らぬ二人の人影が滑り込んできた。
「――キャァ⁉︎ むぐっ⁉︎」
悲鳴が上がる寸前、助手席側のドアより、流れるような動作で乗り込んできたカタリーナの左手が、沢渡涼子の口を素早く塞いだ。
「落ち着いて、涼子!」
囁くように言いながら、カタリーナは自分の顔をぐっと近づけ、柔らかな笑みを浮かべた。
「私よ、カタリーナ・ディクスゴードよ。それと、デルグレーネ・リーグもいるわ」
さらに右手の人差し指を唇に当て「シーッ」といたずらっぽく微笑む。
双眸を限界まで見開き「むごむむっ⁉︎」と必死に抵抗を示す沢渡。
だが、次第に目の前の人物が本物であると理解したのか、彼女はカタリーナを凝視し、こくこくと頷いた。
合図を確認したカタリーナは、ゆっくりと彼女の口から手を離した。
「ぷはっ⁉︎ えっ…… カタリーナさん? それに、デルグレーネさんまで⁉︎ いっ、いったいどうして――⁉︎」
混乱で息を乱す沢渡に、カタリーナは落ち着いた声で促した。
「後ろがつかえてるわ。まずは車を出して。落ち着ける場所で話しましょう」
後方からクラクションが大きく鳴り響く。
沢渡は言われるがままアクセルを踏み、車をゆっくりと発進させた。
やがて、騒がしい大通りから外れた空き地を見つけると、沢渡はそこに車を停めた。
エンジン音だけが辺りに静かに響く。
「一体どういうことなんですか? お二人は翡翠島で行方不明と…… 怪我は? 体は無事なんですか? なぜ帝都に? どうやって戻ってきたんですか⁉︎」
堰を切ったように捲し立てる沢渡。
カタリーナは慌てて身を引こうとするも、狭い車内で助手席の窓ガラスに後頭部をコツンとぶつけた。
「ちょ―― ちょっと、落ち着いて――」
「貴女もですよ! レーネさん!」
今度は後部座席のデルグレーネに怒声を浴びせ、何度もハンドルを叩く。
「何ですか、その“私関係ないです”みたいな顔は⁉︎」
矛先を向けられたデルグレーネは硬直し、落ち着かない様子で視線を泳がせながら小さな声を漏らした。
「えっと…… ごめんなさい」
その一言を聞くと、沢渡はがっくりと首を垂れ、腹の底から「はぁ〜〜〜」と大きなため息を吐いた。
そして、俯いたまま「……なんで私の周りには、勝手な人ばかり」と消え入りそうな声で呟く。
タリーナとデルグレーネは顔を見合わせ、互いに苦笑を浮かべつつ、ただ静かに沢渡の肩が小さく震えるのを見守るしかなかった。
「……はぁ〜〜。もう! 本当に心配したんですからね!」
やがて堪えていた感情が溢れ、沢渡の瞳には涙が光り、頬をわずかに膨らませて叫ぶ。
張り詰めていた空気が吹き飛び、車内には安堵と温もりがじんわりと広がった。
「心配かけてごめんね、涼子」
カタリーナは優しく沢渡を抱きしめ、心からの謝罪を口にする。
その温もりに触れた沢渡の張り詰めていた心は、ゆっくりと解けていき、照れくさそうな笑みがこぼれた。
「もう……いいです」
ぽんぽんとカタリーナの背を叩きながら、沢渡は小さく頷いた。
「何か理由があるんですよね? 私に話してもらえますか?」
カタリーナは彼女の肩からそっと離れると、翡翠島での出来事、参謀本部での騒動、そして帝都にいる理由を、言葉を選びながら丁寧に語り始めた。
沢渡は真剣に耳を傾け、後部座席のデルグレーネもまた、静かにその様子を見守っていた。




