鼓動する陰謀 9/友誼の終焉
「残念だ…… 至極、残念である」
緋村は、地を這うような重い声で呟いた。
その声音には、抑制された怒りと、わずかな悲哀が滲んでいた。
特務魔道部隊司令、御堂雄一郎の対面。
飾り気のない執務室の応接用ソファーに深く腰を下ろした緋村は、手にしていた上質な葉巻を、憎悪の対象でも潰すかのように真っ二つに折り、灰皿へと投げ捨てた。
燻っていた紫煙が、一瞬にして掻き消える。
一秒、二秒――
重厚な真鍮枠を持つ、時代を感じさせる壁掛け時計の秒針が、静寂の室内に冷たい金属音を刻む。
その音は、まるで緋村の心を嘲笑うかのようだった。
緋村の顔には、微かな動揺――否、隠しようのない驚愕の色が浮かぶ。
普段は傲慢不遜な男の額からは脂汗が滲み、頬を伝い落ちていく。
彼は苛立ちを隠せず、窓の外へと視線を繰り返し送り、落ち着きなく室内を見回した。
その眼差しは、獲物を失った獣のように鋭く、焦燥に濁っていた。
対照的に御堂は、その様子をまるで舞台劇を鑑賞するかのように冷静な眼差しで見つめていた。
緋村は、ざわめく胸中を鎮めようと、心の中で同じ言葉を繰り返す。
(なぜ御堂がまだ生きている……? 狙撃手はどうした?)
そう、彼は周到に御堂暗殺の準備を整え、この執務室に姿を現していた。
美しい薔薇の咲く中庭を挟んで対面する上階の部屋から、合図ひとつで熟練の狙撃手が御堂の命を刈り取る――その算段であった。
合図は、緋村が愛用する葉巻を二つに折ること。
だが、合図からすでに数分が経過しても、御堂はこうして目の前に生きており、窓ガラスすら割れていない。
狙撃手の凶行は、未だ果たされていなかった。
「一体どうしたのだね? 先ほどから落ち着かないようだが」
御堂の、氷のように冷たく、それでいて静謐な声が、緋村の焦燥をさらに煽る。
「い、いや…… なにも…… なにも問題はない」
緋村は、平静を装おうと努めたが、その声は微かに震えていた。
二人の視線が、火花を散らすように交錯する。
張り詰めた沈黙を破るように、執務室の重厚な扉がノックされた。
その音は静かに、場の緊張を切り裂いて響き渡った。
「入りたまえ」
部屋の主人・御堂が、落ち着き払った声で入室を許可する。
「失礼します」
姿を見せたのは、やや疲れをにじませた顔の特務魔道部隊隊長、山崎剛大尉だった。
緋村が思わず瞠目する中、山崎は一糸乱れぬ敬礼を行い、二人の座るソファの脇に直立し、御堂の言葉を待つ。
「楽にしろ」
「はっ!」
山崎が僅かに姿勢を崩したのを見届けてから、御堂は低い声で問う。
「用件は?」
山崎が一瞬、緋村へ視線を送ると、御堂はゆるやかに首を縦に振り「構わない」と告げた。来客中であろうと、気にせず報告せよ――その意を含んでいる。
「先ほど、東雲以下、第二分隊九名の家族へ死亡報告をいたしました。氷川龍士は、連絡がつかず、事務方へ申し送りをいたしました」
「ご苦労……」
二人の瞳の奥から、氷のように冷たい殺気が緋村へと注がれる。
特務魔道部隊10名が命を落とす原因となった研究。その黒幕である緋村の背中を冷や汗が滝のように流れ落ちる。
山崎はそんな緋村を一瞥すると、淡々と報告を続けた。
「それと、先ほど、この部屋を狙っていた狙撃手を確保しました。幸い、生きたまま拘束できましたので、供述は可能かと思います」
「そうか。色々と手間をかけさせた。感謝する」
御堂は軽く敬礼を返し、改めて緋村へと視線を向けた。
「この部屋を狙撃しようとした、不届き者がいたようですね」
「……ああ、そのようだな」
緋村は上着の内ポケットから真っ白なハンカチを取り出し、額の汗を拭う。
赤く上気した顔は、怒りと焦燥が入り混じり、複雑な表情に歪んでいた。
やがて、重い腰を上げ、扉の方へ歩き出す。
「緋村中将。少し、お話をよろしいでしょうか?」
その背に、山崎の静かな声がかかる。
「なんだね?」
苛立ちを隠そうともせず、緋村は声を荒げて振り返り、鋭い眼差しで山崎を睨みつけた。
「貴殿は、御堂司令の力を――あまりにも軽んじておられるようだ」
「なんだと⁉︎」
山崎の言葉に、緋村は目を剥き、激昂する。
怒りをあらわに一歩踏み出した瞬間、その懐へ山崎が素早く踏み込んだ。
仰け反った緋村に、射抜くような視線を突きつけ、山崎は言葉を重ねる。
「御堂司令は、私の助けなどなくとも、容易く殺されはしませんでしたよ」
「…………」
山崎の言葉に、緋村は眉間に深い皺を刻み、訝しげに睨み返した。
「御堂司令は、貴殿がこの部屋に……いや、その前から、広範囲に探索魔法を展開し、周囲を隈なく探っておられた」
「⁈――」
「さらに、私が入室するまでの間、ご自身の周囲には幾重もの強固な防御魔法を張り巡らせていたのです」
「まさか⁈」
山崎は薄く笑みを浮かべ、御堂へと視線を送る。
その仕草につられるように、緋村も驚愕の眼差しで御堂を見た。
「なに、大した理由じゃないさ。この状況で私を訪ねてくるのは――大抵、敵だろう? 冷静になれば君にも分かる話だ。だから用心もする」
「それでも! ……私には、貴様が魔法を展開していたなど、微塵も感知できなかった……」
緋村の驚愕に、山崎は乾いた笑いを被せる。
「それこそが、御堂司令を軽んじている証拠です。中将のように現場を離れて久しい者には、もはや理解できないのでしょう」
「馬鹿な⁈ 現場を離れてはいるが、私とて――」
緋村は激昂しながら御堂を睨んだ。だが、目の前に立つその威風堂々たる姿を改めて見た瞬間、口にしかけた言葉を呑み込む。
(私とて、かつては魔導大隊の精鋭、魔道兵であったのだ……)
そう言い切れなかったのは、御堂から放たれる圧倒的な威圧感のせいだった。
目には見えぬ力の波紋のようなものが周囲に漂い、それがひしひしと肌を刺す。
――この男は、自分が想像していた以上に強大で、畏怖すべき存在なのだ。緋村は、否応なくそれを認めざるを得なかった。
「ふん…… 過去においても魔道部隊の序列第一位を誇った力――伊達ではないということか」
苦虫を噛み潰したように呟く緋村。
その前で御堂は、応接机に散らばっていた書類を静かに揃え、ゆったりとした動作でソファから立ち上がった。
「さあ、会議まで時間が迫っている。申し訳ないが、そろそろ失礼させてもらう」
御堂は山崎へ書類を手渡すと、ゆっくりと執務机へ向き直り、緋村に背を向けた。
――もはや話すことはない。その態度が雄弁に物語っていた。
「緋村中将、これでお分かりいただけたでしょう。これが、特務魔道部隊司令・御堂雄一郎なのです」
御堂の背中を誇らしげに仰ぎ見ながら、山崎が静かに告げる。
その瞬間、乾いた破裂音が「パン」と鋭く響いた。
「……だから、こうするしか、なかったのです……」
深い悲しみに震える山崎の声。
御堂は口から鮮血を噴き、膝から崩れ落ち、執務机に倒れ込む。
重厚な机が、彼の190センチを超える巨体に軋みを上げた。
時が止まったように空気が凍りつく。
ただ、山崎の手に握られた拳銃の銃口から、細い硝煙がゆらりと立ち上っていた。
「ヤ…… 山崎……」
御堂は血に濡れた胸を押さえ、震える手で机に縋りながら、必死に振り返る。
「司令…… こうすることが、部下を……大日帝国の仲間を守ることになると、私は信じています」
銃口を床へ下ろしながら、山崎は淡々と語った。
その顔は無表情――しかし、頬を伝う涙は止まらなかった。
「緋村に…… 誑かされたか……」
苦痛に喘ぎながらも、御堂の眼差しにはなお揺るぎない力が宿っていた。
「いえ、緋村中将ではありません」
山崎は静かに、だが確固たる声で答える。
御堂は浅い呼吸を繰り返しながら、その言葉に耳を傾けた。
「今回も、十名もの仲間が命を落としました。もう沢山です。これ以上、無意味な戦いに若い命を散らせたくはない」
「……だから非道な計画に加担したのか」
「妖魔を使えば、仲間の犠牲は減らせます」
「……合成妖魔には魔法士や適性者が必要だ。それは――私たちの仲間ではないのか?」
「…………」
続けざまに乾いた銃声が「パン! パン!」二度響く。
御堂の巨体が床に横たわると、緋村は手にしていた拳銃を無造作に投げ捨てた。
「山崎中尉。君は御堂中将を拘束しようとしたが、抵抗されたためやむなく銃殺した。……私がそう証言しよう」
銃声を聞きつけ、外の参謀本部は騒然となったが、この部屋には重苦しい沈黙だけが漂っていた。
「……昨夜、君からの連絡には耳を疑った。あれほど我々の誘いを拒んでいた君が、なぜ……」
「…………」
「ま、まあ、よい。これからは――」
緋村は片手を差し出し、握手を求める。
「私は、あなたの犬になるつもりはありません」
山崎は応じず、御堂の瞼をそっと閉じると、黙祷を捧げた。
やがて顔を上げ、鋭い眼差しで緋村を睨み据える。
「貴方にも、いずれ相応の報いは訪れる。私と共に――」
「わかっている! 御堂や隊員たちの死を決して無駄にはしない! この難局を打破するため、共に力を尽くすのだ。我らは同じ目的を持つ同志だ!」
緋村はなおも右手を差し出す。だが山崎は一瞥するだけで、視線を御堂の亡骸に戻した。
「……ふん、まあいい。君の協力が得られれば、勝利はもはや疑いようもない」
二度空振りに終わった右手を引っ込めると、緋村は重い扉を押し開けた。
「誰か! 憲兵を! 御堂中将が錯乱した!」
怒号が響き渡る。
御堂の死は瞬く間に参謀本部を駆け巡り、大きな衝撃として人々の心を揺さぶった。
それは湖面に投げ込まれた巨大な岩のごとく波紋を広げ、やがて全てを呑み込む津波となる予感を孕んでいた。




