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鼓動する陰謀 8/白日の下へ

 翡翠島防衛戦の翌朝。

 倫道たちが魔道研究所本局へ拉致されてから、すでに数時間が経過していた。


 陸軍参謀本部は、徹夜の警戒態勢がなお続き、疲労と緊張が入り混じった異様な空気に包まれている。

 薄暗い廊下を行き交う兵士たちの足音、無線機から漏れる雑音、そして時折響く怒号。

 今回の件は、順調に勢力を拡大してきた軍部にとって、初めて経験する大規模な反抗作戦だった。

 その衝撃は計り知れず、これまで楽観視していた末端にまで動揺が広がり、大日帝国が抱える不安と危機が一気に表面化していた。


 その喧噪の中、特務魔道部隊司令・御堂雄一郎は、三階の中庭に面した執務室で窓外を見下ろしていた。

 先ほどから、大量の書類を抱えた兵士や将校が、小道を足早に横切っていく。

 彼らの多くは昨日から一睡もしていないだろう。それでも国のために懸命に働く同志たちに、御堂は畏敬の念を込めて軽く頭を下げた。

 

 視線をゆっくりと上げ、曇天の空を見据える。

 伸び始めた髭、疲労の色濃い顔。しかしその瞳には、決して揺るがぬ決意の光が宿っていた。

 ――午後から開かれる緊急会議。

 御堂は、そこである人物を糾弾するための準備をすでに整えていた。


 考えを巡らせていると、重厚な執務室の扉が静かにノックされた。

 御堂はわずかに眉をひそめ、扉を見やる。

 この緊迫した状況で、誰が、何の用で訪れたのか――。

 しかし、その疑問はすぐに解消された。


「どうぞ」


 御堂が静かに告げると、扉がゆっくりと開いていく。

 そこに立っていたのは、緋村蒼樹中将だった。

 思わぬ来訪に、御堂はわずかに面を食らったが、表情には出さない。対する緋村は尊大な笑みを浮かべ、部屋の中央へと悠然と歩みを進める。


「御堂司令。今回の件、特務魔道部隊は大活躍だったと聞く。ご苦労であったな」


 その声には、皮肉と欺瞞(ぎまん)が色濃く滲んでいた。

 御堂は内心で顔を顰めつつも、外面は変えずに静かに迎える。


 ――この男こそ、本日の会議で糾弾する相手。

 翡翠島研究所で行われた、鬼畜極まりない実験の黒幕。


 緋村は部屋の中央まで進むと、ゆっくりと視線を巡らせ、御堂の机上に積まれた報告書へ目を留めた。


「どうやら、随分と忙しかったようだね」


 伸ばしかけた手を、御堂の低く重い声が制した。


「触らないでいただきたい」


 緋村はわずかに眉をひそめたが、すぐに尊大な笑みに戻る。


「そう警戒しないでくれたまえ。私は、ただ君と話をしに来ただけだ」


 軽く両手を広げ、やれやれと笑う緋村。

 御堂も薄く笑みを返し、部屋中央の来賓用ソファを手で示す。自らは執務机の受話器へ手を置き、問いかけた。


「緑茶か珈琲でも?」


「いや、結構」


 御堂は受話器を静かに戻し、緋村の向かいに腰を下ろす。

 わずかな沈黙の後、口を開いた。


「緋村中将の来訪、光栄の至りですな」


「御堂司令、そのような物言いは水臭い。旧知の仲ではないか。もっと気楽に話そう」


「いえいえ。まさかこの状況下で、貴官と二人きりで話をする機会が訪れるとは――夢にも思っておりませんでした」


 その声音は静かだが、含むものは明らかだった。


「御堂司令、君は相変わらず皮肉屋だな」


 緋村は鼻で笑い、ソファの背にもたれた。


「今回の翡翠島での一件、私も深く心を痛めている。特に特務魔道部隊の十名の戦死は痛恨の極みだ。そして、ゲルヴァニア国からの二人も消息不明と聞く。……だが、これはあくまでも大日帝国のため。やむを得ない犠牲だったのだ」

 

「やむを得ない……」


 御堂は、小さく繰り返した。その声音には、はっきりと怒気が混じっていた。

 緋村は御堂の視線を受け止め、なおも言葉を重ねる。


「御堂……君も分かっているはずだ。この戦争における圧倒的な物量の差を。我々は非常に厳しい状況に置かれている。この状況を覆すために、大日帝国は常に変化し続けねばならない。そのためには――時に、非情な決断も必要だ」


 尊大な笑みを消した緋村の声は、真剣そのものだった。

 その眼差しは、かつて背中を預け合い戦場を駆けた頃の彼を一瞬だけ彷彿とさせる。

 

 ――一瞬、ほんの一瞬だけ。

 御堂はそこに昔の仲間の面影を見たが、ゆっくりと首を振り、その幻を払い落とした。

 そして、前傾姿勢になり、震えるほど低い声で吐き捨てる。

 

「緋村……よくもこの部屋に顔を出せたものだな」


 隠そうともしない殺気が、御堂の言葉に宿る。

 鋭い光を帯びたその眼は、まさに相手を射抜く刃のようであった。


「翡翠島での実験、そして貴官の動向――すべて把握済みだ」


 御堂は立ち上がり、机上の報告書を掴むと、そのまま緋村の目の前のテーブルへ投げつけた。

 厚い束がばらけ、机や床に散乱する。そこには実験の詳細、命令系統、そして緋村の関与を示す証拠が記されていた。


「もはや言い逃れはできぬぞ、緋村中将」


 冷静な口調でありながら、その声は緋村を圧するだけの力を帯びていた。


「御堂司令、何を仰っているのか、私にはさっぱり分かりませんな」


 涼しい顔で答える緋村の瞳からは、先ほどの温もりが完全に消え、入室当初の冷たく濁ったものに戻っていた。


「このような事実はない。……仮にあったとしても、翡翠島での実験はすべて帝国の発展のため。私はただ、そのために行動したまでだ」


 言いながら、緋村は背をソファから起こし、御堂へ顔を近づける。

 その表情は尊大な笑みを捨て、狂気すら帯びていた。


「貴官のような理想論者には、私の現実的な思考は理解できまい」


 挑発するような視線を向けられても、御堂は微動だにしない。


「緋村中将、貴官の罪は万死に値する。しかし私は、この手で貴官を裁くつもりはない」


 御堂の言葉に、緋村はやれやれと肩をすくめ、再びソファへもたれた。

 懐から葉巻を一本取り出し、小さなナイフで先端を切り落とすと、吸い口の断面を御堂に見せる。


「吸うか?」


 首を横に振る御堂。

 緋村は眉をひそめて笑い、マッチを擦って火を点け、香ばしくも甘い香りのする煙をくゆらせた。


「貴官の罪は、白日の下に晒される。……そして必ずや己の愚かさを思い知り、深く、深く悔いることになるだろう」


 緋村は嘲るように笑う。


「御堂司令、まだ分からないか。この帝国は私のような人間を必要としている。私はこの国をさらなる高みへ導かねばならん」


「まだ、そのような世迷言を……」


 御堂は大きく息を吐き、緋村と同じようにソファの背に体を預けた。

 視線が交差し、沈黙が落ちる。


 やがて、緋村が口を開いた。


「……なあ、御堂。若い頃は、よく無茶をしたな」


 御堂は目を細め、黙って耳を傾ける。


「お国のため、そう自分に言い聞かせ、辛い訓練に耐え、弾や魔法の飛び交う戦場を駆け抜け……敵兵も妖魔も何体も倒した」


 懐かしげに目を閉じ、白い煙を吐く緋村。


「ウラジミル侵攻作戦、お前と一緒だったな。新兵同士、あの激戦をよく生き残れたものだ」


「ああ、そうだ。だが、昔話をしている暇はない」


「まあ、そう言うな」


 緋村はニヤリと笑い、煙を吐き出す。


「……何が言いたい?」


 御堂が問うと、緋村は葉巻を灰皿に押し付け、血走った目で顔を近づけた。


「いいか。これが最初で最後の忠告だ。余計なことはせず、私に協力しろ。国のため、国民のため、力を合わせて世界に我々の力を示すんだ。……もちろん、貴官とその部下の待遇も優遇しよう」


 静寂。

 二人の殺気が空気を凍らせる。


「何を言われようが、私のやることは変わらん。……私はこれが大日帝国のためだと信じている」


 視線がぶつかり、数秒の沈黙。

 やがて緋村は息を吐き、二本目の葉巻に火を点けた。


「さすが帝国の衛人(まもりびと)、御堂雄一郎と言ったところか。残念だ…… 至極残念である」


 乱暴に千切った葉巻を灰皿に投げ捨て、緋村は窓の外へ視線を送る。

 その先――御堂の執務室を見下ろす上階の部屋に、張り付くように存在する影が、じっと二人の様子を捉えていた。

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